doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

目に若葉(1)

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若葉の季節・・・とくればやはり青梅だよな、と思う

ってなわけで10時ころ青梅駅に茫洋とした顔で降りた。この街はここから西の山に向かう町筋が多摩川と丘陵に挟まれた狭くて長い段丘の上にあり、その中を青梅街道が東西に貫いている。それはまた江戸時代からの旧青梅街道とおおむね一致していて、今日の͡コースはその旧道を辿るのだが、以前も真夏の日盛りに同じ道を歩いている。

 

 

駅の裏側にある梅岩寺に立ち寄ってみた。この境内の枝垂れ桜は有名、だが季節は急ぎ足で通り過ぎてしまったらしく、葉桜になりかけていた。枝垂れ桜は染井吉野などより少し遅いと思っていたのだが、種類によりいろいろ開花時期があるのだろう。枝垂れ桜がなければ見るものは特にない。

 

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青梅街道に戻って街中をゆるゆる歩く。両脇には古い時代の懐かしいような建物がぽつりぽつりと残っている。ほとんどは昭和初期のころの建物ではないかと思うが、そんななかで江戸時代のこの地の豪商の店が都のして文化財として残されている。

土蔵造りの2階屋、腰壁が黒ずみ格子戸の木材や門の戸の板が古びていて、年代を感じさせる。小さな通用口が開いていたので入ってみる。土間がぐるりと回っていて畳敷きの店先があり、奥は住居らしい。

見ていたらいきなり後ろから、こんにちはと声を掛けられ驚いた。当主の娘さんであろうか、中年の女性が立っていて、控えめに聞かれたことだけをやさしい声で説明してくれた。もとは材木問屋、近くは青梅絣の販売などを手掛けられた町年寄の家柄であるそうだ。どことなく説明してくれる女性はおっとりしているように見える。

 

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                    (車長持)

 

まっすぐな街道がちょっと突き当りになった追分に小さな熊野神社があった。この場所には江戸時代初期(1590年ごろ)に陣屋が設置されたと説明板にある。八王子代官所の出張所といったところか? しかしその差配地域は広く、三田領、加治領、高麗領、茂呂領を含むとある。1744年ころ陣屋は廃止の由。”徳川の平和”の完成の時期かナ?

 

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陣屋跡の脇の河岸段丘の下にある金剛寺に立ち寄る。

説明板によればこの寺院は平将門創立と伝えられている由で、その後幾多の火災にあいつつも17世紀初期中ごろに建設されたとみられる表門が残り、都指定文化財となっている。屋根が重々しく乗っている門だが、素人は何にも気づかず足を踏み入れると思う。境内に法要の一族眷属であろう品のいいお年寄りたちが佇んでいた。

 

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境内に木柵で囲まれた梅の老木がある。この梅の実は時期が来ても青い色のままである、というのでこの地が青梅と呼ばれるようになった、とこれは市の教育委員会の説明板。公的説明であるからには、本当だろうな!? と疑惑の目で眺める。境内は樹木がよく手入れされ静かで幽玄の気配さえ漂っているように思えた。鶯がしきりに鳴く。

 

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かように昔の青梅街道の俤がちらほら残る青梅宿も、にぎやかなのはこの辺りまで、この先から街道裏は、初々しい若葉を泡のようにもくもくと湧き出した丘陵の尾根を見せて続いている。この若葉の盛り上がったさまを”山笑う”というのかと思う。その笑いもいっひひひ、ではなく優雅にゆったりとうむうむだろうなあ。

 

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 現在の青梅街道と別れて、多摩川の流れのほうに続く幅3mぐらいの細道に入る。この道が旧青梅街道だと言われている。小さな家並みの中を曲がりくねり、登り下りしながら続く。身の周りに若葉が溢れかえり、家の周りは桃と花水木が満開で、桃の大ぶりの花は惜しげもなく陽の中に咲き誇り、白い花水木は陽にきらきらと煌めいてどこか優雅に見える。鶯の声があちらからもこちらからも聞こえてくる。

 

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 近くに「日向和田臨川庭園」という公園がある。この地の代議士様が所有していたもので今は市の管理になっている由。入ってみると誰もいない。きれいに刈り込まれた躑躅ははまだ咲かない。春の紅葉の葉が赤く染まって美しい。

 

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まだ少し早いが昼飯を挙行、相変わらずの握り飯だが至ってうまい。鶯がほ~、けきょと鳴いたり、きょきょ、けけけと鳴いたりしていて、ほ~~~ほけきょう~と優雅に清らかに囀るやつがいない。

昔の人は小鳥の鳴き声を大いに楽しんだものだそうで、中でも鶯の鳴き声は何段階もその優雅さに序列があり、特別な鳥かごを用意してその雅を競い合ったとか。かの内田百閒なども一時期小鳥にはまって家じゅう鳥籠だらけ、という。今それを楽しむ人がいるのかどうか、聞いたことも見たこともない。

 

 

 

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 こんな長閑な空気を呼吸していると大いなる昼寝でもしたくなる。

しかしここで寝て、夕方うすらぼんやり目を覚ますわけにはいかない。

何となれば終点の御岳で蕎麦を食おうと思っているのだ。

 

 続きまんねん。

 

あてなく彷徨せしこと 2

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稲城市の丘陵地を当てなく彷徨っていて「ありがたや墓石群」に圧倒された。

累々と重なり並ぶ、苔むし摩滅し崩壊しつつある何百何千としれぬ、墓石、石仏にがつんと頭を殴られた。一説では数は4千基あるそうだ。これだけのものを終戦まじかな時期に駒込あたりから営々と運んでこの急峻な谷間に安置した、という。

同時にこれらのおびただしい墓石、石仏の一つひとつに込められた人間の情念が想像できるような圧倒され方だった。ウイーンだったか、人間の骨で装飾された礼拝堂があるそうだ。御堂の内部装飾を頭蓋骨やら大腿骨で飾り立ててあるという、そのことを思い出した。東と西と遠く離れているけれど、人間の情念は似たり寄ったりなのだろうか。

 

 

墓石群の麓にある「妙覚寺」という小さな寺に立ち寄ってみた。あの墓石群のある墓地そのものはこの寺のもので、「日徳海」に依頼されて墓地の上のほうを提供したらしい。しかし寺にはそれに関する説明も何もなかった。

境内に古い時代(1454年)の板碑(市指定文化財)が設置してあり、誰もいない森閑とした境内に紅葉や楓の春の芽吹きが、美しく風にそよいでいるばかりだった。それはまるで秋深い紅葉を思わせるが、葉は生きいきとして命にあふれていた。


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さて、また三沢川に戻って上流へ行ってみようと思う。

 そこに何があるかそれとも何もないか知らないが、何もなくても何かをお求めているわけでもなし、時間だけはまだ十分にある。春の日永を夕暮れ迫るまで歩き続けてもだれも文句は言わない。

すぐに三沢川に架かる橋に出た。左岸は河川敷公園のようにきれいに整備されていて、土手の草原に若い男女がぽつんと腰を下ろしていた。土手の染井吉野は散り始めているがまだ半分ほど花びらが残っている。

 

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 両岸の遊歩道はほんとにきれいに整備されていて若い女性なども散歩している。散り始めた桜並木は残った蕊が赤い色をしているので、何かの花のように見える。桜が散ってまた別な花が咲いたように見える。これはこれできれいだと思う。

水の底には鯉が獰猛な瞳を隠しながら漂っている。水面に浮かんだ花筏をいやらしい大口を開けてざばりと飲み込んだ。空には薄い雲が広がっているが温い風がさらさら吹いて長閑な気持ちがする。この長閑な感じは遠い昔にも同じように感じたことがあるように思う。周りや人は変わっても風は昔のままの風であるらしく、それを感じている。

 

 

道々古い甲申塔などにも立ち寄ってみた。ほとんどが砂岩らしき石に青面金剛を彫り付けたもので、形が溶け目鼻が崩れ文字は消えてしまっている。だけれども、みな鞘堂に収められて大事にされているらしい気配がある。よそ者(地方者)が多い東京の地で、このことはまた不思議な感じがした。

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岸辺の遊歩道に、 目に見えないほど少しずつ春の宵の気配がどこからともなく沁みだしてきて、子供たちがそろそろ家路を辿り、急ぎ足のおかみさんが買い物かごを下げていく。いつも思うけれど、帰るべきねぐらがあることはすべての動物にとって、この上なく幸せなことではあるまいか。ともかくも安心して夢に落ち込むことができる。

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5時半を過ぎて、いくら風来坊を気取っていてもそろそろねぐらに帰らねばならぬ。

お寺で休憩しつつ、はてどこへ向かったらよかろうかと地図を睨む。目換算だけれどここから北へ3㎞ぐらい歩くと南武線南多摩駅がある。もっと近ければ京王線若葉台駅だけれど、そのあとの乗り換えが面倒だ。

南多摩駅を目指す。大きな道路に出て丘陵の高みを越え、そして下り、また大きな道路に出て多摩ニュータウンの一角に入る。多摩ニュータウンは大部分が多摩市だけれど、この辺もまたニュータウンとして開発された。

馬鹿みたいに広い道路と、周りにそそり立つ高層マンションと高級戸建て住宅の中をもはや、しおしおと俯きながらひたすら歩く。帰り道は何の楽しみもない。それでは可哀想なので、よし、南多摩駅前に蕎麦屋があればそこで反省会を一人で挙行しようと決める。それを元気の素としてひたすらに歩く。

 

 

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 南多摩駅前に蕎麦屋はあった! 

入ったら壁にトンカツやらカレーやらキムチどんぶりやらのメニューが貼ってある。これはしたり失敗した、瞬時に思ったが、ではさようならと帰るわけにいかない。例によって例の如く、日本酒1本と盛り蕎麦。

日本酒を一口含んでとたんに帰りたくなった。雑味だらけで舌を刺激する。しかし意地汚く全部飲んで蕎麦を啜るとこれは案外まともだ。などと自分勝手な判断と偏見とのオダを聞こえないように口ごもってそそくさと電車に乗る。

 

 

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 春は急ぎ足で通り過ぎるらしい。

また来年になったら来るさ、と思ってもだれも保証はしてくれない。

だからせいぜい歩こうと思う。

本日はおよそ13,4㎞? (途中JPSを誤って遮断、歩数計からの推計値)

 

 

 

あてなく彷徨せしこと

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多摩の南部に稲城市という街がある。

どういうわけか自分にとっては馴染みが薄い。多摩川を南側へ越えた先にあるので行く機会がないのかもしれないが、よく考えてみればそこへ行く便利な交通機関がないことが大きいと思う。

東京の交通機関は、ひたすら都心を目指すから東西を行き来するには便利だけれど、南北を縦断しようとすると甚だめんどくさい。多摩から横浜方面へ南北に縦断しようとすれば、相模線、横浜線南武線などがあるが、いずれも運行本数が少なく快速も特急もなく大いに不便だ。

 

忘日、その不便をえいやっと乗越えて稲城市へ行つもりになった。

行くには行ったけれど、どこへ行こうかという目的もなければどこかに用事があるわけでもない。ま、駅に降りて行く先がなくたちまち狼狽してもなんだと思い、簡単な地図を一枚コピーはしてきた。

降りた駅は南武線稲田堤駅川崎市のエリアだがここから三沢川という大きからぬ流れが稲城市のほうへ続いている。その川に沿ってよたよたと溯ってみようか、とうすぼんやりと考えている。

 

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三沢川は清流とはちと言かねるけれど、両岸に立派な遊歩道が続いていて歩きやすい。源流部はコピーの地図を見ると多摩丘陵のどこかの麓らしい。この辺りは多摩丘陵の一部で、その山肌が湧き出すように芽生えたばかりの新緑に覆われ見ごたえがある。

岸辺の遊歩道には、こちらと似たような爺様がぽつりぽつり歩いている。ぼんやり歩いていくと丘陵の麓に鳥居が現れ、看板に名水だとかなんだとか書いてある。近寄ってみたら、鳥居の奥に不細工な弁才天がいて、脇に洞窟が二つ口を開けている。滴るような湧き水だがここへ水くみに来る人も多いらしい。

 

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地図を見るとこの近くに小沢城跡というのがあるらしい。行きがかり上見てみることにしたが、そこへの道がまるで分らない。向こうから来た爺さんに聞いてみると、だいぶ戻らなくてはその場所には行けないそうだ。戻るのは癪だが仕方がない。

爺さんは戻る道だから案内するという。見目麗しき女性ならよかったんだがなあ、と思いつつも一緒に歩く。爺さんは饒舌、87歳の今でもバス送迎の仕事をしている、むかし法政二校で甲子園を経験している、甲子園の経験は人生に大きなプラスになった、今は毎日4,5㎞歩いている、云々。

 

 

爺さんが案内してくれた城址への上り口は、さっき歩いた岸辺からちょっと奥まった場所だった。これでは見落とすも何もない、岸辺にも簡単な案内板があれば見落とすなんてことはないはず。川崎市、もう少し考えろよな。

小沢城跡へのルートは丘陵の尾根道、高くもないその尾根まで階段を上る。たちまちハアハア息が上がるのは日ごろの怠け癖のせいだろうと考えるが、登っては下り下っては登る尾根はなかなかきつい。ようやく小沢城跡に到着。

 

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ちょっとした平らな場所だけれど、説明板には頼朝の重臣、稲毛三郎重成の山城だったとある。北側が多摩川の流れの崖で要害の地だったとか。昔はこのすぐ傍まで多摩川の波が洗っていたらしい。今は2,3㎞北にその岸辺が移っている。南側にはよみうりランドがあるらしい。

城址の柔らかな若葉がとても美しい。 なのでここで昼飯、コンビニおにぎり1個をかじる。そこまではいいのだけれど、さてここからどこへ行こうかと考える。コピー地図によれば西側に「南山ありがたや墓石群」という文字が見える。そこへ行こうと思う。

そこへ行くのはいいとして、どこをどう行けばそこなのか全く分からない。携帯を出して様々見てみると、どうやらいったん地上に降りないとダメなようだ。ともかくも下る道を降りてみたら、「よみうりランド駅」前に出た。

駅員に「南山ありがたや墓石群」に行くにはと聞いたが、さてね地元の人に聞いてくれだと! ふん! 駅の向こうの店の脇を通りかかった普段着の、袋を下げた、今度はある程度見目麗しき女性に聞くと一発、入口まで案内するとのこと。神様はいるものだ。

 

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ここを山のほうに入るとそこなんだけど、いま宅地工事をしているらしく目的地まで行けるかどうか? という。ようやくという感じで細い道を上ると、お墓を撤去した後のコンクリの土台が無残にむき出しになっている。

その先は、浅い谷の上へ上へと墓地が並んでいた。またハアハア言いながら谷を上ると頂上が見える場所で思わず息をのんだ。目の前の谷間をびっしりと小さな墓石が埋め尽くしている。その数何百なのか見当もつかない。

朽ちかかった灰色の、墓石、地蔵像、五輪の塔、宝篋印塔、それらが横一列に幾段にもなって立ち並んでいる。なんだかうそ寒いような気がした。

 

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 文字も読めないような古く小さな墓石、目鼻立ちが定かでない地蔵、古い形の墓石、観音像やら阿弥陀像(区別はつかないが)やらの仏たち、それらに周りを取り囲まれたような気がする。読める文字を拾ってみると、おおむね江戸時代の年号が刻んである。

 

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 これはいったい何なんだ? この土地の人々のうんと古くからの墓石を処分しないで谷の奥に安置したのだろうか? と考えてはみたが、よくわからない。よくわからないけれど衝撃的な印象を受けた。谷間を降り向こうの街並みが見える場所で休憩、食べ残しのおにぎりを頬ばって考えてみたがよくわからない。

 

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下の民家で地元の人に聞いてみよう、なんと幸運にも八重桜が美しく咲く家からおじさんが出てきた。おじさんによれば、関東大震災の後、東京の谷中や駒込あたりから無縁仏をここに集めて祀ったのだ、とのこと。

しかし帰宅後ググってみたら、こんなことだったらしい。

1940年から1943年にかけて、道義的および宗教的理由により駒込地区に存在した無縁仏等がここに移動された。この移動作業を行ったのは「日徳海」と称する団体であり、現在もありがた山石仏群の奥にある仏舎利塔の奥に日徳海の施設が存在している。(ウェキペディア)

 

 

 それにしても、1940年から1943年は戦争中、その時期に無縁仏の供養のためにこれだけのことをした!? そもそも「日徳海」とはどんな宗教団体なのだろう。本部は稲毛市に現在もあるらしいけれど、謎は深まるばかり。

 

 

 

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謎だらけで頭が混乱、

後のことはまたあとで。

 

続きますねん。