doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

空掘川を歩く

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 忘日、空堀川を歩いてみることにした。

 先日は秩父の地層を見るため、あっちゃこっちゃ車で駆け回ったので今回は是が非でも歩かなくてはならない。ちなみに秩父地方は、山波帯とか秩父帯とか四万十帯とかの付加体があって、それが何百万年の間にどうとかこうとかしたらしいのだけれど、その理屈がいまひとつ呑み込めていないので、今のところそっとして置くしかない。

 

 だから代わりに空堀川なのだ。この川は狭山丘陵の谷筋から流れ出して東へ武蔵村山、東久留米、東村山を横断して埼玉県に入り、柳瀬川に合流して更に新河岸川に合流して末は隅田川に至るのだが、名前に似合ぬ一級河川であるらしい。

 どんな案配の川なのか、名前からすると至ってつまらない川のような気がするがともあれ、暇だから行ってみようと思う。源流部からではホネなので途中からとし、モノレール終点、上北台駅下車、北側に500mほどの新青梅街道の脇で空っぽの川に出合う。

 

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  徹底的に人工の川床が、空しく白い。岸辺はどこもかしこも、夏草が鬼のように茂り放題だけれど岸辺に草の道が続いていて歩きやすい。薄い雲が頭上に広がって風がないから蒸し暑いが、しかしまあ、今日は熱中症を心配することもないだろう。

 

 

 下流に向かって歩いてほどなく、脇から水が流れ込んでようやく川らしくなってきた。よく見ると水溜まりのような水中に小魚がわんさか泳いでいる。きらりきらりと時々腹を見せて小石についた藻のようなものをつつく。どうもオイカワらしい。オスのきらびやかな青、赤の姿も見える。

 なんでこんなに群れているのか? 上流の干上がった場所からすべての小魚がこの水溜まりに亡命してきたに違いない。小魚を見るたびに、何となく心が騒ぐ。ああ網で掬ったらどれほど捕まえられるか! 子供の時のあの胸騒ぎが湧き起こる。

 

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  だんだん市街地が近くなってきたら、遊歩道が煉瓦敷きに変わった。散歩する人もちらほら、若い娘と母親らしき二人連れが肩を並べて通り過ぎていった。いつも思うのだが、東京に残された水辺は、ほぼ遊歩道が立派に整備されている。小さな誰も歩かないような川でも遊歩道がある。これだけは感心する。

 もっとも見方を変えれば、水辺にしか、もはや東京の平地の自然は残されていない、ともいえるかもしれない。だからあらゆる川を無造作に埋め立てた罪滅ぼしで、せいぜい水辺に遊歩道を作り市民の散歩道を辛うじて残しているのではないのか? とも思う。人はなんといっても水辺を歩きたがるらしい。

 

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  ときどき岸辺を離れて脇道をする。北側300mほどの高木神社に立ち寄ってみる。境内で草毟りをしていた地元の人がこんにちわと挨拶する。先にあいさつされ恐れ入ってしまう。 簡素だけれどしっかりした拝殿があり、ひと隅に案内板があった。

 それによるとこの境内に「戸長役場」なるものがかってあったらしい。明治17年(1884)町村制度の改革があり、500戸を基準として村が連合した地域に一人の官選戸長を置いたものという。その役場がこの境内に存在していたらしい。

  その連合は6カ村あり、その地域が現在の東大和市のほぼ全域となるのだそうだ。多摩の他の市もそんな風にして連合村が定められ、それが現在の市域となったのだろうなあ、と思った。そうして人口が増え、村境も何も関係なくなり、どこが市の境か、今では判然としないし、それで一向に不都合は感じないし、あえて市境を画す必要もない。

 この神社は獅子舞が有名らしく、例大祭に獅子舞を催す旨のポスターが貼ってある。伝統行事を維持保存していくのは大変だろうな、と思う反面、テレビなど見るとこれに最も熱心なのは若い衆のようにも思う。もしかするとこれを無きものとして、平然としていたのは我ら及び団塊の世代かもしれない、とも思わされた。

 

 

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  空堀川に戻って、東村山市域に入る。南側すぐのところを付かず離れず新青梅街道が走っていて車の音がかすかに聞こえる。前方を西武多摩湖線が横切っていてその脇に東村山中央公園がある。ここで昼飯にしよう。

 幼い子供たちが駆け回っている。彼らはひと時もじっとしていない。シーソーをしていたかと思うと次の瞬間にはブランコに取り付き、滑り台をよじ登る。そのたびに若いママやパパがあっちへ走り、こっちに追いかける。いやはや大変だ。

  微風のベンチでぼんやりと子供たちを眺める。子供たちは、なんといっても野っ原で遊ばせたいと思う。デェズニーランドも遊園地も結構だけれど、その刺激は時とともに薄れるような気がする。それよりは、野っ原で草を眺め、虫を触った経験は大人になっても折に触れ思い出すのではあるまいか? ま、これは爺いの勝手な世迷言。

 

 

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  東村山市の中心、久米川駅近くに至れば、また川は干上がってしまい、白い川床が骨の集積のように見える。思うにこの川は要するに「いじり過ぎ」なのではあるまいか? 川床を掘り下げ、曲流するを無理無体に直線にし、しかして水は地下へと逃げたのではないか、と思われる。

 これもみな都市の人口爆発への対処なのかもしれないが、お陰をもって日本中の川が死ぬ。かってカヌーイスト野田知佑がこの河川行政を鬼になって非難したが、後の祭り、祭りの後に膨大な費用をかけて死の川を蘇らせようとしたがダメ。

 それは人間の浅知恵をよくよく表しているのかもしれない。どうやら自然は腕力でどうにかなるものではなさそうである、とは今頃になって気付く。せめてできることは、自然をこれ以上痛めつけることなく後世に引き継ぐ、ということだろうか。

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 川床の干上がった岸辺を北東へと歩く。埼玉県に入って、武蔵野線、新秋津が近い。夕方の風が吹き始めて間もなく4時になる。少し早いけれど、今日はここらあたりまでとしよう。案外にくたびれた。

  今日は、愚痴を言ったり文句をたれたり、エラそうなことを吐き出したりしたけれど、まあまあ、面白かった。都市近郊の川、中小河川はほぼダメになってきているらしい。玉川上水の小平から下流に処理水を流している、ということが象徴的。そのことがよくわかった気がする、

 

 

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 さてさて、そんな一日だったが新秋津の駅前で一人慰労会を挙行しようと思う。新秋津、西武線秋津駅間は歩いて5分ぐらいだが、かってこの通りは「ホッピーロード」と呼ばれていた。

  両駅間を乗り換えるサラリーマンがホッピーを立ち飲みしていた時代があった。その面影はまだ残っていて、安い居酒屋がある。だからそこで是が非でもホッピーを一杯引っ掛けなければ、かってのサラリーマンに申し訳が立たない。

 だが時刻はまだ5時前、空いている居酒屋が少ない。少ない中をようやく見つけて入ったものの、ホッピーはなかった。ケシカラヌではないか、ホッピーロードにホッピーがないのは詐欺のようなものではないか。

 

 

 

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 万、やむを得なければ仕方がない。今更出るわけにもいかない。焼酎のオンザロック、焼き鳥(豚モツ)3本、カシラ、ハツ、タン。冷やしトマト。なんというささやかな慰労会であろうか。これだけのつまみで、この後ハイボール、レモンサワーで締め。

 

 

 酒もつまみも旨からずと言えど、飲むほどに幸せな気分になった。

 ただ歩いていればご機嫌なのだから、今日はこれでいい。

 夕暮れを窓に眺めて帰宅の電車。 総歩行距離は歩数計で17㎞。