さて、立川崖線を探すのも今回が最後、ゆるゆるといきたい。
ここまでのところ、立川崖線はおおむね見つけられたし、そこを歩いていても楽しかった。だが、だからどうした? といわれるのは困る。こんなもの、どうするもこうするもない。年寄りの暇つぶしであり、寝ているより少しまし、ぐらいのものだ。
今回は、調布駅から出発だが、地下四階のホームに着いて3階に上がったらまたホームで、2階まで来てもまだ階段があり、深い地下の暗がりから無暗に登ってようやく出口に到着した。立派な駅舎と、どてかい駅前広場は清潔で明るく、えらく立派で場違いなところへ来たような気がした。
だからだろう、駅周辺で道に迷って逆方向へ歩き出してしまい、調布駅ですでにしてお上りさんなのかと、元の場所に戻りつつ、つくづく考えてみれば、どうも分倍河原駅での乗り換えで、わが貧弱なる方向感覚が狂ったらしい。安もんの感覚である!
京王相模原線の線路に沿って南下する。そうして立川崖線を見つけた。住宅地の中に植栽に覆われた我が崖線は、取り澄ました顔で続いている。今日も天気がいいし風はそよそよ気持ちがいいし、崖線日和といってもいい。
しばらく歩いても、崖線のはっきりした形は崩れなかった。こういう住宅地こそ崖線ははっきりと残るのかもしれない。何しろ崖線の上は住宅がびっしりで、下は田んぼだから、そうするためには、ハケの斜めの部分を埋め立てて直角にするしかない。
崖線の上と下とを直角に切り込んで、 その擁壁をコンクリートの壁、石垣、住宅の車庫と様々な形にしている。狭い東京の土地を何とかやりくりして、何が何でも住宅を造らざるを得なかったのだろうけれど、人口減の今後はどうなるのやら。
しばらく行ったら、道脇に「国史跡/下布田遺跡」の看板があって、草地の向こうになだらかな崖線が見えている。なんでも縄文晩期の貴重な遺跡があるらしい。傍に倉庫のような簡素な2階建て建物があり、「調布遺跡調査会/郷土博物館分室」と書いてあった。ここから美しい耳飾りが出土しているらしい。後日見てみたいと思う。
考えてみれば、ハケ下から湧き出す水を命の糧として、大昔の黎明の時期からこの辺りは人の生活の場であったのだろう。とすれば、遺跡に限らずその生活の痕跡が様々な形で残っていて当然なのかもしれない。ハケの周りの右や左にはそうした歴史が残されているだろうから、いつかそれを探してみたいと思う。
ともあれ、崖線の形は様々であり、歴然と崖を形成している場所もあれば、ハケがなだらかに崩れて上下関係がよくわからない場所もある。そもそもが多摩川の気まぐれな流れが造ったものだろうから、そのかたちだって至って気まぐれなのだ。
ハケ下に「染地せせらぎ散歩道」という公園が整備されていた。花々の植栽が整えられ、傍らに形ばかりのせせらぎが造られ、ベンチもあるが、せせらぎには水はなかった。この下にはハケ下の湧き水を集めたという川が暗渠になっているらしいが。。。
途中には、かって山葵田だったかと思われる一角もあったが、もちろん水は枯れ草が茂り、面影をとどめていない。ハケ下の湧水は、年々歳々枯れていく一方で、これも地上がすべてコンクリートになってしまったのだから、仕方ないのだろう。
散歩道公園のベンチで握り飯を食う。麗らかな陽差しは柔らかく、風がそよと吹き抜けていく。隣のベンチに紳士風老人がやってきて、ゆるゆると煙草を吹かしにかかる。可哀想にどこへ行っても禁煙だからなあ。頭上の桜の花が一輪二輪ほころんでいる。
土手の草がずいぶん青みを増したように思う。緑なすハコベが萌えているのか、いよいよ草の季節に入ったようだ。河原の土手などに、若菜摘む乙女、ならぬお婆さんたちが出現する頃となった。ヨモギ、芹、カンゾウ、野蒜。タンポポのサラダは旨いらしいナ。
「染地せせらぎ散歩道」が終わり、川が現れた。せせらぎ散歩道の地下に潜っていたのだろう。川といっても流れはなく、巨大で虚ろなコンクリートの樋である。「水のない川」はそこいらじゅうにいっぱいある。
いつの間にか狛江市域に入っていた。下流へ行ってから狛江市地区センターに立ち寄った時、そこの留守番のおじさんに聞いたところでは、この川は「根川」というそうだ。根川といえば、立川の柴崎体育館駅近くの川の名前なのだが。。。?
もしかすると、あの川が立川崖線の下を流れ流れてここに至っているのではあるまいか? 立川の根川は現在多摩川岸辺に作られた公園を流れ下ってすぐ多摩川に合流しているが、本来は崖線下を巡って遠くいここまで続いていたのではないのだろうか? どうもその疑問が消えない。
根川の北側に崖線は続いている。北側の建物が歴然として高い。そして、哀れ水のない根川はぴったりとその下に寄り添っている。根川は大きく弧を描いて南へ向かう。多摩川の堤防が見えてきた。
多摩川に近づくと崖線の形が崩れ、高低差がなくなってきた。もしかすると崖線そのものはもう少し先へと続いているのかもしれないが、根川が改修されて、そそくさと多摩川に合流せしめているのかもしれない。
根川の吐き出し口には閘門が造られている。地区センターのおじさんの話によると、前年秋の台風の際、閘門を閉め忘れたため多摩川の濁流が根川に逆流し、おかげをもって地区センターが水浸しになった由。台風は様々被害を作った。
ここが果たして立川崖線のとどのつまりなのかどうか、よくわからないけれど、ひとまず崖線の終わりとしておきたい。地図をお借りした人の調査でもそうなっている。水の無い根川が多摩川に合流しそこなって、合流できないでいる。
土手の草原に腰を下ろし、残りの握り飯を食う。そよらと風が来て、その風に何だか懐かしさを感じた。遠い昔のある日ある時、この同じ風を感じたのだろうかと思う。懐かしさは、風が運んでくるものらしい。
そしてもう一人の自分に問いかけてみる。「おい、まだ1時だぞ、これからどうする? そうだ! 矢川の駅の蕎麦屋に行って、一杯やるべえでねえか」「うだ! そうすべえ」・・・衆議一決した。
1キロほど下流に小田急線の鉄橋が見える。あの向こう岸に登戸駅がある。南武線に乗って矢川駅に戻り、あのうまい蕎麦屋「志奈乃」で、独りでゆるゆると反省会をやろうと思う。時刻はまだ2時を過ぎたばかりだ。
ところがぎっちょん、電車の中で調べてみると「志奈乃」は午後3時いったん閉店、5時再開とある。矢川まで30分はかかる。駅から慌てふためいて蕎麦屋に駆けつけても、時間は20分ぐらいしかない。諦めるしかない。泣く!
立川崖線のおおよその相貌が確認できたのでよかった。
またじっくりと歩いてみる積りでいる。
そんなことして何になる! は禁句なのだ。