忘日、「武蔵国の民族とくらし」について教えてあげるよ、というので参加した。
教えてくれるのは、まあ私どもの半分ほどの年齢の先生方4人、一人は農村社会研究、一人はお祭り芸能研究、さらに一人はお墓研究、そして一人は民俗学諸々、の新進気鋭(だと思う)の研究者、それも4人も!
初日、午前中2時間ほど座学、というより今回のテーマの概要と行動予定のレクチャー、次からつぎへと短時間で説明され、難しい内容ではなかったものの年寄りたちはいささか頭が混乱気味、ま、深く考えないで聞き流す、これ得意技。
初日午後野外へ。午後1時小平駅集合。そこから金魚の何とかよろしくぞろぞろと熊野宮へ。お祭り研究者の説明…
小平熊野宮は江戸時代に開拓された小川新田の総鎮守、初期開発者小川九郎兵衛の出身地狭山丘陵から遷座。神社裏の一本榎は茅野原の武蔵野の目印だったがそこへこの神社を建立した。新田村の精神的支柱としての役割があった。
更に府中大国魂神社の祭礼「くらやみ祭り」からの影響がみられる。
・神輿渡御に際してササラによる道清め
・お先払い太鼓が大型化していった。
・会員だけが神輿渡御に参加できる。
などこの神社も「くらやみ祭り」大きな影響を受けている。
知らんかった。神社同士、競争もあればマネすることもあるんだなあ。
神社脇の広大な宮司さんの屋敷地に面白いものがあった。お墓研究者の説明…
神道では墓は穢れに通ずるといわれ表立って扱われないが、”神葬祭”形式により葬儀が行われる。このお墓はその形式で作られている。
覗いてみると、宮司家の屋敷内に芝生の広い一角があり、鳥居が立ちその奥に石碑のような碑が数本建っている。部外者には見えにくいしまた表からは入れない。これは初耳、初目、お勉強になりました。
ここには先日の平成お徒隊でも立ち寄ったけれど、とても先生方のような深い内容を説明する能わず、やはり専門研究者は違う! 座学でも農村研究者から武蔵国について説明されたが、
意味内容が異なる3つの”むさし”がある。
1 地学的概念の武蔵野台地
2 歴史的領域の武蔵国
3 文学的イメージの武蔵野
それぞれ意味するところは相違しており、”むさし”の内容は多様である。
それぞれに概略的説明があったが、こういう発想もシロートにはむりだなあ、と思う。学問というのはこうゆうものだな、たぶん!
それから「延命寺」に立ち寄り、墓地をぐるっと巡ってお墓研究者から説明
この寺は野中新田の開拓に伴い入村者の墓が必要とされ、開基された。
一般にお寺の成立形態は次のように区別される。
1 国の支援により建立(武蔵国分寺など)
2 布教対象者のために建立(鎌倉の諸寺など)
3 村を開いた寺(小平の円成院など)
4 新しい村の開拓で必要とされた寺(ここ延命寺など)
一口にお寺と言っても様々な理由を背景にしてできたのだなあ、と改めて知る。そのあと墓地をぐるっと回ってなにやら説明されたのだけれど、墓石の名前ばかり眺めていてちっとも聞いてなかった、すまんこってす!
最後に「小平ふるさと村」に立ち寄ったけれど、ここではボランティアガイドによる小川村開発の説明、これは先日の平成お徒隊でも同じ話を聞いたので省略。そのようにして初日は終了。面白かったではないか!
明日は丸一日表を歩く。
と言っても府中駅周辺をぐるりと回るらしい。
のんびり、てくてく・・・楽しからずや。