doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

晩秋の野道

 


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 忘日、秋が深まったから八高線の里道を歩いてみようと思う。

 八高線の、というより川越へ行く電車が高麗川に着き、これより先の明覚駅まで八高線のぼろディーゼルカーに乗り継ごうとしたら、驚くべし、どこやらが復旧工事のため間引き運転だという。更に驚くなかれ、その間引き運転の下りに乗るにはあと1時間以上も待たねばならぬ。 

 それにしても、これから1時間以上も便々として下りを待つわけにはいかない。だが、いきなりここで降りろと言われてもなあ。どこへ行こうか、明覚方面に行けば帰りの便がまた間引き運転で悩まねばならない。さあ、どぎゃんすっと?

 

 

 

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   高麗川駅を出て国道を横切り畑の中に入る。吹いてくる風が心なしか冷たい。北に来たせいか空気が澄んでいるためなのか。大きな農家の土蔵が晩秋の陽に照らされて眩しく白く光っている。

 明覚まで行こうと思ったのだが、そこに特段の用事が待っているわけではない。ただあの辺りの田舎道をぶらぶらしたかっただけだから、要するにどこでもいい。八高線の沿線はどこでも田舎が色濃く残っている。この沿線を歩き始めた20年前とほとんど変っていない。だからしょちゅうこの沿線を歩く。

 

 

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 いま歩いている道も何度か歩いたのだけれど、何年ぶりかであるし季節が違うし、歩いていて退屈することはない。畑の隅に植えられた菊が様々な色を見せてきれいだ。畑の向こうの家々が寄り集まって日向ぼっこをしいている。山の紅葉はまだ少し早いようだ。高麗川の流れの方へと近づいていく。

 そうして思いついた。ここを歩くについては、何度も歩いた道筋であるとは言え、やはり高麗神社と聖天院を経て巾着田へ行ってみよう。高麗神社はその昔、関東に住んでいた渡来人、高句麗の人々がこの地に集められ、その王を祀った神社であるし、聖天院はその王の菩提寺だという。そう考えてとりあえず心が定まった。

 

 

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 高麗川に架かる橋を渡る。高麗川は清流だという。しかし水量が少ないなあ。岸辺の木々が黄葉して陽に輝いている。向こうに見える橋のようなものは、実は秩父武甲山から石灰を運んでいるベルトコンベアの橋、延々40数㎞、山の中を貫いてここ日高市までゴロゴロ動いている。

 川があれば必ず覗き込んで、魚がいないか探す。これはもう、子供のころ川と言えば魚を捕まえる場所であった、そのトラウマであるらしい。小魚がいっぱい泳いでいるのを見ると今でもうずうずしてくる。高麗川に魚の影は見えなかった。

 

 

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 高麗川の流れに沿ったカワセミ街道を歩く。以前この道を歩いた時は、車が思いのほか多く歩道がなくて危なかったが、整備され歩道部分が緑色に塗られて随分歩きやすくなった。車も歩道部分には侵入してこない。

 カワセミ街道ではあるが、ちょっと川から離れている。無論のこと、カワセミは飛び回わらない。川べりの道なき道のようなところを歩けば、例のバズーカ砲レンズのおじさんたちがいるのかも知れないが、とりあえずそれをぼうっと眺めてもなあ。

 

 

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 傍らの山すそにお寺があるので境内に登る。モミジが植えてあり紅葉している。が、紅葉のモミジは写真に撮るのが難しい。べったりと赤黒く写ってしまう。葉裏から撮ればいいのだが、今度は光線の具合が難しい。自分がヘタだからにすぎないけれど。

 境内を静寂が包んでいる。こんな時は、その辺の石に腰を下ろして、帰し方行く末など思ってみるべきであろうが、そういうことは断じてしない。頭はただひたすらに縹緲として茫々なだけ。バカに効く薬はあるのだろうか。

 

 

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 さて、高麗神社。何度も見ているからうろうろしないでベンチで握飯1個。観光のお年寄りのグループがちらほら。社務所の前にどでかい造り菊が幾つか陽を浴びている。こういうものを造る、というのはどんなにご苦労があるのだろう、と思う。

 境内の入り口近くに大きな碑がある。続日本紀の文面らしいが、よく解らないながら、”乙未の年、高麗若光が王姓を賜る。駿河甲斐相模上総下総常陸下野、七国の高麗人1799人をもって武蔵国に遷し、これ高麗郡を置く始めなり”というような意味らしい。しかし漢字ばかり書いて、ぷいっと放って置くのはいかがなものだろうかなあ。

 

 

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  聖天院はすぐ近くの山すそにある。一段高いところに真新しい立派な伽藍が並んでいるが、これを見るには拝観料が要る。昔は古びたお堂が一つだけで拝観無料だった。○○主義に方針を転換したのだろうか。

 いくらでもない拝観料とは言え、その方針転換がおもしろくない。だから麓の山門や仁王像や若光の募陵と言われる崩れかけた石積みを見るだけでお終いにする。ケチ! と言われればそれに間違いはないけれど、たとえ拝観料を払ったとて寺宝を見られるわけでもなさそうだし。

 

 

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 しばらく歩いて巾着田到着。それを見下ろす小高い位置に高麗郷古民家なる豪壮なお屋敷がある。おそらくこの地の名士の住居だったのだろう。国指定文化財になっている。母屋の間口は20mぐらいはありそうで、別棟に客殿がある。

 燦々と陽が降り注ぐ入口で、ボランティアだろう、老人がパンフレットを差し出す。江戸末か明治の建築で平成24年改修、とある。それにしても剛毅な住居だなあ、と思う。しかし掃除が大変そうだな、と貧乏人は僻んでそう思う。

 

 

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 巾着田を見下ろす。かっては田んぼも少し残されていたのだが、いまは味気もへったくれもない駐車場になってしまった。片隅にどういうわけか馬小屋があり、若い女性にひかれた、みすぼらしいような馬が無暗に草を食っていた。

 広いからワイド写真にしたが、ぜんぜん迫力がねえ。巾着田高麗川が流れ込んでぐるりと一回りして流入口のすぐ近くから流れ出ている。その川の堤に桜並木があり春は花見、そして一部の林の下にヒガンバナが群生して秋はそれを見に人が集まる。

 

 

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 近くに蕎麦屋を見つけた。店構えは上等のように見受けられる。メニューを見てすぐに悟った。盛蕎麦一枚で800円と高い。並木の藪だって650円だったゾ! 持ってきたら4掬い程でお終いの量の少なさ。これは気取った蕎麦屋だ、好かない。

 やはり田舎の観光地で、食い物屋に入るべきではなかった。コンビニ握飯を持参していたのだから、蕎麦屋に目が眩むべきでなかった。どうもいけない、蕎麦というと、かかあを質にぶち込んでも・・・質草にならないか。

 

 

 さてこれからどうするか、決まっていない。スマホの地図を老眼でしょぼしょぼ見ながら、このまま高麗川を上流へ辿ってみようかと思う。川が谷間になって、それでも国道299号西武秩父線が通じ、小さな集落もありそうだ。

 秋の日は暮れやすし、だけれどまだ1時半、ま、何とかなるだろう。巾着田流入口の手前から川の左岸に寄り添って細道が通じている。国道299号と違って車が少ない。左手は高麗川の流れ、右手は山、その狭い谷間に点々と民家。

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 晩秋の谷間の道は寂しいけれど、しみじみと楽しい。幾山河 越えさり行かば 寂しさの、果てる国なぞないだろうが、なんだかそんな気分が湧いてくる。エラク大げさな気分だが、そんな気持ちになれるところが楽しい。

 昔の人は50㎞も60㎞も歩いたらしい。この年寄りは20㎞も歩けない。道が良くなり靴が良くなり、服装も食料も昔の比ではないのだが、歩けない。ヒトは進歩するのだか、退歩するのだか、はてどっちだろう。

 

 

 

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 川辺のもみじが美しく紅葉している。しかし関東はどちらかと言えば、京都や北国に比べ紅葉が地味なように思う。気温のせいなのか朝夕の温度差が影響するのか、ま、驚嘆するような紅葉の風景に出会うことが少ない。

 でも関東にもやがて確実に冬は来る。来るのだけれどその冬はあまり厳しくはない。そのことはありがたいことだと思うが、そうなるとわざわざ厳しい冬を求めて、北海道などへ旅する人もいるらしい。ヒトはないものを欲する、面倒な奴。

 

 

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 気持ちのいい細道も遂に橋を渡ってきた国道と合流。”やむを得なければ即ち仕方がない”ので、しばらく国道の歩道を歩く。歩いていれば、なんだってこうも車が多いんだ! と思い、車に乗っていれば、なんだってこんなとこを一人で歩いているんだ! となる。

 しかしこの国道は両側にきちんとした歩道があるのでまだましな方。場所によっては歩道などない国道だってある。道は人も歩くだ、ということを国土交通省は忘れてしまったに違いない。そんな酷道はほんとに腹立たしい。

 


 しばらく行くとまた脇に細道がある。昔はこの細道が秩父へ向かう街道だったに違いない。それを、細い道をおろぬいて整備し現在の国道になったのだろう。細道のある場所にはわずかながらでも民家が寄り集まっている。

 狭い谷間は早くも陽が山の端にかかって夕暮れの気配濃厚。それにしても目的の東吾野集落までどれほどの距離なのだろうか。皆目わからないから少し不安でないこともない。道端に出てきたおっさんに聞くと、「5キロぐらいだんべえよ」という。

 しばらく行くと西武線武蔵横手駅が見えてきた。右の山の中から小学生二人のグループとおっさんと若い女の二人連れ(気にかかるナ)が出てきて電車を待っている。駅前を通り過ぎた時、秩父方面から電車がやってきた。

 

 

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 脇の細道に入ったり国道に合流したりを繰り返していくと、高麗川の岸辺に遊歩道が現れた。なぜこんなところに遊歩道が!? と思うがこれはありがたい。爺さん婆さんがとことこ散歩をしている。

 渓谷の陽は完全に山の向こうに入ってしまったが、まだ周りは明るい。明るいはずだ、まだ3時ころなのだ。谷間の日暮れは早い。そしてほとんど爺さん婆さんしか見かけなかったが、なんと、若いママさんが生まれたての赤ん坊を乳母車に乗せて通りかかった。お婆さんが乳母車をのぞき込んでなにやら話している。ほっとする情景。

 

 

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  そうして東吾野の集落にたどり着いた。時刻は3時半ごろ。10分後に上り電車が来るので集落を歩き回る余裕はない。ホームからざっと見まわしてみると50戸ぐらいの住宅が見えた。だから全部でも150戸ぐらいの集落らしい。

 その集落はすっかり夕暮れの中に沈んでしまった。足元の下の方から薄い夕暮れが音もなく湧き出してきて包み込んでいく。空だけはまだ明るいのだけれど、静かに今日一日の終わりを告げている。

 

 

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今日の歩行距離、約17㎞(歩数換算)。

いつもだと、ここで一人慰労会を敢行するのだが、

そんなところは鉦や太鼓をぶち鳴らしても見つかりそうにない。

”やむを得なければ即ち仕方がない”

 帰宅してひとっ風呂浴びて、一人さみしく一杯やろう。