doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

越後信州駆巡ー出雲崎ー

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忘日、十日町にて早朝に目が覚めた。エラク寒い。

寒いから朝飯を食ったとです。ナビゲーションを出雲崎にセットし、出発するとです。運転は一応するけれど、どこをどう通るのか分かりましぇん、機械にただ使われるだけですたい。十日町よさらば、また来ることは、・・・ないだろうなあ。

 

 

また北に向かって山を越えるらしい。信濃川を渡る。川岸一杯に満々と青い水が流れていく。対岸を少し走り山襞に入り込む。低い山だからそれほどのカーブもなく直ぐにトンネルを越えれば緩やかな長い下り坂、どうやら道路標識からすると柏崎に行くらしい。とすると出雲崎からまた柏崎に戻って西へ行くことになるのかな?

平地に降りて大きな道路に突き当り右へ行く。市街地を出れば田んぼが広がり、至って車の少ない広い道路を坦々と走る。だんだん平地も尽きて山裾のようなところを通り抜けていく。寒さはいつの間にか消えて風が心地よい。木々の緑が陽に煌めいている。

 

 

 

出雲崎良寛記念館到着7時ころ、当然のことにして記念館は開いていない。計画が大幅にずれて、というより最初から無謀な計画だったので、やむを得なければすなわち仕方がない(百閒パクリ)。それにしても周りに誰もいないなあ。

 

 

記念館がある場所から海岸に向かって屋根付きの階段が下っている。どこへ出るのか見当もつかないけれど、とにかく下る。降りきって道路の下をくぐるとマッチ箱を並べたような街並みが広がっていた。

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「妻入りの街並」というのだそうだが、 いずれの家にも現に人が居住しているらしい。まさか観光のためにこんな規格品みたいな家々を作ったわけではないだろうと思うが説明板によれば、こんな街並みがなんと4キロメートルほど延々続いているとか。 

 周りを見渡せば、なるほどここは大変な場所だ、背後にすぐ山が迫り波打際までおそらく100mもない狭さ、そこに隙間なくびっしりと家々が並んでいる。おそらく江戸の昔からこのような家並みがあったのだろうと思う。

 

 

その一角に、青い日本海を背にして「良寛堂」というほっそりした御堂があった。この場所が良寛の生家、橘屋があった場所だという。名主さんの家柄だというから有力者でもあり、裕福な家だったのだろうと思う。しかも良寛さんはその長男に生まれている。

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御堂の裏側、一段低くなった場所に良寛さんの座像がある。遥かに青くかすむ佐渡を見つめているような後ろ姿は、どこか寂しそうだ。手毬をつく良寛さんではなく、心の中に底知れぬ虚空を抱えた良寛和尚の姿なのかもしれない。

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良寛さんほど禅の心を体現しつつ、その生涯を貫いた人はいなかったのでは、と思う(などど知った風な口はご法度だが)。本来無一物、五合庵に閉塞し身のまわり何もなく、ようやく命をつなぐだけの糧をもらい寒さに震えて生きている。

執着するものが何もないから、里の童と一日中手毬をついて遊んでいる。将来の蓄えも里人の評判もなにひとつ気にしないから、隠れんぼで日が暮れ一人取り残される。金も食い物も溜め込まず、権力に近づかず、ただ命の最低限で生きてゆく。

 

名主の跡取りに生まれたものがどうして、と思う。名主見習い中の18歳で突如出家、この時良寛さんの心に何があったのだろう。その生涯はとても余人の真似できることではないと思うが、座像の海を見つめるその目つきは鋭い。

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・・・良寛のことも禅のことも全く知らないタワケがこんなことをほざいていいのか!いくないと思う。よくないのだけれど、良寛さんの顔を見て、何かつぶやかなければと思った。幸いあたりに人がいなかったのでよかったけれど。

 

 

さてさてこれで、あとは糸魚川まで行こうと思う。

そこに目的はなにもないけれど、千国街道を見てみたい。

うらうらと初夏の陽が照っているほどに。