水道みちを歩く

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 忘日、村山貯水池から境浄水場までおおよそ10㎞を歩こうと思った。

 この道路の下には水道管が埋まっている。水道みちだからほぼ真っすぐで、日寄ったり拗ねたりしていない。正式名称は「東京都道253号保谷狭山自然公園自転車道線」、お経の如く長い名前で到底覚えきれない、よって単に水道みち。

 

 まず細かく電車を乗り継いで村山貯水池の堰堤の脇、西武遊園地駅まで行く。この辺は埼玉県との境で、駅は東京東村山市だが遊園地はすでにして埼玉県、その遊園地の脇の坂を上っていくと堰堤に出る。

 貯水池だから水面は静かで風が吹くと向こうまでさざ波が渡っていく。風はもう秋だなあ。空に雲が多いけれど青空ものぞいていて散歩にちょうどいい。水面の両脇は濃い緑の丘陵、はるかに西武球場の白いドームが見える。

  

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  この村山貯水池は大正13年に完成したのだそうだ。ところが出来て幾年もたたないうちにさらに水需要が窮迫し、昭和2年、隣に山口貯水池を作らざるを得なくなったという。してみると明治以降の東京はたいそう水が必要だったのだなと思う。

 どれくらい必要かその数字などは知らないけれど、明治になってから東京に人口が集中したのだろうなとは想像がつく。武士がみな藩の国本に帰ったとはいえ、働く場をもとめて地方から来た人も多いだろうし、学生や軍人も増えただろうし、また江戸時代の水の使い方とは一変するような近代的水道もできただろうから、そんなこんなで水道水が不足をきたしたのだろう、とまあ推測しておこう。 

 

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 堰堤の下手は鬱蒼とした森に包まれた公園、芝生の広場もあって子供たちが嬉々として遊べるようになっている。まだ幼い子供たちを見ると、是が非でも無理にでも草っ原や林の中に追い込んで、思いっきり遊ばせてやりたいな、と思うけれどひとさまの子供を無理無体するわけにもいかない。

 300m程の堰堤を向こう側にわたって街の中に降り、水道みちを歩く。散歩している人が多い。道は住宅の中だけれど、両側に樹木があってうるさいものは目に入らず騒音もだいぶ少ない。正式名称が「・・・自転車道」となってはいるが、自転車、特にスピードを出すスポーツ車はほとんどいない。ママチャリが時々通るぐらい。

 まっすぐ続いていた道がくにゃりと少し曲がったところに東村山浄水場がある。しかしこの道の下に流れている水はここへは入らないのかもしれない。玉川上水羽村の取水口でほとんどが村山・山口両貯水池に送られ、残った水は小平まで流れ下ってそこで一滴残らず搾り取られ、その水がここの東村山浄水場に入るらしい。

 

 

  道脇の草むらに秋の花が咲いている。緑一色の中に点々と赤や紫が混じって、目が楽しむ。花のあわれは秋にこそ、とは誰も言わなかったかもしれないが、人の世も秋こそ味わい深いかもしれない、などと自ら慰める。

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  小平駅前を過ぎて花小金井駅へと向かう。このへんは小さな公園が道脇に並んでいる。その一つに入ると真ん中が芝地になっていて、その周りを様々な樹木が取り囲んでいて、変哲もないけれど静かで人が少なくて風がよく通る。そこで昼飯を食う。

 この区間にはまた、小平市ゆかりの彫刻家の作品が道脇に設えてある。概して小さな作品が多いが、歩き疲れてほっと一息立ち止まって眺めると、なにやら考えさせられるような気持になる。

 

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 花小金井駅前からちょっと脇にそれて小金井公園に入ってみる。公園の入り口のところに石神井川の源流点があった。しかし水は流れていない。近頃とみに東京の湧水が枯れてしまっているんじゃないかと思われる。

 その原因は知るところではないけれど、これだけ地面をコンクリートで覆ってしまっては、雨水は只ただ側溝を流れるほかなく、地面に染み込まないんじゃあるまいか? 側溝の水は近くの小河川に流れ込み、ひとたび雨となるや小河川が溢れかえる。

 

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  石神井川の源流点近くに小さな池が二つある。池の縁に夏草が生い茂り周りを雑木林に囲まれ、ただ黙って水をたたえている。この池の水がどこから来てどこへ行くのか、説明板もないから分からない。 

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  小金井公園の中ほどへ入る。広場を囲んで老樹が亭々と並んでいる。桜が有名だから春は人だらけになるが、秋は少ない。森閑としてやさしい陽差しが注いでいるばかり。心地よい風が抜ける。

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  公園の正門から抜け、正面の玉川上水を越えて家並みの中へ入る。ここに浴恩館という小公園がある。中に入ると大きな木々が覆いかぶさる暗い影に「浴恩館」と名の付く建物があるが、これは昭和3年(1928)御大典で使用されたものを下賜され、青年たちの修行道場として使われた、と説明してある。

 初代館長は下村胡人で、全国から集まった若者と自給自足の生活をしながら指導に当たったらしい。建物の写真は手振れで見られたものじゃないが、現在これは市の文化財センターとして活用されている由。

 

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 この公園のちょっと東に江戸時代(享保年間)に開墾された田んぼがあったというので行ってみた。だんだん緩やかな下り坂になって、登り返した住宅の中にぽつんと説明板があった。「亀久保田圃とため池」と書いてある。

 少し低くなった辺りに田んぼやため池があったらしいが、そもそも武蔵野の台地に田んぼが開墾されたことが非常に珍しい。武蔵野台地は水に乏しい、だから村山貯水池や山口貯水池に溜め、玉川上水の最後の一滴まで絞って水道水にしている。江戸時代はもっと厳しく田んぼなんていう水を食うものはできなかった。

 ここでもやはり玉川上水の水を引き込んで田んぼにし、明治39年ごろまで活用されたらしい。そうまでしてもコメが貴重だったということなんだろうなあ。江戸時代の武蔵野台地の人々は稗麦粟などを食い、せいぜいうどんは御馳走だったらしい。

 

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  さてさて、いつまでも脇道で道草を食っていては先へ進まない。小金井公園の脇を抜けて水道みちへ戻ろう。それにしてもこの公園は大きい。大きくてあまりごちゃごちゃしてないのが嬉しい。広い草っ原があるのがいい。

 疲れているのだろうか、境浄水場までの最後の道のりがエラク遠く感じる。そしてまた最後のところは馬の背のように盛り上がった土手の上に道があったように記憶していたが、いま歩いてみるとなんだかのっぺりしている。ヒトの記憶程あてにならないものはない、と思うがそれは自分だけのことか?

 

 

 そうしているうちに境浄水場に着いた。まぎれもなく夕暮れ、秋の宵は急ぎ足で暮れていく。その後ろ髪をつかんで、もう少しゆっくり暮れろと引き止めたいところだが、秋の夕暮れの頭は禿げているとも聞く。 

 

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  なんだかんだ言って、20㎞ぐらい歩いたらしい。水道みちだけ直線で歩けば約10㎞だというから、脇で道草を恐ろしくらい食ってしまったのだろう。どっちみち、道草だけの生活なのだからそれでいいのだけれど。

 で、どこかで疲れを癒さなくてはいけない。中央線・武蔵境駅へ向かう。駅前の蕎麦屋にたどり着いてみたら、本日定休日。仕方がなければやむを得ない、すぐそばの中華屋さんに入る。ラーメン屋ではないあくまでも中華店。

 中年の男とその母親らしいおばあさん二人でやっているらしい。ビールと肉野菜炒めを注文。 後からいずれもリタイヤ組らしい男が別々に3人入ってきて、店の中が賑やかになった。この人たちはビールも飲まず直ちに飯のようだった。

 

 一本のビールをちびちびすすって、だんだん疲れが取れていく。野菜炒めはキャベツのシャキシャキが旨い。このひとときがいいなあ。 

 

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