doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

八高線・再び(小川町~寄居)

八高線のみぎひだり
                     足のむくまま気の向くままに

                                                                 烏が鳴いたら帰ろうかな

 

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 小川町駅に着いたのは11時ころだった。恐ろしく遅い時間である。なぜか?

 大チョンボをやらかした。最初の電車の時間を43分発だとばかり思いこんでいたのだが、実は34分発であって、当然これに乗れなかった。

 最初は10分ばかりの開きしかなかったが、乗り換えを重ねた結果、到着駅では無慮、1時間半ほどに広がってしまったというわけ。

 どうしたらこれ程差が開くのかというと、途中の高麗川駅で、なんとまあ50分余りの待ち合わせがあるのだ。恐るべし八高線! これだけの時間を、ホームでぼ~っと口開けて待つのは癪だ、仕方なく高麗川駅の周辺をぶらぶらした。

 

 

 さて、鬼の如く遅れたが、小川町駅に着いたからには歩かなくてはならない。それはいいが、歩き始めが11時で、3時ごろ雨が降るという予報であれば正味4時間、果たしてこんな按排でいいのか? ま、行けるところまで、だな。

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 駅の先の大陸橋を越えて反対側へ行くと、兜川という小さな流があり、岸辺に道が続いている。線路のこっち側は、すでにして鄙びた感じで人影もなく大変よろしい。20分も行けば家並みを外れ、川は渓谷の趣を呈してきた。

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 道はところどころで川を離れ、里へ入っていく。稲がわあわあ育っている田んぼが広がり、畑に野菜が実り、緑の山すそに民家が点在し、そこへ季節度外視の、極めて涼しい風が吹いてくる。ず~っと変わらない風景と、そして風。

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 よく見ると昔ながらの除草機を、うんせうんせ押している人がいた。う~む、何十年かぶりに見たぞ、この方式。それにしても、見るからに重労働だなあ、「お前やってみろ」と言われたら、10mが限度。ぼうう~~っと見てるとそう言われそうだから少し急ぎ足になった。

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 そうして東武竹沢駅近くまで来た。ここでちょっと思案橋ブルース(誰かのダジャレに影響されたらしい)。並走してきた八高線東武線はここで分れ、東武線は右の丘陵を縫って平地に出、西へ大きく迂回して寄居駅に至る。

 一方、八高線は左の丘陵の谷間を登ったり下ったりし、鉢形城址を大きく迂回して西側から寄居駅に入る。う~~む、どっちを取るべきか、右顧左眄・・・してても始まらないので、左、八高線へ行く。暫くぶりで折原駅にもお目にかかりたいし。

 

 

 こちらの道は人家の少ない淋しい道だ。一軒の民家の庭に、何の前触れもなく、こつ然と、にょっきりサボテンが生えたいた。ちょうど花の季節らしく、まさに開かんとする蕾、開いたらきれいなんだろうな。

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 廃屋か、いやいや人が住んでいるのか、かっては立派な住まいだっただろう民家が、トタンはほしいままに錆つき、屋根瓦が年月の重みに耐えずに崩れ、それでもどっこい、倒れずに踏ん張っていた。がんばれ~~。

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  道は丘陵へと続くです。隣を走る八高線も丘陵へ向かって高度を上げていくがです。八高線とともに、お互いのポンコツさ加減を慰めあって、頑張って越えていくです。いやいや、慰めや同情は要らんとです。それより杖を一本貸して下されんかな。

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 道脇にヤブカンゾウが群生していた。こうなると見事だ。途中の電車の窓からもしばしば群生が見られたが、今ちょうどその旬なのかもしれない。ただヤブカンゾウばっかりで、ノカンゾウは見られなかったのは、どうしてだろう?

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 丘陵越えの道をしたした登る。時折軽トラックがぶう~っと走っていく。頭上に木が被さって、その陰から鶯の下手な鳴き声が聞こえてくる。ケキョケキョキョキョキョ~、その甲高い澄んだ声が、どこか異次元の世界から届いてくるように思えた。

 いくつかの折れ曲がりを登って頂上に着くと、視界がぱっと広がって目の下に大きくカーブした下り道が見える。ここからは寄居の町域となる。丘陵を降りたらまた八高線が寄り添ってきた。

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 道路が交差する脇に、面白いものを見つけた。ごく短いコンクリートの橋、説明板によれば、この橋の下をくぐると「はしか」が治るという言い伝えがあるらしい。せっかくなので、下をくぐらず橋の上の石に腰を下ろして昼飯とする。

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  折原駅が近づいてきた。ず~~っと前、崩れかけたホームがぽつんとあるだけのこの駅を初めてみた時、冬の氷雨にけぶる人影がひとつ、屋根のないホームに佇んでいる姿が脳裏に浮かんできた。以来、この駅のファンである。

 駅舎は無論のこと、無い。出入り口が孤独にたたずむ中に、タッチパネルが二つ並んでいたが、以前はこんなものもなかったような気がする。孤立無援のホームだけだったような気がする。

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  ここから鉢形城址までは比較的車の多い道となった。ちょうど真向いの東側を通る東上線に、そういえば「男衾」という駅がある。

 この駅名を聞けば『男衾三郎絵詞』が思い浮かぶ。(wekiさんから引用)

 鎌倉時代に描かれた絵巻物。1巻、東京国立博物館蔵、重要文化財。『男衾三郎絵巻』ともいう。兄・吉見二郎と弟・男衾三郎という対称的な武士の兄弟とその家族の境遇を描く継子いじめ譚である(略 )

 特に第2段には鎌倉時代の武士の様子が生き生きと描かれ、よく教科書などの図版として使われる。一方で、「馬小屋の隅に生首を絶やすな、首を切って懸けろ」、「屋敷の門外を通る修行者がいたら蟇目鏑矢で追い立て追物者にしてしまえ(犬追物の的の代わりにせよ)」といった非人道的な描写があり、これに鎌倉武士の残虐性を指摘する意見もある。

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  そんな土地柄のためではないと思うが、今度は道の向こう側にど~んと天守閣が現れた。見事な白壁の、白鷺城を見まごうばかりの、堂々たる天守だ。1階のサッシにカーテンが見えるので、むろん住んでいるはずだが、鉢形城址に天守がないから持って行って据え付けたい。

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  いよいよ鉢形城址。最初に「鉢形城歴史館」へ行ってみたとです。案の定「本日休館」だったがです。いつもこうなるとですが、何か悪いことでもしたがでしょうか。私は神に呪われているじゃなかとですか?

 

 鉢形城については、寄居町のウェブサイトが簡にして要を得てると思われるけえ、引用すっと。

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 鉢形城跡は、戦国時代の代表的な城郭跡として、昭和7年に国指定史跡となりました。城の中心部は、荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上に築かれていて、天然の要害をなしています。この地は、交通の要所に当たり、上州や信州方面を望む重要な地点でした。
 鉢形城は、文明8年(1476)関東管領であった山内上杉氏の家臣長尾景春が築城したと伝えられています。後に、この地域の豪族藤田泰邦に入婿した、小田原の北条氏康の四男氏邦が整備拡充し、現在の大きさとなりました。関東地方において有数の規模を誇る鉢形城は、北関東支配の拠点として、さらに甲斐・信濃からの侵攻への備えとして重要な役割を担いました。
 天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めの際には、後北条氏の重要な支城として、前田利家上杉景勝等の北国軍に包囲され、攻防戦を展開しました。1ヶ月余りにおよぶ籠城の後に、北条氏邦は6月14日に至り、城兵の助命を条件に開城しました。
 開城後は、徳川氏の関東入国に伴い、家康配下の成瀬正一・日下部定好が代官となり、この地を統治しました。 

 

 

  鉢形城歴史館は、門が固く閉じられていたけれど、和風の大きくて立派な建物に見える。さぞかし歴史的に重要な文物が展示されていることと思う。しかし止むを得ないものは仕方がないので、城址の裏口(?)、八高線の線路がかすめるあたりから入ってみた。

 

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まず「三の曲輪」へ登り、そこから 振り返って「伝逸見曲輪」の方を見てみるとなるほど広大、車が三台駐車しているさらに先は、湿地帯のような草むらだったが、あれは当時の泉水だったのかも。

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 「三の曲輪」の奥も広大な緑の原っぱ、芝の薄緑と奥の杉林のコントラストが美しい。奥のきれいな石積みは復元された「石積土塁」、東屋も復元の休息所。左手の奥は荒川の断崖絶壁。

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  周りには空堀跡や井戸跡などがきれいに復元されて残っている。これだけ大きな構えの城だから、多くの建物もあったに違いない。それらのいくつかを、木造でいいから、映画のセット位で充分だから、復元してほしい。原っぱも美しいが、建物がないと往時を忍ぶよすが逃げていく気がする。

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 この城址はど真ん中を普通の道路が貫いている。だから車が走っている。その道をとことこ歩いて、「伝御殿曲輪」に登ってみた。東屋があってその奥に曲輪の広場がある。東屋で休憩。目に前にヤマユリが咲いていた。

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  ヤマユリが咲いているのは荒川を望む崖っぷち、川向こうに寄居の街並みが広がっている。秩父の山峡を流れ下ってきた荒川が、まさに関東平野に出ようとするそのとば口に町がある。この点、青梅と似ている。

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 さて、と思ったら、律義にも3時きっかりに雨が降ってきた。傘をさす。今日はこれまでだな、と思う。できれば寄居の「円筒分水」まで行きたかったが、無理しても面白いことはなさそうだ。寄居駅から帰ろうと思う。

 

 

 荒川に架かる橋を渡る。川面に白波がたち笹濁りの水が勢いよく流れている。これがはるかに流れて、東京で隅田川を分流するのだろう。そうすると、隅田川を思うなら、寄居の荒川を大切に、ということになるナ。

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  駅は、この道をなに構わずずんずん北に進めばいいらしい。傘を差しながらずんずん進む。駅の改札で、「今度の上りは?」「16時30ぷ~ん、50分待ちだがね~」・・・がび~~ん。八高線、おぬしも悪よのう!

 

 

 しからば例により蕎麦屋を探す。駅前は広場拡張のためか、お店が壊され、立ち退き、なんだかすごい按排になっている。駅前をうろついて小母さんに聞いて、見っけ。大丈夫かなあ、という感じだが入る。

 ガラガラと引き戸を開ける。暗い中でおじさんがブラウン管テレビを見ていた。あの~、できますか? は、はい、どうぞ。店の電気をつけてくれる。むき出しのLEDランプが各テーブルの上でほのかに灯る。

 テーブルは10脚ぐらい、店もテーブルも古いけれど不潔ではない。メニューはぺらりと紙一枚。いくら品数があったとしても、注文は「日本酒、盛り、以上! 」だから、紙っぺら何枚でもよろしオマ。

 

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 小さなおばさんがコップの酒を持ってきた。お通しがキムチなのが泣ける。白菜のきれっぱしを一口食ってみるが、不味くはないと言えど、飲むのはビールじゃない。こういうのも又いいなあ、と思う。

 蕎麦来る。乱切り調の白い蕎麦。蕎麦も酒も、旨からずとは言えど不味からず。何しろ両方とも500円程度、文句をいっちゃあ、世のなか前を向いては歩けない。つるつる、ぐびり。もぐもぐ、ぐびり。

 

  トタン屋根に雨が落ちる。おじさんも小母さんも、森として声無し。時が止まってしまったような夕べのひととき。つるつる、ぐびり。今日も阿房のようにただ歩いただけだが、面白あかったなあ、と思う。

 

 

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 かくて時刻は4時30分、ホームに行くと高校生がわらわら。駅向こうに青いタイルのモダンな6,7階建てのビルがある。「あれ何?」女子高校生に聞くと「役場」「この街は人口いくら?」「ここじゃやないから知らね」

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 歩行距離は(高麗川歩きを含め) =28,600歩(×0.6=17キロ位か)

 電車が出るころ雨はやんだらしい。

 さ~て、あとはいつ歩けることやら?