doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

越後信州駆巡ー十日町の夜ー

f:id:donitia:20190604092549j:plain

 

 

 忘日、八海山の麓の里で遊んでいたら夕方になってしまった。

最初のもくろみでは今日中に出雲崎を経て柏崎へ行く予定であったが、朝の出発が2時間ばかり遅れたとは言え、それはなんぼなんでも無謀というものだった。ここらで潔く観念せずばなるまい。それに多少疲れてもいる。

さて、どこへ行こうかと考える。このままこの谷筋を下って小千谷、長岡方面に出るかとも思ったが、なぜか十日町という街にこころ惹かれる。ウェブで探索した限りでは、うらぶれた寂しげな街のようだ。貧乏旅行にふさわしいなあ、と思う。

 

十日町に向かった。北の低い山を一つ越えるらしい。ほぼ同じルートを「ほくほく線」が走っているが、長大なトンネルを貫いて、線路も何も見えない。緑に覆われた山道を走る。時刻はもう5時ごろだがまだ明るい。

どのあたりをどう走っているのか、運転しているのは自分に間違いないが、ナビゲーション任せだから自分はちっともわからない。これはほんとは由々しきことだと思うが、機械任せ、機械まみれの生活だから機械の奴隷に甘んじている。

 

 6時ごろ十日町に到着し車を降りて街中を歩いてみる。すぐそばにマーケットがあったので朝飯用に果物とサンドイッチを買う。さて、夕暮れが街の中に静かにそしてゆっくりと浸透してくるについては、居酒屋を探さねばならない。スマートフォンで検索しながらそちら方面に向かう。

街中を歩いてみると、やはり零落した寂しさが漂っているのを感じる。人通りも車通りもほとんどない街道の両側に、くすんだ古い家並みがひっそりと佇んでいる。飯山線の線路に突き当たった。線路に沿って歩いてみたがどうも方角が違うようだ。

ナビゲーションの地図を手にしながら道に迷う、という希代な人間、これだから自分の行く先を機械に決めてもらわなければならない。ぐるりと回って元の場所に出、よくよく機械に相談したうえでようやくそれらしき地域に入る。

 

 

 

f:id:donitia:20190608125437j:plain

 (https://townphoto.net/niigata/tokamachi4.htmlからお借りしたイメージ。一軒目の居酒屋がこの通り

 

そこは町の中心地の一角らしく、雁木(アーケード)の下に古い商店が並んでいるが、どこも閉まっていて薄暗い街灯が侘しくシャッターを照らしていた。中にぽつりと明かりがついている一軒の居酒屋に入る。なんだか洞窟のような中にカウンターだけがあった。入り口脇の中2階のような狭い部屋に若者のグループが一組。

中年の店主が一人、地酒を、というと「松乃井」という酒をコップで出してくれた。店主がアスパラの素揚げがうまいよ、という。それとイカ焼きを頼んだ。そして「お通し」に海藻を練りこんだ細いうどんの上にトロトロ半熟卵が出てきた。

酒は辛くはないが癖のない味でするりと喉を通る。ここの名物は何かと聞くと店主は何もないね、雪だね、という。「海藻を練りこんだ蕎麦やうどんが多いね」「山の中だから腐らない海藻をよく使ったんでしょう」

腹が減っていたのか、ほくほくしたアスパラも、肉厚のイカも、つるつるしたお通しも旨くてすべて食ってしまった。しかし、この洞窟の中で、どこにでもあるこれらを食してもなあ、と思い一杯だけでやめた。これだけ食って1500円。

 

さてまた少し歩き回ったら、裏通りのような場所にグーグルには出てこないお茶漬けの店があった。一瞬我が頭に、和服の上に白い割烹着を着て髪をきりっと纏めた、妙齢を少し過ぎた女性が白木のカウンターの向こうでゆるりとお茶漬けを作る姿が浮かんだ。

ふらりと入ってみれば、白い割烹着の姿はなく近所のおばさんという風情の女性が、うようよ居た。白木のカウンターもなく、料理の出し入れに使うのか短い台の前に、それでも椅子が置いてあり、とりあえずその椅子に座る。

ここでも、地酒をというと松乃井か八海山という。松乃井は今飲んだばかり、八海山を注文、2重になったガラスの徳利に氷を入れその中に冷えた酒が出てきた。初めて飲むが甘口のようだ。何か珍しい漬物でもと思い盛り合わせを頼むが普通の漬物だった。

 

5,6人もうようよいるおばさんの中で、中年の男が一人奥の厨房で料理を作っている。よく見ていると、おばさんたちはそれぞれみな忙しく立ち働き、奥の座敷に宴会があるのか、料理を次々運び込んでいる。その中で少し背が丸くなったお婆さんがここの指揮者であるらしく思われた。

黒板のメニューに「いご」と書いてあるので、これは何だと聞くとそのお婆さんが海藻だというから注文してみた。お婆さんが調理するところを見ると、薄いこんにゃくの板のようなものを切り刻んでいる。海藻を煮とろかして固めたものとのこと。

「いご」はほのかに海藻の香りがする。何に例えたらいいか思いつかないが、旨いとも不味いとも曰く言い難い。八海山が終わったので、辛口をと言ったら、じゃ「鶴齢」をという。塩沢の名酒だとか。今度は小さな徳利に入って出てきた。

鶴齢ã®ã¬ãã¥ã¼ by_ãããã¹ã­ï¼

 

お婆さんにこの街の特産を聞くと「織物だだったがな、今はもう・・・」「小地谷ちぢみ、みたいなものかね」「絹織物だね、昔は盛んだったがね・・・」そのことがこの街を水底に沈んだような印象にしているのだろうか。諸行は無常。

鶴齢は無論初めて飲むが辛さもほどほどすっきりして飲みやすい。今宵日本酒3杯目で少し酔ってきたらしい。女性軍の中で奮闘中の男調理人に「女性の中で男が一人、よくいろいろ指図ができるねえ、えらいもんだ」と言ったら、自分はどこそこの料理人で今夜は奥に団体が入っているのでその応援。この店はこのお婆さんを中心に女の人だけでやっている、とのこと。

カウンターの一つ空けて隣に若い衆が一人ビール一本を前にして影のように座っていた。こちらが婆さんと話していると、唐突に割り込んで何か言う。もうだいぶ出来上がっているのかもしれないが、今しがた引きこもりから這い出したばかりの青年、という印象。このまま飲み続けると、酔って彼と一緒に泥の底へ沈ん行きそうだ。そこでごちそうさまとなった。2400円也。

 

 

表に出てみると初夏だというのに恐ろしく寒い。

侘しい街で侘しく酒を飲むのは大いによろしい。

そうして気分が落ち込んでいく自分を見ている。

 

 

越後信州駆巡ー塩沢ー

f:id:donitia:20190603183037j:plain

 

 

忘日、早朝に無理して起きてみたが雨がしょぼしょぼ降っている。

あまつさえ昨夜は寝酒などきこし召して寝たのに眠れず、まだ酔(え)っている感じがする。ええ~いままよ、めんどくせえ寝てしまえ。で、今度起きてみたら7時、では出かけてみよう。

今度の旅行では密かに思い決めたことがある。曰く。

・貧乏旅行に耐えるべし。

・高速道路は使うべからず。

・地方の旨いものは貧乏にかかわらず食ってみるべし。

・夜の居酒屋は欠かすべからず、その際は貧乏の例外的措置を講ずべし。

 

 

早く首都圏、というか前橋を通過してしまいたい。田舎道を走るのは気持ちがいいが都会道は至って面白くない。ところが走ってみれば高崎線沿線の街々を通過するについてはバイパスがうまく案配され、大変良くできており感心した。

熊谷の郊外を大回りして通過し、伊勢崎の街をかすめ、高崎、前橋をはるかにやり過ごし、まあまあ順調に渋川に至る。ここまでくればシメたもの、あとはゆるゆる走ればいい。のだが、今までの勢いなのかそれとも性格なのか、なんだか追い立てられるような気分が抜けない。

 

 

たちまち沼田を通過して、いよいよ三国峠に係る。くねくね曲がった峠道に湯宿、猿ヶ京、法師などの温泉地の看板が行き過ぎていゆく。ではここらでひとっ風呂浴びていくか、などと余裕が持てれば言うことないが、峠にかかれば早く越えたい、早く平地に出たい、と全く貧乏根性、余裕がない。

f:id:donitia:20190603190053j:plain

 しかし峠を埋め尽くす若葉は美しかった。標高が高いせいかようやく春になったような瑞々しい葉っぱども、どこを見回しても緑みどりみどり。そしてトンネルを抜けると新潟県、くねくね道がまっすぐになったが、勾配はきついらしい。

右手に苗場、かぐらなどのスキー場が現れ、ようやく越後湯沢の平地へ。「石打」の看板を見て懐かしさがこみあげてきた。昔、若かったころ、土曜午後から抜け出して何べんここへ来たかしれない。往時は茫々なれど。

 

 

両側の山並みが少しずつ左右に広がってゆき、遠くに残雪を抱いた薄青い山並みを見たとき、ああ! ようやく来たなあ! の感慨ひとしきり。街の中の国道をゆったりした気持ちで走る。

f:id:donitia:20190603204649j:plain

 

 

塩沢の駅前、鈴木牧之記念館到着。空はあっけらかんと晴れ渡って眩しい。ともあれ記念館に入る。ざっと一渡り見て回る。『北越雪譜』の記述を思い出す。豪雪の年の屋根まで積もった雪を懸命に片づけている人々の写真が印象的。とんでもない雪の量が実感される。やはり写真の印象は生々しい。

しかし展示の文章など読んでいた日にゃあ、日が暮れる。さらりと流すようにして見る。いつも思うのだけれど折角こういう施設に入ってもじっくりと見たことがない。何でもかんでも急ぎ過ぎる。ほかに見学者は一組ほど。閑散。

f:id:donitia:20190603205441j:plain f:id:donitia:20190603205513j:plain

 

 

記念館の表通りは「牧之通り」と名付けて、かっての三国街道塩沢宿の街並みを再現した建物が並んでいる。歩いてみる。昔の建物を保存してあるのではなく、それぞれ新たに復元新築したらしい。木造なのかどうかも分からないが、街並みは美しい。

観光地にありがちな、お土産屋、喫茶処、飲食店などはほとんどなく、普通の商店街のように本屋、電気屋信用組合、美容室、医院、郵便局などが並んでいる。人通りは皆無と言ってよく、車もめったに通らない。イタク気に入ったなあ!

f:id:donitia:20190603212149j:plain

f:id:donitia:20190603212245j:plain

 

 

もうお昼もだいぶ過ぎてしまったので、ここで昼飯にしようかと思い、記念館を出るとき、受付の色白で細面の越後美人に聞いて蕎麦屋に行ってみたら、今日は営業していないとのこと。南無さん、ついていない。

もう面倒なので、念願の八海山麓を目指し神社の蕎麦屋さんに行っちゃえ、と思う。行くのはいいのだけれど、気が急くのか腹が減ったからなのか、やたら先を急ぐ。ゆるゆる行こうぜ、と言い聞かせるのだが、ちっともゆうことを聞かない。

 

 

ああ! 八海山の麓の里なのだ。

あの懐かしい絵の里なんだゾ。

 

 

越後信州駆巡ー八海山ー

 

 

f:id:donitia:20190602141204j:plain

 

忘日、八海山の麓の里道を歩く。

午前中に多摩から南魚沼の塩沢まですっ飛んできて、そのあとここへ来た。早朝に家を出ようと思ったら雨が降っていて、その上寝不足でぼんやりしていて、出発を遅らせたからここについたらお昼をだいぶ過ぎた。

 

ここまで来た理由は、ウェブサイト htkaisan-photo.com/tp://wataru.hak  に掲載された絵に強烈に惹かれ、その実際の場所を一目見たてみたい思ったからなのだ。

なので、その中の何枚かの絵をこのブログにもお借りしようと思う。(お借りするに際しお断りをするにしてもそのやり方がわからない。ご容赦をお願い致します。)そして、お借りした絵と現地写真を並べて見ようと思う。

 

この場所に来て、かろうじて記憶に留まっている絵の光景と同じ風景を求めて里の中をうろついたわけだが、その前に腹が減ったので八海神社の前にある八海会館というところで蕎麦を食った。

 

八海神社

f:id:donitia:20190602143135g:plain

f:id:donitia:20190602144758j:plain

 

会館の中に入ったら30畳ぐらいの座敷にぽつんと一人きりだった。座敷を眺めまわし、どうもこの建物は修験者の宿泊施設ではなかったのか、と思った。座敷の中に立派な神棚のような設えがあるし、何より蕎麦屋さんにしては広すぎる。

ほどなく、とてもおとなしそうな店主が注文の天ぷら蕎麦を運んできてくれた。入る際、表の「準備中」の看板がちらりと目に入ったが、塩沢から電話をかけておいたのでたった一人のお客のために蕎麦を作ってくれたらしい。ありがたや! 蕎麦も天ぷらも、店主の柔和な顔のように旨かった。

 

 

八海神社から里に下り、「トミオカホワイト美術館」に車を置き、(美術館は改装中)近くの上出浦集落に行く。宇田沢川に架かる橋と集落の中の特徴ある民家をみる。

 

上出浦橋

f:id:donitia:20190602150036g:plain

f:id:donitia:20190602150114j:plain


特徴ある民家

f:id:donitia:20190602150357g:plain

f:id:donitia:20190602150257j:plain



f:id:donitia:20190602150732j:plain f:id:donitia:20190602150812j:plain

 



畑の中を通って下出浦集落に行く。ここでは石神神社という絵がにあり、そのお堂の内部の絵もある。

下出浦橋

f:id:donitia:20190602153112g:plain

f:id:donitia:20190602153144j:plain

 

 

石神神社 

f:id:donitia:20190602151336g:plain

f:id:donitia:20190602151359j:plain


お堂内部
 

f:id:donitia:20190602151524g:plain

f:id:donitia:20190602151607j:plain

 

お堂の天井は絵天井であり、奥の人物2名の写真は平成天皇美智子皇后

 

 

車でちょっと走って、雷伝様の湧水を見、法恩寺も訪ねる。 

雷伝様湧き水

f:id:donitia:20190602152142g:plain

f:id:donitia:20190602152305j:plain

 

雷伝様

f:id:donitia:20190602152539g:plain

f:id:donitia:20190602152606j:plain

 



法音寺

f:id:donitia:20190602152717g:plain

f:id:donitia:20190602152736j:plain

 

 

八海山の麓の里は、絵で見た通り伸びやかでどこも清々しい。集落の中にほとんど人影は見られなかったが、郷愁を誘う風景であり、引用させていただいたウェブの本文を読めば少年の日々がふつふつと蘇ってくる。

この絵を描かれた人は、残念ながら亡くなられたそうだが、素晴らしい絵を見せていただいたこと、それによって遠い少年の日々を思い出したこと、何よりもそこに生きた人々の”生きる”という営みが連綿と続いていることを思い起こさせていただき、ありがとうございました。

ここまで行ってみて、本当に良かったと思っています。

 

f:id:donitia:20190602154502g:plain

f:id:donitia:20190602154517j:plain

 

 

f:id:donitia:20190602154600g:plain

f:id:donitia:20190602154623j:plain