目に若葉(1)

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若葉の季節・・・とくればやはり青梅だよな、と思う

ってなわけで10時ころ青梅駅に茫洋とした顔で降りた。この街はここから西の山に向かう町筋が多摩川と丘陵に挟まれた狭くて長い段丘の上にあり、その中を青梅街道が東西に貫いている。それはまた江戸時代からの旧青梅街道とおおむね一致していて、今日の͡コースはその旧道を辿るのだが、以前も真夏の日盛りに同じ道を歩いている。

 

 

駅の裏側にある梅岩寺に立ち寄ってみた。この境内の枝垂れ桜は有名、だが季節は急ぎ足で通り過ぎてしまったらしく、葉桜になりかけていた。枝垂れ桜は染井吉野などより少し遅いと思っていたのだが、種類によりいろいろ開花時期があるのだろう。枝垂れ桜がなければ見るものは特にない。

 

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青梅街道に戻って街中をゆるゆる歩く。両脇には古い時代の懐かしいような建物がぽつりぽつりと残っている。ほとんどは昭和初期のころの建物ではないかと思うが、そんななかで江戸時代のこの地の豪商の店が都のして文化財として残されている。

土蔵造りの2階屋、腰壁が黒ずみ格子戸の木材や門の戸の板が古びていて、年代を感じさせる。小さな通用口が開いていたので入ってみる。土間がぐるりと回っていて畳敷きの店先があり、奥は住居らしい。

見ていたらいきなり後ろから、こんにちはと声を掛けられ驚いた。当主の娘さんであろうか、中年の女性が立っていて、控えめに聞かれたことだけをやさしい声で説明してくれた。もとは材木問屋、近くは青梅絣の販売などを手掛けられた町年寄の家柄であるそうだ。どことなく説明してくれる女性はおっとりしているように見える。

 

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                    (車長持)

 

まっすぐな街道がちょっと突き当りになった追分に小さな熊野神社があった。この場所には江戸時代初期(1590年ごろ)に陣屋が設置されたと説明板にある。八王子代官所の出張所といったところか? しかしその差配地域は広く、三田領、加治領、高麗領、茂呂領を含むとある。1744年ころ陣屋は廃止の由。”徳川の平和”の完成の時期かナ?

 

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陣屋跡の脇の河岸段丘の下にある金剛寺に立ち寄る。

説明板によればこの寺院は平将門創立と伝えられている由で、その後幾多の火災にあいつつも17世紀初期中ごろに建設されたとみられる表門が残り、都指定文化財となっている。屋根が重々しく乗っている門だが、素人は何にも気づかず足を踏み入れると思う。境内に法要の一族眷属であろう品のいいお年寄りたちが佇んでいた。

 

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境内に木柵で囲まれた梅の老木がある。この梅の実は時期が来ても青い色のままである、というのでこの地が青梅と呼ばれるようになった、とこれは市の教育委員会の説明板。公的説明であるからには、本当だろうな!? と疑惑の目で眺める。境内は樹木がよく手入れされ静かで幽玄の気配さえ漂っているように思えた。鶯がしきりに鳴く。

 

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かように昔の青梅街道の俤がちらほら残る青梅宿も、にぎやかなのはこの辺りまで、この先から街道裏は、初々しい若葉を泡のようにもくもくと湧き出した丘陵の尾根を見せて続いている。この若葉の盛り上がったさまを”山笑う”というのかと思う。その笑いもいっひひひ、ではなく優雅にゆったりとうむうむだろうなあ。

 

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 現在の青梅街道と別れて、多摩川の流れのほうに続く幅3mぐらいの細道に入る。この道が旧青梅街道だと言われている。小さな家並みの中を曲がりくねり、登り下りしながら続く。身の周りに若葉が溢れかえり、家の周りは桃と花水木が満開で、桃の大ぶりの花は惜しげもなく陽の中に咲き誇り、白い花水木は陽にきらきらと煌めいてどこか優雅に見える。鶯の声があちらからもこちらからも聞こえてくる。

 

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 近くに「日向和田臨川庭園」という公園がある。この地の代議士様が所有していたもので今は市の管理になっている由。入ってみると誰もいない。きれいに刈り込まれた躑躅ははまだ咲かない。春の紅葉の葉が赤く染まって美しい。

 

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まだ少し早いが昼飯を挙行、相変わらずの握り飯だが至ってうまい。鶯がほ~、けきょと鳴いたり、きょきょ、けけけと鳴いたりしていて、ほ~~~ほけきょう~と優雅に清らかに囀るやつがいない。

昔の人は小鳥の鳴き声を大いに楽しんだものだそうで、中でも鶯の鳴き声は何段階もその優雅さに序列があり、特別な鳥かごを用意してその雅を競い合ったとか。かの内田百閒なども一時期小鳥にはまって家じゅう鳥籠だらけ、という。今それを楽しむ人がいるのかどうか、聞いたことも見たこともない。

 

 

 

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 こんな長閑な空気を呼吸していると大いなる昼寝でもしたくなる。

しかしここで寝て、夕方うすらぼんやり目を覚ますわけにはいかない。

何となれば終点の御岳で蕎麦を食おうと思っているのだ。

 

 続きまんねん。

 

あてなく彷徨せしこと 2

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稲城市の丘陵地を当てなく彷徨っていて「ありがたや墓石群」に圧倒された。

累々と重なり並ぶ、苔むし摩滅し崩壊しつつある何百何千としれぬ、墓石、石仏にがつんと頭を殴られた。一説では数は4千基あるそうだ。これだけのものを終戦まじかな時期に駒込あたりから営々と運んでこの急峻な谷間に安置した、という。

同時にこれらのおびただしい墓石、石仏の一つひとつに込められた人間の情念が想像できるような圧倒され方だった。ウイーンだったか、人間の骨で装飾された礼拝堂があるそうだ。御堂の内部装飾を頭蓋骨やら大腿骨で飾り立ててあるという、そのことを思い出した。東と西と遠く離れているけれど、人間の情念は似たり寄ったりなのだろうか。

 

 

墓石群の麓にある「妙覚寺」という小さな寺に立ち寄ってみた。あの墓石群のある墓地そのものはこの寺のもので、「日徳海」に依頼されて墓地の上のほうを提供したらしい。しかし寺にはそれに関する説明も何もなかった。

境内に古い時代(1454年)の板碑(市指定文化財)が設置してあり、誰もいない森閑とした境内に紅葉や楓の春の芽吹きが、美しく風にそよいでいるばかりだった。それはまるで秋深い紅葉を思わせるが、葉は生きいきとして命にあふれていた。


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さて、また三沢川に戻って上流へ行ってみようと思う。

 そこに何があるかそれとも何もないか知らないが、何もなくても何かをお求めているわけでもなし、時間だけはまだ十分にある。春の日永を夕暮れ迫るまで歩き続けてもだれも文句は言わない。

すぐに三沢川に架かる橋に出た。左岸は河川敷公園のようにきれいに整備されていて、土手の草原に若い男女がぽつんと腰を下ろしていた。土手の染井吉野は散り始めているがまだ半分ほど花びらが残っている。

 

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 両岸の遊歩道はほんとにきれいに整備されていて若い女性なども散歩している。散り始めた桜並木は残った蕊が赤い色をしているので、何かの花のように見える。桜が散ってまた別な花が咲いたように見える。これはこれできれいだと思う。

水の底には鯉が獰猛な瞳を隠しながら漂っている。水面に浮かんだ花筏をいやらしい大口を開けてざばりと飲み込んだ。空には薄い雲が広がっているが温い風がさらさら吹いて長閑な気持ちがする。この長閑な感じは遠い昔にも同じように感じたことがあるように思う。周りや人は変わっても風は昔のままの風であるらしく、それを感じている。

 

 

道々古い甲申塔などにも立ち寄ってみた。ほとんどが砂岩らしき石に青面金剛を彫り付けたもので、形が溶け目鼻が崩れ文字は消えてしまっている。だけれども、みな鞘堂に収められて大事にされているらしい気配がある。よそ者(地方者)が多い東京の地で、このことはまた不思議な感じがした。

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岸辺の遊歩道に、 目に見えないほど少しずつ春の宵の気配がどこからともなく沁みだしてきて、子供たちがそろそろ家路を辿り、急ぎ足のおかみさんが買い物かごを下げていく。いつも思うけれど、帰るべきねぐらがあることはすべての動物にとって、この上なく幸せなことではあるまいか。ともかくも安心して夢に落ち込むことができる。

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5時半を過ぎて、いくら風来坊を気取っていてもそろそろねぐらに帰らねばならぬ。

お寺で休憩しつつ、はてどこへ向かったらよかろうかと地図を睨む。目換算だけれどここから北へ3㎞ぐらい歩くと南武線南多摩駅がある。もっと近ければ京王線若葉台駅だけれど、そのあとの乗り換えが面倒だ。

南多摩駅を目指す。大きな道路に出て丘陵の高みを越え、そして下り、また大きな道路に出て多摩ニュータウンの一角に入る。多摩ニュータウンは大部分が多摩市だけれど、この辺もまたニュータウンとして開発された。

馬鹿みたいに広い道路と、周りにそそり立つ高層マンションと高級戸建て住宅の中をもはや、しおしおと俯きながらひたすら歩く。帰り道は何の楽しみもない。それでは可哀想なので、よし、南多摩駅前に蕎麦屋があればそこで反省会を一人で挙行しようと決める。それを元気の素としてひたすらに歩く。

 

 

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 南多摩駅前に蕎麦屋はあった! 

入ったら壁にトンカツやらカレーやらキムチどんぶりやらのメニューが貼ってある。これはしたり失敗した、瞬時に思ったが、ではさようならと帰るわけにいかない。例によって例の如く、日本酒1本と盛り蕎麦。

日本酒を一口含んでとたんに帰りたくなった。雑味だらけで舌を刺激する。しかし意地汚く全部飲んで蕎麦を啜るとこれは案外まともだ。などと自分勝手な判断と偏見とのオダを聞こえないように口ごもってそそくさと電車に乗る。

 

 

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 春は急ぎ足で通り過ぎるらしい。

また来年になったら来るさ、と思ってもだれも保証はしてくれない。

だからせいぜい歩こうと思う。

本日はおよそ13,4㎞? (途中JPSを誤って遮断、歩数計からの推計値)

 

 

 

あてなく彷徨せしこと

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多摩の南部に稲城市という街がある。

どういうわけか自分にとっては馴染みが薄い。多摩川を南側へ越えた先にあるので行く機会がないのかもしれないが、よく考えてみればそこへ行く便利な交通機関がないことが大きいと思う。

東京の交通機関は、ひたすら都心を目指すから東西を行き来するには便利だけれど、南北を縦断しようとすると甚だめんどくさい。多摩から横浜方面へ南北に縦断しようとすれば、相模線、横浜線南武線などがあるが、いずれも運行本数が少なく快速も特急もなく大いに不便だ。

 

忘日、その不便をえいやっと乗越えて稲城市へ行つもりになった。

行くには行ったけれど、どこへ行こうかという目的もなければどこかに用事があるわけでもない。ま、駅に降りて行く先がなくたちまち狼狽してもなんだと思い、簡単な地図を一枚コピーはしてきた。

降りた駅は南武線稲田堤駅川崎市のエリアだがここから三沢川という大きからぬ流れが稲城市のほうへ続いている。その川に沿ってよたよたと溯ってみようか、とうすぼんやりと考えている。

 

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三沢川は清流とはちと言かねるけれど、両岸に立派な遊歩道が続いていて歩きやすい。源流部はコピーの地図を見ると多摩丘陵のどこかの麓らしい。この辺りは多摩丘陵の一部で、その山肌が湧き出すように芽生えたばかりの新緑に覆われ見ごたえがある。

岸辺の遊歩道には、こちらと似たような爺様がぽつりぽつり歩いている。ぼんやり歩いていくと丘陵の麓に鳥居が現れ、看板に名水だとかなんだとか書いてある。近寄ってみたら、鳥居の奥に不細工な弁才天がいて、脇に洞窟が二つ口を開けている。滴るような湧き水だがここへ水くみに来る人も多いらしい。

 

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地図を見るとこの近くに小沢城跡というのがあるらしい。行きがかり上見てみることにしたが、そこへの道がまるで分らない。向こうから来た爺さんに聞いてみると、だいぶ戻らなくてはその場所には行けないそうだ。戻るのは癪だが仕方がない。

爺さんは戻る道だから案内するという。見目麗しき女性ならよかったんだがなあ、と思いつつも一緒に歩く。爺さんは饒舌、87歳の今でもバス送迎の仕事をしている、むかし法政二校で甲子園を経験している、甲子園の経験は人生に大きなプラスになった、今は毎日4,5㎞歩いている、云々。

 

 

爺さんが案内してくれた城址への上り口は、さっき歩いた岸辺からちょっと奥まった場所だった。これでは見落とすも何もない、岸辺にも簡単な案内板があれば見落とすなんてことはないはず。川崎市、もう少し考えろよな。

小沢城跡へのルートは丘陵の尾根道、高くもないその尾根まで階段を上る。たちまちハアハア息が上がるのは日ごろの怠け癖のせいだろうと考えるが、登っては下り下っては登る尾根はなかなかきつい。ようやく小沢城跡に到着。

 

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ちょっとした平らな場所だけれど、説明板には頼朝の重臣、稲毛三郎重成の山城だったとある。北側が多摩川の流れの崖で要害の地だったとか。昔はこのすぐ傍まで多摩川の波が洗っていたらしい。今は2,3㎞北にその岸辺が移っている。南側にはよみうりランドがあるらしい。

城址の柔らかな若葉がとても美しい。 なのでここで昼飯、コンビニおにぎり1個をかじる。そこまではいいのだけれど、さてここからどこへ行こうかと考える。コピー地図によれば西側に「南山ありがたや墓石群」という文字が見える。そこへ行こうと思う。

そこへ行くのはいいとして、どこをどう行けばそこなのか全く分からない。携帯を出して様々見てみると、どうやらいったん地上に降りないとダメなようだ。ともかくも下る道を降りてみたら、「よみうりランド駅」前に出た。

駅員に「南山ありがたや墓石群」に行くにはと聞いたが、さてね地元の人に聞いてくれだと! ふん! 駅の向こうの店の脇を通りかかった普段着の、袋を下げた、今度はある程度見目麗しき女性に聞くと一発、入口まで案内するとのこと。神様はいるものだ。

 

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ここを山のほうに入るとそこなんだけど、いま宅地工事をしているらしく目的地まで行けるかどうか? という。ようやくという感じで細い道を上ると、お墓を撤去した後のコンクリの土台が無残にむき出しになっている。

その先は、浅い谷の上へ上へと墓地が並んでいた。またハアハア言いながら谷を上ると頂上が見える場所で思わず息をのんだ。目の前の谷間をびっしりと小さな墓石が埋め尽くしている。その数何百なのか見当もつかない。

朽ちかかった灰色の、墓石、地蔵像、五輪の塔、宝篋印塔、それらが横一列に幾段にもなって立ち並んでいる。なんだかうそ寒いような気がした。

 

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 文字も読めないような古く小さな墓石、目鼻立ちが定かでない地蔵、古い形の墓石、観音像やら阿弥陀像(区別はつかないが)やらの仏たち、それらに周りを取り囲まれたような気がする。読める文字を拾ってみると、おおむね江戸時代の年号が刻んである。

 

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 これはいったい何なんだ? この土地の人々のうんと古くからの墓石を処分しないで谷の奥に安置したのだろうか? と考えてはみたが、よくわからない。よくわからないけれど衝撃的な印象を受けた。谷間を降り向こうの街並みが見える場所で休憩、食べ残しのおにぎりを頬ばって考えてみたがよくわからない。

 

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下の民家で地元の人に聞いてみよう、なんと幸運にも八重桜が美しく咲く家からおじさんが出てきた。おじさんによれば、関東大震災の後、東京の谷中や駒込あたりから無縁仏をここに集めて祀ったのだ、とのこと。

しかし帰宅後ググってみたら、こんなことだったらしい。

1940年から1943年にかけて、道義的および宗教的理由により駒込地区に存在した無縁仏等がここに移動された。この移動作業を行ったのは「日徳海」と称する団体であり、現在もありがた山石仏群の奥にある仏舎利塔の奥に日徳海の施設が存在している。(ウェキペディア)

 

 

 それにしても、1940年から1943年は戦争中、その時期に無縁仏の供養のためにこれだけのことをした!? そもそも「日徳海」とはどんな宗教団体なのだろう。本部は稲毛市に現在もあるらしいけれど、謎は深まるばかり。

 

 

 

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謎だらけで頭が混乱、

後のことはまたあとで。

 

続きますねん。

 

 

お徒隊さんぽ

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平成お徒隊、今回は北多摩を徘徊。

武蔵野線東所沢駅なる有名でない駅前に集合したのは10名、のんびりしたような顔をそろえた。いずれ劣らぬ駄馬なれど”武蔵野の花を横切る駄馬の列”みたいに駅から南下して大きな街道を突っ切ればすでにして広大な畑となった。

畑の しっとりとした褐色の土が緩やかに波を打って右へ左へはるかに広がる。前は柳青める新河岸川の岸辺、目の前が広々と一気に開けて、思わず深呼吸の一つもしてみたくなる。うらうらと春の日、と言いたいところだが風がまだ少し硬い。

 

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都内はソメイヨシノも散ってしまったようだけれど、新河岸川の堤ではまだ大丈夫。散り始めた花びらの上に先日はボタン雪が重なって舞い降りた。思わぬ寒さにびっくらこいて、急いで萌え出した若草が目に染みる。菜の花畑ではむせっけえるような香りが駄馬の鼻孔をくすぐった。

川の上の空は川に沿ってひょろりと長い。その空を乳白色の薄い雲がふさいでいるが、春の空ではある。雲雀が鳴いていてもよさそうだが、さすがに雲雀は留守のようだった。代わりに川面にアオサギが呆然とか玲玲とか知らないが突っ立っていた。

 

埼玉から東京に入って屋並みの中の細道をぶらりぶらり、そして駄馬駄馬と歩く。東京といってもビルではない、畑の中に民家が続く。畑の間を歩いて突然目の前に富士塚がにゅっと立ちはだかる。下見の時は塚の上に登れたが今日は入り口でとうせんぼ、ガイド氏は、聞いてないよ~! の面持ち。

 

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ま、たかが15mほどの高みに登ったからどうだというわけではないから登らなくてもいいが、ただ江戸時代の石碑やら石造物やらも見られ(”ら”は入れる!)ないのはつまらない。 でも、平らな土地にこれだけの塚を築くのは容易じゃないな、と思う。

富士信仰もさることながら、当時の人だって、なんでんかんでん高いところに登りたがったのじゃあるまいか? そこへ登ってみれば普段見る景色がまるで違って見える、これにあくなき好奇心を抱いてこんな塚を方々に作ったのだ、たぶん!。

 

 

大通りをわっせわっせと歩き清瀬駅を乗り越え商店街の細道を抜けて、縄文遺跡が発掘されたという眺めのいい場所で駄馬様御一行の昼飯。近くに食物屋はないから全員弁当ないし握り飯、その様子を恭しく拝見するところによれば、全員なにやらいそいそとベンチに寄り集まって、じつに楽しそうにかつ旨そうに摂取している。ファミレスなどよりこのほうがはるかに旨いし楽しいに決まっているのだ。 

 

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公園で井戸端会議の花を咲かせたり、野火止用水の縁でセキレイに会合したり、道々の草花の名前を教えあったり、すっかり打ち解けてぐいぐいよろよろ進んだ。そうして江戸時代に設置されていたという、野火止用水に係る復元水車に到着。

「しかし〇〇市はけしからん。水車を復元するのはいいとして廻ってないじゃないか!」「そこへ行くと三鷹市の水車、しんぐるまはよかったねえ、江戸時代と同様動いて粉を挽いてたもんなあ!」確かに、水車の底力を見たように思ったね、あそこでね。

    

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さてまた、わいわい歩いて東村山駅を越え、名刹、正福寺。

地蔵堂は国宝指定、だからかどうかじつに美しいお堂、屋根の反り具合のその曲線のなんとも言えない案配。同行された某先生はこのお堂の魅力に取りつかれたお一人の由。何回も来られているとか。

春の日は長い。まだまだ時間はたっぷりある。大きな本堂の庭の脇の石に腰を下ろして大休憩、それぞれにそれぞれがよもやま話の花を咲かせる。誰からか飴玉なども配られ、春の午後のとろりと時の止まったようなひとときがゆっくりと過ぎていく。

 

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本日の歩行距離は約15kmほどだとか。

”行く春を惜しんで今日の三歩四歩” (駄馬)

  お約束の懇親会は東村山駅でささやか~に。

 

 

 

桜散り雪が舞う

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                        (画像は関係ないけど)

 

桜が名残を惜しんではらはらと散る上から、恐ろしく大きなボタン雪が落ちてきた。

まさかとは思ったけれど、人の思わくなんてどこ吹く風、構わず降ってきた。

 関東で4月の雪、あまり聞いたことがない。

 

雪はひと時で終わって、そのあとびしゃびしゃと冷たい雨が続いた。

真冬でもこんなに寒くはなかったよなあ、と喉元過ぎて記憶も朧だが・・・

寒いと表に出る気がしなくなるから面白くない。

 

 

暑さ寒さで思い起こすのは、ホモサピエンスの適応力。

+50℃~ー50℃まで、100℃の幅をもって凌いでいるらしい。

一体どげな案配に体が調節しているものやら見当も付きかねる。

 

普通の獣はこんな手品みたいなことはとてもできないに違いない。

獣は服を持たないし丸裸にもなれないのだから当然といえば当然か?

それとも進化の末端でサピエンスに備わった能力なのか?

 

 

しかしながら進化の果ての適応なのかどうか、極めて厄介な存在でもある。

平然として、嘘を言い騙しはぐらかし裏をかき押し込めいたぶりそして殺す。

こういうことの無かった時代はいまだかって無かったしこれからも無いだろう。

 

そしてこの裏側もまた存在するらしい。

他を思いやり力を添え慰め励ましかわいがりそして愛し自己を犠牲にもできる。

表と裏が混然とまじりあってその時その時に表が出たり裏が出たりする。

 

だから厄介だ。

 

 

(桜に雪が降る日だから支離滅裂は天気のせい)

 

 

 

さんぽ

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午前中の曇天がだんだん晴れて陽が差してきたので午後から出かけた。

このところ寒さがぶり返して花曇りなどとテレビが言っているが、すこし風があるものの思ったほど寒くはない。毎年桜のころはひどく寒い時があるので、これで平年並みなのだろう。

 

多摩川の堤防に出ると、細長いヘルメットをかぶって体にぴったりしたタイツのような服を着た自転車の人や、ゆるゆると歩みを進める老夫婦や、どこ行くあてもなさそうな若者たちやらがぞろぞろ土手を歩いている。そういえば今日は休日で人が多い。

 

土手の桜(ソメイヨシノ)はまだ4分咲き2分咲きぐらいで都内のように満開にはなってはいない。その桜の枝の奥から思いがけないほど澄んだほ~ほけきょの声が聞こえた。声はよく聞くのだがまだその姿を見たことがない。声にふさわしいきれいな姿をしているのか、声と姿は似て非なるものか一度じっくり見てみたい。

 

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河川敷の公園に来た。きれいに刈り揃えられた芝生の上で幼児がよちよち歩いている。小さなテントがいくつか置いてある。小学生ぐらいの子供がいっぱい駆け回っている。少年野球が試合をしている。家族連れが芝生の上で食べたり飲んだりしている。

風が収まってうらうらと陽が照って汗ばんできた。着ていた分厚いセーターを脱ぐと心地よく汗が引いていく。遠く奥多摩の山々は春霞の中にけぶって空との境がぼんやりしている。芽柳がうっすらと緑に染まって揺れている。

 

 

更に行くと土手の脇に何百本かの桜があり、ゆるやかに曲線を描くその下を大変な数の人が歩いていた。まだ花は2分咲きぐらいだが、桜まつりをやっているらしい。土手の斜面や道路わきで宴会が繰り広げられている。

その桜並木の真ん中あたりに小さな公園があり白い大型テントで埋まっている。その辺りでは、鍋窯を持ち込んで大掛かりな宴席を設けた大事業と、土手の縁に腰を下ろして銘々に焼きそばを食ったりたこ焼きを頬張ったりする個人事業が展開されていた。

 

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桜の土手を過ぎればだんだんと人が少なくなってのんびりと歩く。陽射しが強くなってシャツで歩いてちょうどいい。多摩川の浅い流れがきらきらと照りかえってゆらゆら流れていく。土手の枯草の間から緑の芽が伸び始めた。老夫婦が何かを摘み取っている。

芝生と花壇がある公園で一休みする。この前花キャベツが植えられていた花壇には三色スミレが勢いよく天空に向けて花を開いていた。向こうの雪柳が満開。ここは桜がないからか人はあまりいないが、バーベキューコンロが設備されているところには大勢が固まって飲み食いしていた。

 

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土手の上を歩き続けて羽村の堰に到着。流れてきた多摩川の水のそのほとんどが玉川上水に流し込まれ、ほんの少し申し訳程度に本流に戻されている。玉川上水に入った水は、青く渦を巻き勢いよく流下し、そてその半分くらいはすぐ下流で狭山丘陵の貯水池に送られる。ここでも桜祭りがおこなわれていて人が大勢出ていた。

 

 

さて、今日の目的の半分は羽村駅前の蕎麦屋で盛り蕎麦をつまみながらほんのちょっと酒を飲みたいということ。で、そそくさと蕎麦屋に行ってみたら、昼は3時半まで、夜は5時半からと看板が出ていた。前回は3時半までに入ったらしいから気が付かなかった。今4時ころであり、5時半までは待てない。

 

だから、そのまま帰るかと思えば帰らない。ほんの一杯やりたいと思っていた気持ちはそう簡単に立ち消えになりそうもない。ぶらぶら歩いていたら小さなおでん屋があって営業している。初めてなので当たりの店かはずれの店か解らないからちょっと迷う。

 

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意を決して、入る。(大げさだな!)

細長い店でカウンターが10席ぐらい、奥に小上がりがあるようだ。

入口のすぐのカウンターに座る。目の前におでんの鍋、その向こう側で痩せこけたばあさんが忙しそうに何かやっている。

奥から爺さんがいらっしゃいといったようだが、このばあさんはむっとして眉を寄せ大変愛想が悪い。

3席ぐらい奥に金髪のばあさんが一人座ってビール瓶を前に置いている。ちらりと見るとイカゲソの皿がある。

日本酒と、大根に竹輪のおでんを頼む。目の前のばあさんは愛想が悪いけれどばあさんのお愛想を飲むわけじゃないから構わない。

 

お酒をお代わりして、というのは値段の割に旨かったので、つまみを追加してそうしてだんだん心地よくなってきた。ゆるゆる観察して分かったのだが、不愛想のばあさんがこの店を切り盛りしているらしく、亭主らしい爺さんはばあさんの下働きらしい。

酒もまあまあだったし、つまみもまあまあの味だった。とろとろとこころの奥が蕩けそうになる。春や春ほんの少しの酒もあり、てな気分になってくるが、用心しないと酔っぱらいそうだ。金髪ばあさんはビールを飲んでいるのではなく、焼酎をビールで割ってなめているように思えた。ばあさんが昼間から何を飲もうと許せる気分だ。

 

 今日歩いたのはお昼過ぎから8㎞ほどだけれど、歩いた後の昼酒は大変良く効く。

不愛想ばあさんが必死の形相で、店の味と値段とを守っているらしい小さなおでん屋を満足して出て電車で帰った。

 

 十分に満ち足りた午後。

 

 

 

下見のために下見

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忘日、平成お徒隊の5月コースの下見に行く。

構想は8割がたできているのだが、資料にはめ込む写真がない、というより前歩いた時の写真がどこかに格納してあるはずだけれど、季節が違うだろうし、探すのも厄介だし、面倒くせえから歩きに行って写真を撮ってくる。どうせ暇だ。

 

西武線花小金井駅で下車、表に出てみたらなんだか様子が違う。あれれ!? 駅前が変わってしまったんだろうか? 狐に化かされたような気分になって、もう一度駅に戻ってみたら、南口に出るべきを、なんとまあ、北口に降りていた。

 

こんな調子で他人を案内して歩こうなんてえ、太え根性だとつくづく思う。

南口は当然のことながら前と同じ佇まいでおおきに安心した。ここからサイクリング道路、正式には「多摩湖自転車歩行者道路」を歩く。

 

この道は村山貯水池の水道水になるべき水を境上浄水場まで送る導水管が埋まっている。だから貯水池までほぼ直線、車を通さないので自転車と歩行者の専用になっている。そして貯水池からぐるりと多摩湖を巡って、併せて20㎞強の距離。

 

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車がいない道だから、うんと若いの、中の若いの 若くないの、いろいろといる。苦しげに走る人だっている。道脇には草木が植えてあって、花のトンネルや緑の屋根を作る時もある。また、小平市ゆかりの彫刻家の作品がごく控えめに置いてある。それらを見ながらゆるゆる歩くのはいい気分だ。

 

 

この日は少し寒かったが歩いているうちに何とかなるだろう。
青梅街道と交差するところに「小平ふるさと村」なる小公園がある。この地の江戸時代の民家などが移築復元されているが、見どころは武蔵野の一面の茅野原に初めて鍬を入れた江戸初期の入植農民の想定復元家屋。

壁は萱を束ねて作ってあるし、当然屋根も萱、狭い土間の奥に竹を編んだ床の座敷、地面に蓆を敷いただけの寝所、いやはや、冬はどれほど寒かったろうか、想像の外にある。こんな小屋に潜り込んで食うものも食えず、骨のきしむような労働に明け暮れてこの武蔵野の原野を切り開いたに違いない。

   

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江戸期を通じて開拓されていった村の絵地図があった。

緑の部分が一番最初にできた「小川村」、その他は享保の改革で生まれた武蔵野新田、これでほぼ現在の小平市域と重なる。このようにして一面萱の原の武蔵野原野が開墾されて、今日の多摩地方がある。夢おろそかに思ってはいかん。

 

 

さてここからは自転車歩行者道路を離れて青梅街道を歩く。

 今年度のわが受持ち3回のシリーズを”青梅街道の脇を歩く”と名付けたのだから、是が非でも青梅街道は歩かねばならぬ。街道沿いのお寺や神社やらを2,3廻って、車ブンブン街道が嫌になった。少し早いけれど昼飯にすべえ。

 

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目の前にチェーン店の中華屋あり、安くて腹に入れば何でもいい、入る。メニューを見ると安くない。仕方がないからチャーハン、到着まで新聞に目を落とす。チャーハン来た、旨くもない、街角のあのラーメン屋のチャーハンの、油を焦がしたような香ばしさもない。これだからチェー店は嫌だなあ、個人店よ、消えてくれな!

 

新聞から目を離して餌の摂取に取り掛かると、斜め前方3,4m先の席でこちらを向いている女性が気になった。隣の、たぶん彼女の娘だろう少女二人のほうを大きな瞳をくるっと回して時々見る。目の前にはこちらからはよく見えないがメガネの同年齢の母親とその娘、そちらと話しながらちょいちょいと娘らを見る。

その表情が誰かに似ているなあ、と思った。そうだ、岸恵子、あの丸顔をうん!と両側から押して細くし、年齢をやっ!と思い切り若くして、そして大きな瞳がくるくる回って娘らに注意の一瞥をくれ、前の席と話をし、時々麺を啜っている。その表情が生き生きとしている。

向こうは気づいているだろうが食事がまずくなるので決してこちらを見ない。

 

 閑話休題、また青梅街道を歩く。この街道ができたのは江戸の初期、青梅の石灰を江戸まで運んだ。家康が来てすぐのころ、江戸城普請の盛んなりしころのこと。今はそんな面影は影にしたくてもない。街道の何もないところをとぼとぼと歩くのは全く持ってつまらない。ひたすら疲れる。

本番でこの何もないところをどう切り抜けるか。考えられるのは、何もないところの中間点のあたりで、ここで飯じゃあ~、と叫ぶこと。そしたらエネルギーを補給して休んで少しばかり元気になるだろう。

 

 

一番最初に開発された「小川村」に入って小川寺(しょうせんじ)に行く。

開発者の小川九郎兵衛が当時の入植者のために開基したお寺。開拓農民の生活が少し安定してから農民が寄進してくれた梵鐘がある。その鐘に寄進者の名が刻まれているが、みな名字がある。江戸時代の農民はすでに名字を持っていたらしい。

墓地のとっつきにスマートな宝篋印塔が立っている。九郎兵衛の墓といわれ市の文化財。説明によると、彼は武蔵村山市の(当時の岸村)生まれ、先祖は後北条氏の家臣で当時は名主の家柄。彼は「小川村」の基礎が安定してから隠居して岸村に帰りその年48歳で逝去、墓は岸村にあるのだが、孫が分骨してここに埋納した。

  

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 さてさて、ようやくあと一息。

青梅街道から離れ、開拓当時に玉川上水から分水した用水掘りに沿って歩く。この用水掘りは今でも小平の民家の間を流れている。おそらく江戸時代のままに。その堀の岸辺に、近くの武蔵野美術大学の学生が制作した彫刻が並んでいる。

 

 

そして玉川上水に突き当たる。少し上流に行くと「小平監視所」なる施設がある。これは羽村から取水した玉川上水の水をゴミなど取り除いて、そのほとんどを搾り取って村山浄水場に送る施設だ。ただ、先ほど歩いた小平を流れる用水掘りの水は同じく多摩川の真水。

つまるところ、ここから下流玉川上水野火止用水多摩川の自然水ではないということ。代わりに何を流しているか、高度処理水とのたまう水なのだ。東京の水事情は過酷で、一滴まで水道のために搾り取ってしまう。

玉川上水は、まず羽村の堰下流で抜き取られ村山貯水池にどんぶらこと流れ、それが導水管で境浄水場に送られ、少し流れてここでまた最後の一滴まで絞られ、そうして下流には人工? の水があたかも清流の面構えで流されている。

岸辺に置かれた自然石の文字「清流の復活」が寂しい。

 

 

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 玉川上水駅到着。歩行距離JPSにて12㎞。時刻はまだ3時ちょいすぎ。

 

電車に乗って地元近くの駅で途中下車。

中国人の若者経営の安い店、紹興酒の亀出し1合(なに、7勺位だな、たぶん)

ごぼうの天ぷら、野菜のあんかけ炒め、ニラと卵のスクランブル。お代わりに5年物紹興酒1合、これでいい気持ちになって帰りましたとさ。