doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

さんぽ②

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 忘日ふと、谷地を歩いてみようと思った。

 谷地とは、丘陵地浸食されて形成された状の地形である。また、そのような地形を利用した農業とそれに付随する生態系を指すこともある。谷戸などとも呼ばれ、主に東日本関東地方東北地方)の丘陵地で多く見られる。・・・(whekiさん)」

 何用有ってそんなところを歩くのか? 別に何用もないけれど、ごろちゃらばかりしていると腹が出てきてかなわない。みるみるズボンが履けなくなってくる、ズボンを買うのは貧乏故、なし能わざるところ、ならば腹を凹ませろ! ために歩け!

 

 谷地入口に到着。まだ9時ころだというのに、すでにして汗みどろ。コンビニで握飯調達、ついでにスカーフを濡らして首に巻く。さて、正面のでかい道路に入って先へと進む。写真ではよくわからないが右左が低い丘陵となっていて真ん中を丘陵から湧き出た水を集めた川が流れている。

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 しばらくして道路の西側に川、「谷地川」という。川床の大部分を、たけり狂ったような夏草が埋め、上流のほうであのでかい道路の下をくぐっている。川の両脇には遊歩道が整備されているので、どこまでだか知らないが川岸をたどることができる。

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 東京にだって自慢じゃないが道の駅がある。谷地川の岸辺の小道が、ちょうどその道の駅の裏に出た。久しぶりに立ち寄ってみたが、農産物直売所に人は少ない。開店した当時は新鮮野菜が手に入ると人気だったらしいけど、だんだん寂れてきた。

 農産物直売所はそこいらにうんとある。しかしスーパーの品より新鮮でかつ安くなけりゃあ、誰も買わないのは事の道理。なのにどうも直売所は、農協に出荷した後のはね出し物をスーパー並みの値段で売っているのではないのか、と疑う。

 でもまあ、青紫蘇が新鮮そうだったので本日のお土産、と小さなトマトの袋入り、これは我がおやつ。早速ながら冷房室内のベンチでトマトを10個ほどむしゃむしゃ食う。案外イケますな、水分補給にもなるんじゃないかなあ。

 

 岸辺の小道は贅沢にも煉瓦敷きだったり青々とした草が生えていたり、ときに舗装、ときに砂利と様々。でも草の道が一等いい。細い黒いトンボが道脇から、わらわらひらひら飛び出すが、ちょっと近づくと逃げてしまい、どんくさい爺いは写真に撮れず。

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  よく見れば意外と草地に花が咲いている。名前は知らないけれど立ち止まってちょっと見るぐらいの風流心(?)はある。生物、いずれも今を懸命に生きようとしている。DNAの取り計らいだろうか?

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  ↑ 初めて見た花 

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 だんだん暑くなってきた。樹木が無くなってお日様が真上から、これでもかと照り付ける。川面を覗いてみるとうす濁りの水の中に、針ほどの魚のベビーがふらふらしている。5cmほどの少年もいる。青年ほどのものはいない。アブラハヤか、いやオイカワだろうか、網を持って追いかけたい。

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 あまりの暑さに堪りかね、橋の袂の木陰の石に腰を下ろしていたら、軽トラックを運転していた娘っ子が怪訝な顔で通り過ぎた。暑さにやられた行き倒れの爺いと思われたかもしれない。やばいから歩く。

 木陰はないか、木陰はないかと思いながら歩いていたら、道の辺に小さな神社発見、これはもう救いの神ならむ、へたりこむように陰になった社殿の階段に腰を下ろす。少し早いけれど、もう昼飯にして少しゆっくり休もうと思う。

 汗を拭き水を飲み少し落ち着いて、握り飯を齧るが1個食ったらもう食いたくない。ミニトマトをぼりぼり食って、これは旨い。煙草をふかして背中にほんのかすかな風を感じる。物音もなく人影もなく、こんな日盛りに表に出ているのはたった一人。

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 ふと狛犬の台座を見たら「結婚50周年記念・ナンの〇兵衛・妻〇〇」のプレートが目に入った。ふーむ、考えさせられた。こういうものを記念して神社に奉納する、その心情は、自分には遥かはるか遠いもののように思える。半分? で半分感心。

 

 

  昼飯を食いゆるりと休んで少し元気を回復して、また歩く。が暑さは鬼のようでもある。そして川面は葦のジャングルのようになってきて、ついに左岸が行き止まりとなりしばらくして右岸も行止まった。

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  もはや脇の街道に出るしかない。街道は建物も影を作らず、真上からガンガン来る。街道ばかり歩くのはナニなので、ときどき横道に入って川の存在を確認。当然川べりの道はない、どころか川が埋まってしまっている。暗渠にしたのだろうか? なぜ?

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  こういう地形のところには田んぼがあるはずだがなあ、と思っていると案の定小さな田んぼが現れた。脇の丘陵から湧き水があり、その水を利用している。あてにならない想像だけれど、このような小さな湧き水、あるいは谷地川の曲流した場所、そういうところに昔は田んぼが多かったに違いない。

  昔の田んぼは大河の脇にはできないから、小さな流れや湧き水を利用するしかなかった、と想像する。考えてみれば、水の調節がとても難しかったのだろう。なんでもコンクリートで作っちまう今とは事情がまるで違う、のだと思う。

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  歩いているところに気の利いた休憩所などないから、空地だろうが草地だろうが木陰のある場所でなに構わず休むしかない。道路わきの草地に座り込んでいたら、ちょうど高校のスクールバスが信号で止まった。窓からこちらを見てうすら笑いをしている男子や女子がいる。

 おい、見ろよ、あそこで爺いがくたばり損なっているぞ、馬鹿な年寄りだなあ、なんて言ってるに違いない。こちらからはこう言ってやった。いい若えもんが、狭まっ苦しいバスの中で何してんだ、こっちのほうがよっぽど面白いぜ。

 

 

 やがて谷地川は街道の傍を離れ、西側の丘陵に入っていく。その流れ出しの一滴など無論確認する気はないが、出来る限り迫ってみよう。近頃目標、目的などというものを何処かへすっかり流し去ってしまったが、今日は違う。目的は、可能な限り源流部へ。

 街道を逸れた細道は狭い谷となって奥へと続く。道脇にぱらぱらとわずかな民家、でもひっそりかんとして無人の里のごとし。川は細流となって枝分かれし、どれが本流か把握できないので一本一本に入ってみる。

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 一本目、二本目は程もなく行き止まりとなり合流点に引き返す。3本目は少し長い道のり。護岸もしっかりしているからこれが本流かもしれない。周りの民家に人の気配もないが、この辺りから秋川へ抜ける近道がないかなあ、と思う。

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 3本目も最後は砂利道となって藪の奥に消えていく。これ以上溯っても藪をバサバサ漕いでいく羽目になりそうなので、不完全ながら源流部探索はこんなものでお茶を濁す。大大河の最初の一滴を探索するわけではなく、たかが谷地川(しかし1級河川)の源流を極めてどうする、と自分をごまかしながら。

 

 さて、これでまた街道まで戻るのは面倒くさい。この辺りから秋川沿いに出られれば願ってもない近道、だが、グーグル君は道なし、という。確認したいが人影もなし。いたし方がなければ仕方がない。街道まで戻る。

 この辺りからいやに体が熱くなり、後頭部など帽子をかぶっていても何だかジンジン痺れるようだ。とともに猛烈に喉が渇いてきた。持参の水はもはや残り少ないから、万一を思って残しておきたい。自販機はないか?

 自販機、自販機と念じながらも、丘陵の鞍部越えだから人家も自販機もあるはずもない。なければ一層喉が渇く。渇いたって無いものはない。よろぼいながら街道の鞍部をようやく越え、向こうに秋川圏央道のぐにゃぐにゃが見えてきた。

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 多摩川を渡って秋川の市街地に入る。市街地だから自販機があった! 500mペットボトル一気飲み。これで元気が・・元気が・・出ない! なんだか猛烈に気怠い。ほんのちょっと歩いただけで休みたくなる。ここで休み、あそこで休み、一体どうしちゃったんだろう。

 駅までもうすぐのところで蕎麦屋見っけ。やれありがたや地獄に仏、疲れにオロナミン。扉開ける。婆さん出てくる。「あのう~、いま営業終了しました。10分前に」がび~~ん、一気に全身の力が抜け流れていく。

 へたり込もうとしたとき目の前にファミレス現る。ファミレスだろうがニアミスだろうがこの際構うものか。しかしこれは正解だった。第一に広い、涼しい、人がいない、第二に安い、飲み物豊富。何はともあれ、ビール。

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 ビール来る。菜っ葉も来る。ビール飲む、が二口目が飲めない、飲みたくない。いつもの、うぐうぐができない。変だなと思う。少し休憩、眠くなる。落ち着いたようなのでビール開ける、ハイボール頼む。

 飲み物はなんとか腹に入った。が、菜っ葉はほとんど喉を通らず。そのうちに、今飲んだアルコールが猛烈な勢いでからだ中を駆け巡り始めたような感覚、エラク酔ってきたような、それでいて気持はどんより沈んでいく。

 ビール、ハイボールたった一杯で小一時間もファミレスで座り込んだ。そして少しづつ平常に戻ってきた。駅に向かう。4時半ごろの電車、口紅べったりの女子高校生たちがうろうろしていて脅かされる。

 

 

 この熱署になんばしよっとかね!

 行き倒れになっても知らんきに!

 と誰かに怒られた。

 

 

 

 

これいかに?

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 脳みその中にだけにある何者かは、なるべく書かないようにしようと思う。

 のだけれど、脳みその外側に関することが毎日去来するわけでもないから、やむを得なければ即ち仕方がない、場合もある。そんなときは脳みその中だけ由来のことでも書くしかない。

 それとともに、前回書いた「さんぽ①」は写真が表示されないようなので、みっともないから可及的速やかに無かったこととして、さっさと次を書き継いでしまいたい。

 

 この歳になっても世の中は知らないことで満ちみちている。その中でも年来どうしても解らないことが幾つかあって、その解らないことをここに書くことによって、少し整理できたらとも思う。

 解らないことを思いつくままに挙げてみれば、「言葉」「進化」「天皇」・・・などであるけれど、そんな中でも解らないのはどこがどういう風に解らないのか、そこが分からないものもある。これじゃあ、まあ呆けている、ということなのだろう。

 

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 「言葉」は動物と現生人類を区別する一番の特徴だろうと思う。たぶん動物は言葉を持たない。なぜヒトだけが言葉を持つに至ったのか、そこが解らない。原初的に考えてみれば、ヒト同士が「あうう~」「およよ~」などと言い合っても意思が通じないからだんだんに通じ合う言葉が発生してきたのではないかと思うけれど、確証は勿論ない。

 それよりも不思議なのは、赤ん坊が環境の中で「ひとりでに」言葉を覚えてしまうことだ。文字を覚えるように、誰かが訓練したわけではない。のに日本語なら日本語の環境で、英語なら英語の環境で、それぞれその言葉を覚えて使い始める。全く不思議だ!

 このことは、ヒトは生まれながらにして言葉を覚えてしまう能力、つまり脳の仕組みを備えているのだろうと思う。その脳の仕組みは、遺伝子の98%までヒトと同じだと言われるチンパンジーにはどうも無いらしい。どうしてこうなっちゃたんだろう。

 

「言葉」に関するこのような素朴な疑問に対する、学者の明快で統一的な見解はあるのだろうか? 怠け者だからそれも知らない。唯一、養老孟子大先生の見解は読んだけれど、こちらの頭が悪すぎていまいち理解できないでいる。

 

解らないことはず~~っと引きずって

解らないままでいたほうがいいかもしれない。

その方がいつまでも折に触れ考えていられる。

 

 

 

 

さんぽ①

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忘日、空に隙間ができたので散歩。

とりあえず、多摩川の土手を歩く。両側の草むらには赤爪草がびっしり、今がちょうど旬なのか? でもこの花、10月ごろまでさいているイメージがあるけれど、花期がそんなに長いのかなあ、分からん!

今の時期、花がない季節だと思ったが、足元の草むらには様々な小さい花が見られる。ほとんどその名前を知らない。野草ばかりか虫やら木についても全く同様、ということは自然をほとんど知らないということだよな。つくづくトホホな奴。

 

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空に隙間はできたけれど風が弱く、ただ無意味に蒸し暑い。汗がたちまち体全体を湿らせる。長い梅雨はまだお終いにならないらしい。あまりしつこいのは嫌われるよ、と言っても知らん顔をしているから、1週間前に自分かってに梅雨明け宣言をした。が、これがとんでもないフライイング、ちょうどあの時台風が来てたからなあ。

 

   

 

 

 橋を渡って「あきる野市」に入る。平井川が多摩川に流れ込む辺りの河川敷は緑が広々と広がる。公園やら草原やら少年野球場があって、その緑が大変にきれいだ。桜の木が影を作っている下にどっかりと腰を下ろす。

黙っていると(あくまでも黙っている必要がある)、背中のあたりをそよ風がしみじみと吹き抜けていく、これが得もなく涼しい。靴を脱ぎ靴下をほっぽり出して裸足を前方に投げ出して昼飯を食う。

 

 

 

どこへ行くという当てもない。どこへ行ってもいいし、どこへも行かなくてもいい。ただ夕方家に帰ればいい。場合によっては家に帰らなくてもいいけれど、 そうすると後がいささか面倒になりそうだからやはり帰ろうと思う。

飯を終わって背中をそよ風になぶられて、ぼう~~っと座っている。当面することがない。散歩に出て昼飯が終わった後何かすることがある、なんてのはとんでもない太え根性だから、何もすることがないのはいいことだ。

それでも段々飽きてきたから草の上を裸足で歩いてみた。足の裏に草がチクチクするが、なんだか気持ちがいい。草が切れて砂利になっているところは死ぬほど痛い。あっちちち、と何とか足を砂利に付けないように工夫を凝らして進む。裸足歩行に関しどれだけ軟弱になっているか、びしびし思わされる。

 

 

 

街の中に入って、ついでだから「二宮神社」へ立ち寄ってみようと思う。府中「大國魂神社」の六所の宮の一つとして祀られている古い由緒があるらしき神社。阿伎留台地が多摩川に向かって崩れ落ちる東端にある。

小さな境内と形いい小ぶりな拝殿、風が通り抜けていく。下に広がる多摩川と平井川との沖積平地は、もしかすると古代からコメができたのではないかと思われる眺め。脇に「二宮考古館」がある。旧石器時代の石器だという様々な石、黒曜石を大学の偉い先生が剥ぎ取って細石刃を作成した写真、縄文早期からの様々な土器。小さな展示室。

階段の下に湧水の池がある。「○○池」みたいに勿体ぶった名前はないらしい。水が澄んでいて大きな鯉が悠々と泳ぐ。人もいないから腰を下ろしてまた休む。池に手を入れてみるとヒヤリとするほど冷たく感じる。

 

 

 

街中の住宅の間を適当に歩くと街道に出た。農協の農産物直売所がある。果物が欲しいと思って立ち寄ったが無いから、トマトの小さなやつの袋詰めを買って、風が通るベンチでむしゃむしゃと20個ばかり食ってしまった。案外旨かった。

歩いていくと蕎麦屋があった。どうも見過ごしては行けないような気分がする。入ると真新しいきれいな店、本能的にでヤバイ! と思ったがどうすることもできない。ざる蕎麦来る。引き締まっていて旨いけれど、もう少し安ければもっと旨かったと思う。

 

畑地帯を通り過ぎて公園に突き当たる。中はまたしても緑が濃い。広々として人が少ない、が、一角だけ大いに賑わって居た。水が噴き出す子供の遊び場。見ていると、わああわああ、きやあきゃあ、実に楽しそうだ。夏になったんだなあ!

 

 

 

なんだか空に黒い雲が出てきた。暑いし歩き疲れたから帰ろうかと思い始めた、雨が降る前に。へなちょこりんの散歩だったけれど、1か月ぐらい引きこもりだったから、ま仕方がない。これから散歩を増やしていこう。

 

 

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4時ころ最寄駅から電車に乗る。

女子高校生がうろうろしているので時にびっくりする。

今日の歩行距離は12㎞ほど、まあこんなものか!