秩父を巡って
今年ふらふらした場所のなかで、印象に残っているのが意外や秩父。
秩父と言えば、爺様にとっては観音巡りとなりそうだがさにあらず、地層巡りなのだ。夏も終わりごろ、車でぐるっと一巡りしてみた。ネットの詳しい案内を見て、カーナビを使って簡単にその場所に行けた。だが、悲しいことに地質・地層の知識は皆無、そのため、ただぽかんと口を開けて、へ~! と感心して終わることになったけれど。
(サイト大鹿村中央構造線博物館 より拝借) (ウ ェブサイト・「ジオパーク秩父」より拝借)
地質の知識など露の一滴ほどもないから、きちんとしたことはちっとも分からないけれど、なんでも日本列島ができるときに太平洋海底の堆積物が付加体となり、その境目が関東から九州まで中央構造線として確認できる、とかいう話だ。
秩父地方は中央構造線の上にあり、さまざまな時代の付加体が引っ付き、そのうえ海が湾入し、更にダイナミックに地層が変動し、それを荒川ががりがり削って、ために様々な地層が見られる、ということらしい。
最初に、どんッ! これは付加体なんやらと関係はない、甌穴。直径約1m、深さ約1.5mぐらいははありそうな、巨大な穴ぽこ。実は地層的にここは「紅簾石片岩」という岩で、地下30㎞ぐらいのところで変成作用を受けた山波川結晶片岩、と説明板がある。しか~し、山波川帯とか秩父帯というのが付加体であることはネットで知ったけれど、それがどうなってどうなったのかは、ちんぷんのかんぷん。
蛇紋岩=上部マントルを構成するカンラン岩が水の作用を受けて変成したもの。とある。大陸プレートに沈みこんだ海洋プレートの一部分が水によってマグマを発生させ、地殻変動または荒川の削り出しで地表に出た、ものなんだろうか。こうなると、なんとなく地質学らしくなってきたような気がもしないでもない。
岩肌は緑っぽいとあるから、どうもこの岩でいいらしいが、蛇紋というのがはっきりしない。白っぽい筋が無数に入り込んでいるのもあり、よく解らないながら、これでいいことにしよう。近くに似たような岩がにょきにょき生えている。
「前原の不整合」という。下の黒っぽい地層は1.5億年前のジュラ紀の地層、上の灰色は1500万年前の秩父盆地を構成する地層、両者の間に1.3憶年の時間の開きがある。と説明板にある。このように、年代がとんでもなく違う地層が一緒になっているのを不整合というらしい。なにより時間の悠遠なることに魂消ただ!
下の地層は古秩父湾に沈んでいて、その後隆起したというから、こんな案配に重なったんだろうナ。ジュラ紀などという遥かはるか彼方のことは、想像さえできない。ま、ジュラ紀、白亜紀、八代亜紀、ということにより辛うじて名を知るのみ。
海底に堆積した地層「取方の大露頭」。赤平川の対岸に、海底で砂と泥が相互に重なり合ったらしい、斜めに傾いでいる堆積層がはっきりと見える。高さ50m、幅800mぐらいだろうか、累々と重なり合って続き、あまつさえ、輪を描くように地層がひん曲がっているではないか! 驚いたね、こりゃどうも。
説明板に、1600万年前の生成であり、正式名称が「古秩父湾堆積層及び海生哺乳類化石群」となっているから、このころの、われらが遥かなご先祖様(といってもヒトではない)の化石も出たのだろうと思う。生物は永遠なれ、万歳!!
赤平川下流にもう一丁、有名な「ようばけ」。これも海底堆積層、地層がくっきりと見える。夏場だから木が茂りあってはっきりしないけれど、上部の地層の重なりがよく見える。辺りは人はおろか、狐も蟻んこもいない。太古と同じ風のそよぎと静寂。
途中でいきなり蕎麦屋発見! 夢遊病者の如く思わず入ってしまった。実は長瀞の近くに、予ねて行きたかった蕎麦屋があったのだが本日休業日、やむを得なければ、蕎麦をすっかり諦めていたところへ、ひょっこりこの店が現れた。
蕎麦は大変に旨い。硬からず柔らかすぎず、辛めのつゆとともにつるつると喉へ滑り込んでいき、値段も高からず大いによろしい。たかが一杯の蕎麦に余りにも勿体をつけすぎるのはいかん。車なので一杯引っ掛けるわけにいかず、残念。
小鹿野の街並みを抜けて赤平川上流「犬木の不整合」。同じような地層が続いて恐縮至極なれど、見てみるに如かず。河原の砂利の上にちょこんと三角の頭をほんの少し見せているのが、八代亜紀の、いや違ったジュラ紀の地層。その上は1600万年前の地層。左手の縦長はなんと! 断層面の入り込みだそうだ。
地質などというものは教えてもらわなければ、なぁ~~んも気にせず通り過ぎてしまう。誰かがこういうものに目を向け、不思議だ! と思ったのが、ことの始まりなのだろう。少年(女)のような眼を持っていなければ・・・。
最後に31番観音院へ行く。細い道を山の奥へと辿り、日暮れごろの時刻に着いた。入口の仁王様は石像としては日本一なのだそうだ。石段をひーこらひーこら上る。中腹が少し開けて観音堂、摩崖仏などがある。
一帯の山は、盆地内の最下部の地層(約1700万年前の新第三紀中新世)で、古秩父湾に堆積した砂岩なのだそうだ。山奥の山だから堆積後に隆起したのだろう。夕暮れ迫る山の中には誰もいない。石仏や宝篋印塔などに囲まれて、うっすらと気味が悪い。
ともあれ、今回の変てこりんな地層巡りの締めくくりとしては悪くないような気がする。次第に暮色が迫る山の中で、とんでもない昔の、とんでもない地球のダイナミックスを想う。なに! 貧乏だぁ! 小せえ、 小せえ、!!!
ヤギ・・・おい爺さん、何の知識もねえで、教えてくれる人もねえで、こんなところを経巡って面白かんべえかよ。へっ、呑気な爺だなあよ。よっぽど暇を持て余してんだな、そんなに暇だったらよ、ほれ、そこら辺の草ぁ、ちっとばっかりひん毟って オラの前ぇさ置けとば。えれぇ、気が利かねえだな、まったく。
烏もはあ、帰ええったし、蝙蝠も飛んでんだ、陽が暮れるだよ、真っ暗になるだぞ、爺い帰えらなくていいのかよ、あに~、誰も待ってねえだと、待ってねえだども、夜を過ごすにゃあ、家が要るだ、あんべえよ家が、ぶっこれ小屋でもええんでねえか!