次々と花が咲き散り、また咲いて散ってここで一段落したように思う。
毎年のことながら、この間はなにやらふわふわし、急がされているようで落ち着かず、しまいにはなんだか憂鬱な気分になってしまう。こころはあと何回? と残りを思っているのかなあ。
かといって花を求めて人込みへ出かける気はさらさらしない。ただぼうお~~っと右や左を通り過ぎていく花をなんとなく眺めているだけだ。ぼんやり眺めているだけだから、より一層追い立てられるように思うのかもしれない。
花にしてみれば、なに、成長の一過程ですよ、気にしなさんな、というかもしれないがなかなかそう達観はできそうもない。いろいろな雑念がつぎつぎと湧き出し溢れ、それにすっかり疲れてしまうらしい。
どうもヒトは、モノだけを見て、つまりモノの理屈だけによって体を支えていることができないのではないのだろうか? その乾いたモノの理屈のほかに、とらえどころがないような抽象的観念、概念をも必要としているのではあるまいか?
だから、物理的宇宙観だけでなく、観念的、宗教的な宇宙観をも併せて必要としているように思える。だとするなら、観念的、宗教的な宇宙観を頭ごなしに馬鹿にすることはできない。どうもそれがないと干からびてしまうような気がする。
・・・思うに、花とこの結論はどう関係するか??・・・どう見ても関係ねえなあ!
(スタイルを変えたので試し書きのために)