doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

見沼田んぼは花が湧く

 


桜並木が延々と続いているという。

ということで、今月の「歩く会」は「見沼田んぼ

 

f:id:donitia:20220403100129j:plain

 

 

 武蔵野線がぐるっと回って、聞いたこともない、いつできたのかも知らない埼玉高速鉄道に突き当たって乗り換え、終点「浦和美園駅」というところで下車。この鉄道は都内地下鉄の延長みたいな線で、モグラのように地下に潜って走るらしい。

 しかし下車した駅はモグラなんてものじゃなく、近代的な堂々たる構えを誇示していた。で、駅から出て案内地図の前で、そも「見沼田んぼとは、なんだんべえ」と言いうことを案内役が説明してくれた。

f:id:donitia:20220403102055j:plain

 

 

 難しいことは勘弁してもらい、ごく簡単に済ませてもらった。こういうことである。

 見沼田んぼは、浦和市東側の低湿地帯であり、開発されなかったから田園の景観が今に残っている。この土地は、縄文海進のころ(古い話だなあ)、古東京湾の深い入り江であったが、海が後退して湿地帯になった。江戸時代初期になって下流の洪水を防ぐため「八丁堤」で締め切って沼になった。その後江戸中期、享保の改革のため沼を干して田んぼにするべえ、と堤を切り、代わりに農業用水を得るため東西に掘を掘削して、真ん中を田んぼにした。この用水掘の工事は、ぬわ~んと、遥か上流(60㎞)の利根川から半年にして水を引き、江戸へ物資を運ぶため通船掘が作られ、水位調節のため「閘門」まで作られた。 

 というような歴史と曰くがある場所なのだが、用水掘に沿って20㎞にも及ぶ桜並木があって、現代人は、もっぱらそっちが関心の的、われらも例外でなく、花に浮かれてやってきました見沼まで、という次第なんである。

 

      

(八丁堤と沼の時代ーウェキペディア)

 

 

 さてこの地域を、花を愛でつつ、田園景観を楽しみながら、ちくっと歩くことにした。まあ、話のタネということもあるから、埼玉スタジアムの脇を通り抜ける。思った以上にどでかい建物であって、空の上から威圧されるような気がする。

f:id:donitia:20220403111656j:plain

 

 

 それから田園地帯を横切り見沼代用水東縁を越えて、まずは見沼田んぼの功労者、井澤弥惣兵衛に敬意を表すべく、満年寺へと歩みを進める。弥惣兵衛さんは吉宗に招かれ、幕府勘定方として見沼に田んぼを作るべく総指揮を執った、エライ人なのだ。境内に顕彰碑があるという。

 境内の顕彰碑は、ごく質素なもので1.5mぐらいの石になにやら戒名らしき文字が縦一列に刻んであるが、自分には教養がないため判読は不能。境内の椿の花が、春に別れを告げるが如く、はらはらと散って地面に絵を描いていた。

 用水掘りを作った、という点で、多摩の玉川上水と似ている。上水の方は1653年に約43㎞を約一年で作り上げたとされているが、こちらは約60㎞を1723年から約6か月で完成させたと言われる。やはり弥惣兵衛さんは偉かった。

 

f:id:donitia:20220403115233j:plain f:id:donitia:20220403115251j:plain

 

 

 江戸時代の豪農の家が残されているというので立ち寄った。「見沼くらしっく館」というこじゃれた名であるが、茅葺の大きな家で、真ん中に式台を備えている。安政4年の建築だそうで、式台の奥には立派な座敷が二間も続いている。

 土間に、びっくりするほど大きなへっついと囲炉裏があって、昔の豪勢な暮らしが垣間見える。昔と言えど、裕福な家はそれなりに幸福な暮らしだったろう。庭も広く、まごまごすると迷子になる。入口の看板を見ると女性名で、行政書士とあった。

f:id:donitia:20220403123703j:plain

 

 

 さて、待ちにまった昼飯の時間が近づき、すぐ近くの見沼自然公園に向かう。途中、道路から用水掘の桜並木が目に入ってきた。空も晴れてきて、昨日の雨の湿り気もとれ、土手の緑を限って薄紅色の雲のようなもくもくが遥かに続いている。

 近くで見るとひたすら白っぽい染井吉野が、どういうわけか離れて見たら薄いほのかな紅色になる。あるいは写真に撮るとそうなるのかもしれないが、最近、白ばっかりの染井さんに飽きが来て、赤い色の大きな花びらの、豪勢な桜がはやりのようだ。

f:id:donitia:20220403124812j:plain

 

 

 そして見沼自然公園、芝生の広場の向こうに静かな沼が見える。沼の周りを桜の花が取り巻いてとてもきれいだ。それを遥かに見やりながら、ベンチで食事。われら爺婆の昼飯は至って質素、コンビニ握り、自作のサンド、それをぽそっと食ってハイ終わり。

 今どき若者のように、湯を沸かしてやれコーヒーだ、やれ鍋だ、などと言わない。ともかく一時的に腹がくちればそれで上々、四の五の言わずに済ます知恵は、長年の年季の効用と心得、たちまちにして食べ終えた。

f:id:donitia:20220403125645j:plain

 

 芝生の原っぱで、沼のかなたを見つめる、狐のように痩せた武士の銅像、井澤弥惣兵衛さん。ご尊顔を拝すれば、やたらに神経質そうな厳しい表情で、ああ、この人が上司でなくてよかったわい、となぜか安堵した。

f:id:donitia:20220403125703j:plain



 昼休憩を終えて、見沼代用水東縁(西側に西淵がある)を歩く。気持ちのいい青空で、心配していた北風も強くは吹いていない。はぁ~るの~、うらぁらぁの~、すう~みだがわぁ、と歌いたくなってくる。

 今どきの歌は一粒も歌えないが、子供のころ歌ったものは、音痴ながら歌える・・・ような気がする。そのころ隅田川は遥か遠くの大都会の川であって、どれほど麗らかできれいな川なのか、そう思って歌った。

f:id:donitia:20220403142659j:plain

 

 

 途中、国昌寺という禅寺に立ち寄る。門前の枝垂れ桜が風に揺れ、河津桜が散り始め、石楠花が、木瓜が、連翹が咲き、柳が芽を出して、美しい寺である。天正年間のころの僧が朝廷と縁浅からずという、その縁によるものか、山門の扉には菊のご紋章。

f:id:donitia:20220403150106j:plain

 

 

 お寺の門からふと反対側を見ると、畑に萌え出た若草の先が春爛漫の状態。花桃と桜が積み重なるように咲き乱れ、緑の大地の上に現出した、ひとときだけの桃源郷の如し。見沼の春は、今まさに爆発だあ!

f:id:donitia:20220403150454j:plain

 

 

 見沼代用水東縁の岸辺に戻って歩きを続ける。土手に列植された桜の枝が川面にしなだれて、まさに桜のトンネルを抜けるような按排。三々五々、散歩の人たちとも行き違う。美しい春は人を美しくする、のかもしれない。

 用水の浅い流れは、散り落ちた花筏を浮かべて、流れるともなく流れてゆく。どこへ行くのか花筏、二枚の花びら一緒でも、風の吹くまま流れるままよ、行く先ゃ風に聞いてくれ、なんていうのもあるみたいだ。

f:id:donitia:20220403174627j:plain f:id:donitia:20220403174649j:plain



 岸辺にはいつの間にか萌えだした草が青い。向こう岸の菜の花が陽ざしにぴかぴか光っている。花という花が一斉に咲きそろい、こちらが気付かないまま、春は知らん顔で通り過ぎていくらしい。

 もし春を追いかけるなんてことをしたら、とうていこころが落ち着く暇がない。と思ったから、春はやり過ごすべし、とこころがける。過ぎてゆくのを目の端っこに捉えながら、こっちも知らん顔をするに限る。

f:id:donitia:20220403175100j:plain

 

 

 また小さな公園に来た、見沼氷川公園。すぐそばに氷川女體神社があり、そこからの命名らしい。ここで大休憩をする。浅いすり鉢状の広場があり、周囲が草の土手になっている。真ん中を歩くと水が滲みだしてきた。見沼田んぼの田んぼたるゆえんか。

 あとで女體神社に行ったが、誰かが、なんだかすごい色っぽい名ではないか、と言ったら、御祭神が稲田姫命だからだという。それにしても、飛び抜けて艶っぽいというかエッチなというか、そんな名前だ。しかし古い創建を伝えられる古格な神社なのだという。

f:id:donitia:20220403181603j:plain



 さてこの後が大変だった。街の中に出て、車ぶんぶんの広い通りをひたすら歩くことになった。こういう道はたちまち疲れが沁み出てくる。ちくっと休みたいと思っても休む場所がない。長い距離を歩くことを全く想定してない道路だから。

 みんなは元気らしいが、こっちはくたびれ、よれよれとぼとぼ、遅れてはならじと追いすがった。そしてえらいこと歩いてようやく東浦和駅前、トイレに用がある人がいて暫時休憩。売店のコーヒーを飲んでようやくひとごごち。

 

 

 やっぱり疲れた人がいて、ここで2名帰宅したが、残りはまた歩いて通船掘跡を見に行く。東西の用水掘から堀を開削し、真中を流れる芝川に繋げ、物資運搬の船を通したという。芝川との水位調整で閘門も設備したという。

 通船掘跡は今立派な川筋に変更すべく工事中。あんまり整備しすぎないでほしいよなあ、江戸時代のものとまるっきり別な、きれいな通船掘りじゃなあ! と誰かが嘆いていたが全面的に賛成。なんでもきれいに整備すればそれで勝ち! ではないと思う。

f:id:donitia:20220403183504j:plain

 

 

 東浦和駅に戻って5時ころの電車に乗った。この時点で歩数計は19㎞、歩き過ぎ。

 不良爺いがいて、国分寺の某店へ集合せよとの命が下った。

 疲れ切っていて、こっちはたちまち廻って、

 しかし剛の者たちは、日本酒を旨そうにいつまでもちびちび飲む。

 これで、歩く会もなかなか楽ではないのだった。