山道を登りながらこう考えた。
することがないと言って何もしないのは馬鹿である。することに事欠いて、行く先も決めずににふらふらするのは阿呆である。馬鹿と阿呆をこき交ぜて、素知らぬ顔で山道を歩いている。
山道と言っても、古い城址に連なる低い丘陵の尾根道なのだから笑止千万、ではあるが、久しぶりの森は青葉がことのほか美しい。若葉の初々しさから青年期のつややかさに変わった。ガビチョウなのか、休みなしに鳴き騒ぐ。
足もとの小さな花たちは、もうその姿が見えない。見かけたのはホタルブクロとヒヨドリバナらしき2種類のみ、梅雨の時期は案外少ないのだなあ、と不思議な気もする。ひとしきり咲き終わって、今は種だか実だか、そっちに専念しているのかもしれない。
それにしても、生き物は多少環境が悪くたって、とにもかくにも種を結び実をはぐくみ、必死の形相で子孫を残すことに躍起になるらしい。何が彼らをしてそこへ追い込んでいくのだろうか。当の本人はそれを自覚しているとは思えないのだが。
翻って、子孫を残すことに無関心であれば、生物は一代限りだ。それじゃあ、次から次へと新種を造らなくっちゃならない。そんなべらぼうなことは、やっていられるものではない。だから生き物自身が自動再生産するべく取計らったのかな。
しかし、馬鹿と阿呆のこき交ぜ人間が生物の話をしてみても埒はあかない。
城址の広場から川を眺める。川はコロナだろうが何だろうが、流れている。ここまではほとんど人に出会わなかったが、ここへ来るとちらほら人がいる。みな身軽な格好で、ちょっと下界の川を眺め、安心したように立ち去っていく。
急な坂道をよたよたと里の裏道へと降りて行く。後ろから高校生のような女の子にひょいっと追い抜かれた。な~に、ゆっくり歩けばいい、ともかく日が長い。川近くの沖積平地の田んぼに水が張られ、きらきらと光っていた。
昔、関東平野を歩いていた時、田植えは5月連休ごろ皆一斉に始められていたように記憶している。農家のとっつあんが連休を利用して田植えを済ましてしまうのだな、とそのとき思った。しかしこの辺りはこれからのようだ。
里の裏道の足元にも、花は少なかったが、しかしどこを見ても青葉はもりもりと茂って、空が開いてようやく射してきた陽ざしに、つややかに映えている。お気に入りの、川と丘陵に囲まれた隠れ里のような耕地に入る。やっぱり山の緑が美しい。
ここの田んぼにも水が張られていて、その上を風が吹き抜けると、きらきらしたさざ波が騒いで向こう側に渡っていった。畔に腰を下ろしていつまでもぼんやりと眺める。腰を下ろして休んでばかりいるようだが、急ぐことはない、何しろ日が長い。
丘陵の低い鞍部を向こう側に越えることにした。自動車道の歩道をえっちらおっちら登っていく。途中から見下ろせば、家々がまさに緑に埋め尽くされている。手前の薄緑は栗の花らしい。そういえば9月になったとたんに、あいつらは実を結ぶなあ。
鞍部を越えると、丘陵から湧き出した水が流れる谷地地形だ。その川の近くをとぼとぼ歩いていく。陽ざしが強くなった。蟻のごとくゆっくりあゆみ、すぐさま休む。何しろ日は長いのだ。日陰で休んでいると吹いてくる風が、どえりゃあ気持ちがいい。
高みにあるお寺に登ってみると、住職夫妻が本堂前で涼んでいた。住職に見られたからには仕方がない。本堂に向かって手を合わせお辞儀をする。後ろめたいから取ってつけたようなお辞儀になった。脇の日陰でまた休む。さわさわさわさわ、また風が吹く。
休んじゃあ歩き、歩いては休み、日永の午後が閑々として過ぎていく。ふと畑の中に迷い込んだら、桑の実がどっさり、口に放り込んだ。遠いとおい、ほのかな味がした。今では桑の実はおろか、桑の木だって珍しい。
疲れてきて、川沿いの煉瓦畳の道を黙々と歩く。歩き過ぎかもしれない、と言ってもたかが知れたものだけれど、寄る年波、歩けなくなったなあ。でもまあ、過ぎた過去を羨んでみても、屁の足しにもならない。
最後の4㎞近くは、亡霊の如くにして歩いた。
壮歩行距離は22㎞余り、ちと歩き過ぎか。
体中がギクシャク、ギリギリする。