午前中の曇天がだんだん晴れて陽が差してきたので午後から出かけた。
このところ寒さがぶり返して花曇りなどとテレビが言っているが、すこし風があるものの思ったほど寒くはない。毎年桜のころはひどく寒い時があるので、これで平年並みなのだろう。
多摩川の堤防に出ると、細長いヘルメットをかぶって体にぴったりしたタイツのような服を着た自転車の人や、ゆるゆると歩みを進める老夫婦や、どこ行くあてもなさそうな若者たちやらがぞろぞろ土手を歩いている。そういえば今日は休日で人が多い。
土手の桜(ソメイヨシノ)はまだ4分咲き2分咲きぐらいで都内のように満開にはなってはいない。その桜の枝の奥から思いがけないほど澄んだほ~ほけきょの声が聞こえた。声はよく聞くのだがまだその姿を見たことがない。声にふさわしいきれいな姿をしているのか、声と姿は似て非なるものか一度じっくり見てみたい。
河川敷の公園に来た。きれいに刈り揃えられた芝生の上で幼児がよちよち歩いている。小さなテントがいくつか置いてある。小学生ぐらいの子供がいっぱい駆け回っている。少年野球が試合をしている。家族連れが芝生の上で食べたり飲んだりしている。
風が収まってうらうらと陽が照って汗ばんできた。着ていた分厚いセーターを脱ぐと心地よく汗が引いていく。遠く奥多摩の山々は春霞の中にけぶって空との境がぼんやりしている。芽柳がうっすらと緑に染まって揺れている。
更に行くと土手の脇に何百本かの桜があり、ゆるやかに曲線を描くその下を大変な数の人が歩いていた。まだ花は2分咲きぐらいだが、桜まつりをやっているらしい。土手の斜面や道路わきで宴会が繰り広げられている。
その桜並木の真ん中あたりに小さな公園があり白い大型テントで埋まっている。その辺りでは、鍋窯を持ち込んで大掛かりな宴席を設けた大事業と、土手の縁に腰を下ろして銘々に焼きそばを食ったりたこ焼きを頬張ったりする個人事業が展開されていた。
桜の土手を過ぎればだんだんと人が少なくなってのんびりと歩く。陽射しが強くなってシャツで歩いてちょうどいい。多摩川の浅い流れがきらきらと照りかえってゆらゆら流れていく。土手の枯草の間から緑の芽が伸び始めた。老夫婦が何かを摘み取っている。
芝生と花壇がある公園で一休みする。この前花キャベツが植えられていた花壇には三色スミレが勢いよく天空に向けて花を開いていた。向こうの雪柳が満開。ここは桜がないからか人はあまりいないが、バーベキューコンロが設備されているところには大勢が固まって飲み食いしていた。
土手の上を歩き続けて羽村の堰に到着。流れてきた多摩川の水のそのほとんどが玉川上水に流し込まれ、ほんの少し申し訳程度に本流に戻されている。玉川上水に入った水は、青く渦を巻き勢いよく流下し、そてその半分くらいはすぐ下流で狭山丘陵の貯水池に送られる。ここでも桜祭りがおこなわれていて人が大勢出ていた。
さて、今日の目的の半分は羽村駅前の蕎麦屋で盛り蕎麦をつまみながらほんのちょっと酒を飲みたいということ。で、そそくさと蕎麦屋に行ってみたら、昼は3時半まで、夜は5時半からと看板が出ていた。前回は3時半までに入ったらしいから気が付かなかった。今4時ころであり、5時半までは待てない。
だから、そのまま帰るかと思えば帰らない。ほんの一杯やりたいと思っていた気持ちはそう簡単に立ち消えになりそうもない。ぶらぶら歩いていたら小さなおでん屋があって営業している。初めてなので当たりの店かはずれの店か解らないからちょっと迷う。
意を決して、入る。(大げさだな!)
細長い店でカウンターが10席ぐらい、奥に小上がりがあるようだ。
入口のすぐのカウンターに座る。目の前におでんの鍋、その向こう側で痩せこけたばあさんが忙しそうに何かやっている。
奥から爺さんがいらっしゃいといったようだが、このばあさんはむっとして眉を寄せ大変愛想が悪い。
3席ぐらい奥に金髪のばあさんが一人座ってビール瓶を前に置いている。ちらりと見るとイカゲソの皿がある。
日本酒と、大根に竹輪のおでんを頼む。目の前のばあさんは愛想が悪いけれどばあさんのお愛想を飲むわけじゃないから構わない。
お酒をお代わりして、というのは値段の割に旨かったので、つまみを追加してそうしてだんだん心地よくなってきた。ゆるゆる観察して分かったのだが、不愛想のばあさんがこの店を切り盛りしているらしく、亭主らしい爺さんはばあさんの下働きらしい。
酒もまあまあだったし、つまみもまあまあの味だった。とろとろとこころの奥が蕩けそうになる。春や春ほんの少しの酒もあり、てな気分になってくるが、用心しないと酔っぱらいそうだ。金髪ばあさんはビールを飲んでいるのではなく、焼酎をビールで割ってなめているように思えた。ばあさんが昼間から何を飲もうと許せる気分だ。
今日歩いたのはお昼過ぎから8㎞ほどだけれど、歩いた後の昼酒は大変良く効く。
不愛想ばあさんが必死の形相で、店の味と値段とを守っているらしい小さなおでん屋を満足して出て電車で帰った。
十分に満ち足りた午後。