doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

秋の一日

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 空気の粒々が朝の陽に煌めくような、美しい秋の日。

 久しぶりで近場を散歩。山道は如何に? と滝山城址へ。

 城址へ続く丘陵の尾根に登る、わずか10mほどの坂道で早くも息切れ、ぜえぜえ。

   近頃歩いていなかったからなあ、体は使わないとたちまち鈍ると言うナ、ふむ!

 

 尾根道は夏とさほど変わらない。紅葉、落葉の季節にはちっと早い。ただ少し落葉が溜まっている道の両側の土が掘り返されている。猪か? この丘陵にゴマンと住んでいるのか? 夕暮れの山道で猪軍団に追れて、泣きながら逃げる姿が頭に浮かんできた。

 昼間だからやつらの姿はない。街の騒音も雑木林に遮られここまで届かない。ここには他に人もいない。静かだ。ぽつんと独りで、とても気分がいい。人嫌いを気取っているわけじゃないけれど、人がいなけりゃ、妄想、迷夢かって放題!

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  雑木林を過ぎ、間伐されて明るくなった杉木立を抜け、頭の上が開けて陽ざしが温かい。このあたりから桜の木が出てくるが、勘違いして咲いている木は見当たらない。ソメイヨシノはそういうことをしないのかもしれない。

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  その代わりと言ってはなんだけれど、何を思ったのか、日当たりのいい場所でヤマツツジが一本花を咲かせていた。ああ! 勘違いしたあ!! ということは何処にでもあるが、野生の花もヒトも深く考えない、という点では同じか?

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 滝山城址のゾーンに入る。家臣の屋敷跡などにモミジなどの紅葉樹があるが、まだ緑が濃く、色づくのは11月下旬ごろかナ。いつも休憩する「中の丸」に立ち寄ってみた。整地されていて広く、人も多い。

 大きな木の枝を切っている人たちがいた。よくよく見ると、よじ登ってチューンソーを使っているのは、まだ若い女性らしい。なんとまあ、4人のうち3人が女性! 女性のガテン系への侵襲は止まるところを知らず。 

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  最近読んだブログに、うら若き女性がたった独り、ヒマラヤトレイルを走破し、その勢いでインド亜大陸縦断、さらに勢い余ってアフリカ大陸縦断、というがあった。魂消たね! 若い女の子だよ! たった独りでだよ! ・・・調べたら他にも案外いるらしい。

 これを見て、世の中は完全に変わった! と深々と認識しましたね、ほんとに! 治安がよろしくないと言われる東南アジア、インド、アフリカへ若い女の子が独りで、平気な顔で続々出かける時代になっちまった。ああ、「深夜特急」、今は昔か!

 

 

 「中の丸」の崖っぷちから多摩川を見下ろす。晴れていた空が雲に隠れるようになった。風が少し出てきた、天気天気予報当たらず。おっさん3人組が来て写真を撮る、若い夫婦が犬を連れてくる、人が混んできた。f:id:donitia:20201023134203j:plain

 

 

 滝山城の丘陵を降りる途中から、「多摩の米どころ」と勝手に名付けた、河岸段丘を見下ろす。パッチワークのような畑の向こうに、刈入の済んだ田んぼが広がっている。はるか遠くに青くかすむのは、秩父の山並みか? なかなかよき眺めじゃ。

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  平地に降りて家々の裏道を歩く。路傍の草は冬の準備なのか、花は少ないようだ。小川の中にミゾソバが咲き誇っている。「道っぱたの花」も、この秋はあまり見つけられなかったなあ。いつの間にか季節が過ぎ去った感じがする。返せ! オレの季節を。

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 民家の庭先には、名前は知らないけれど、薄紅色のシュウメイギクに似た花が風に揺れている。手入れがいいのか、色がとても鮮やかで目に沁みるようだ。車は通らないし、長閑すぎてあくびが出そうな裏道。 

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  「隠れ里」と名付けた、高月城址近くの別の耕作地に入る。広々とした台地に家は2軒だけ、そのうち1軒はどうやら空き家。砂利の道をのんびりふらふら歩く。道の上にカマキリがうずくまっているのを何度か見かけた。靴の先でちょんちょんしても動かない。おい! どうした、らしくないぞ!!

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  「隠れ里」を過ぎて、民家が固まっている地域の河川敷運動場に、小学生の子供たちが大勢遊んでいた。脇の草地に腰を下ろしていたら、引率の先生らしき人に胡散臭そうに見られ、どぎまぎして、へい、少し休ませてつかあさい、と挨拶しておいた。

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 次に歩いたところもやっぱり砂利の田んぼ道。稲がまだ田んぼに残っている。いいのかナ? 実り過ぎないのか? 遠くに青く霞むのは、これは奥多摩の山並みかナ。山にも登らず、海外にもいかず、こんなところを歩いて、爺むさいなあ!

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 山に登るにしろ、車中泊するにしろ、海外を放浪するにしろ、実行する「トキ」というのがあるような気がする。そのトキをむざむざ逃したか? 一方、思い立ったがその「トキだ」という意見もあるようだ。

 何をするにしても「遅すぎるということはない!」とも聞く。要は、「なにがなんでも」という情熱を持ち続けられるや否や、ということになりそうだけれど、それにもやっぱり、その「トキ」というのがあるような気もする。

 

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  今日は、脚ならしみたいに13㎞ほど。

 目当ての蕎麦屋は今日も時間外、4時ごろ帰宅。

  頼むからもう少し晴れてくれ~。