doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

遥か来て谷地の田んぼで蛙鳴く

 

 さすらうは夢のまたゆめ

 せめて行こうか真似ごとに

 

 

 

 凧が切れた糸のように、当てどなくふらふらと行くのは大いなる憧れだけれど、危険な目に合うのも、苦しい目にあうのも、逃げたい。だから当然さすらえない。

 野田知佑さんは川の上に船を浮かべ、生涯かけて世界を放浪した。日本中を歩いて勢い余り、歩いて南米、キューバ、あげくカナダを横断したご夫婦、一人でインド、アフリカを放浪した若い女の子、それをブログで知り、うなってしまった。

 そういうことを指をくわえながら眺めいたら、齢をとった。・・・やんぬるかな!

 

 

 その真似事だって遠く及ばないけれど、せめてあっちこっちの田舎道を当てどなくふらふらしてみたい。地図を眺めて、やっぱり八高線かなあ、と思う。それで高麗川駅から歩き始めて明覚駅まで、と決めた。

 高麗川駅に下り、セメント工場への引き込み線跡を辿る。線路跡は線路のように緩やかに弧を描き、土手には花が植えられている。なんという名か、矢車草を小型にしたような、紫や赤の花が目立つ。おりしも女性が二人、花の手入れ中だった。

 

 

 市役所前を通過して、できるだけ細い道を選んで歩いた。こころが解放感で満たされる。どこを歩いているのか、行く手に川が流れているから、とんでもないところへ行く心配はない。だから好き勝手な方向へ細道を辿っていく。

 家が途切れ、道脇のちょっとした草地にさっき見た花が群生していた。道っぱたの花を眺めながら歩くのがいい。花の名を少し調べたことがあったが、頭の中でたちまち霧になって速やかにどこかに消えた。なので名前は知らないまま。

 

 

 そのまま知らない細道をふらふら歩いて行ったら、えらく豪勢な橋に突き当たった。あれ! もっと下流の、趣のある木橋を渡るつもりだったがな? こんな立派な橋はわが身にふさわしくない、たもとの細道を辿ってそっちに行こう。

 橋の脇の細道を辿っていくと、なにやらぐるぐる回って、なんてこった! また同じ場所へ出た。ええいッ! この橋を渡って何が悪かろう、行ってまえ。立派な橋の歩道を、父と娘か、ジャージ姿の3人、連れだって渡っていく。

 

 

 橋の上から流れを眺めた。水は澄んで若葉の影を映し、風が心地よく吹きすぎていく。渡り終えて河川敷に続く砂利道へ逃れる。件のジャージ3人、娘は中学生の姉妹だろうか、鶯の声がして若葉の梢を見上げていた。

 更に河原の砂利道を進んでいくと対岸に小さなキャンプ場。テントが幾つかと、お定まりビービーキューの煙。最近は隙あらばキャンプだなあ。子供が蝶を追いかけたり川面に網を突っ込んだりしている。たしかに楽しそうだ。

 

 

 それで危うい木橋を渡って対岸へ、そして細道に登って最初の目論見の木橋に至った。向こう岸に城西大学、医科歯科大学の建物が都会然として並んでいる。大学生も大変だな、と思う。憧れのキャンパスライフも田舎の隅っこなんだから。

 そこから東武川角駅前へ、寂れた駅前商店街を抜けると、高校生やら中学生やらが虫が湧いたようにわらわら出てきた。近くに学校があるらしい。冷たいものが欲しくなって、コンビニのアイス最中を齧っていたら、どうもおかしい、変だ、道に迷った。

 さすらうんだから、どこを歩いてもよさそうなものだが、こっちにだって一応の目論見というものがある。それがなければ凧の切れた糸、どこをふらついて、どこに迷うかわかったもんじゃない。一応家に帰らねばならぬ身は、それは困る。

 

 

 持参の地図、グーグルさん、総動員して矯めつ眇めつ、ようやく今いる場所が判明。傍の川筋を辿っていけば元の目論見道路に出られるようだ。で、川土手を行く。すると目の前が開け空が広がり、田んぼと畑と休耕地が入り混じった風光がど~んと眼前に展開、いやあ、気持ちがいいなあ、せいせいする。

 

 

 目論見の道路に出てすぐ、鎌倉街道と標識があって入る。鎌倉街道は道幅は2mぐらいの砂利道、ほとんど家がない寂しい畑の中にうねうねと続いている。これぞ我が意を得たりの道ではなかろうか、こうでなくちゃいけない。



 人っ子一人通らない砂利の古街道をぽくぽく歩く。陽は燦々、微風汗をぬぐい、土の香り芬々、道端の花なんぞ美しからずや。しかし春の移ろいはほんとに急ぎ足だなあ、萌えだした梢は、すでに青年の瑞々しい若葉に変じた。

 前方に鬱蒼と森が現れ、進んでいくと、なにやら発掘のトレンチ風の溝。ほんとに鎌倉街道なのか、ってんで、確認しているらしい。昔の幹線道路が忘れ去られ、いま人も歩かぬ辺鄙となるは、諸行無常。何か説明の角柱があったが面倒だから読まなかった。

 

 

 この周囲には、板碑を残した昔からのお寺などが散在し、格好の歩きコースになっているらしいのだが、当方としても先は遠い。一切見なかったことにして先に行く。鎌倉街道が終わり、集落の中の田んぼは田植えがすでに終わって緑の早苗が風にそよぐ。

 いい眺めだ。「日本の原風景」なんて言葉は、意味を知らないから言わないが、豊芦原の瑞穂の国なのだから、いつまでも田んぼが元気であってほしい。方々で草むす原野になりゆく田んぼの姿を見るのは、いかにも寂しい限り、だがどもならんらしいナ。

 

 

 

 また川を渡って今宿の家並みを通ってすぐ、左の丘陵地に入る。舌状台地の麓をうねくねする道は、良き田舎の面影濃く、走る車もなくて、なんともいい気分になる。そうして右手は緩やかな谷地地形の中の畑や田んぼとなった。

 

 

 こちらから向こうの低い丘陵の家々を眺める。背後を鬱蒼とした林に囲まれて、す~っと尾を引くお寺の屋根が見える。手前の木陰で老夫婦が不要物を燃やし、その薄い煙が昼下がりの空に立ち上っていく。のどかなもんだ。

 

 

 地図を見ると、この地域は、いくつもの谷地が丘陵のすそ野に沿って奥へと延び、突端に必ず溜池みたいなのがくっついている。丘陵から流れ出した水は命の水、仇やおろそかには出来なかっただろう。丘陵の奥へ畑がだんだんに連なっている。

 反対側、つまり下流側は緑一面、よく見ると麦のようで、か細い穂がゆらゆらと風に揺れている。その緑の海のずっと先の方に家々の白っぽい姿が見える。青い空にぽっかり、のんびり春の雲が浮かんでいる。

 

 

 そんな道を歩いて畑を横切り向こう側の丘陵に入っていく。といっても、ごく低いから恒例のひーひーはーはーにはならない。道は緩やかに弧を描き、かつ緩やかに登りながら暗い森の中へ突入している。こんな程度の上りなら丘陵越えも楽ちんだ。

 

 

 森を抜けると、また別の、しかしさっきと似たような谷地となった。畑に、ここでもまた老夫婦が何かを植え付けていた。しばらく眺めていたが、どうも奥さんの方が主導権を握っているらしく思われた。老いては妻にしたがへ。 

 

 

 畑の眺めがいいので、少し離れた石垣に腰を下ろしてしばらくぼんやりする。午後の陽は柔らかく、畑と向こうの森をのどかに照らしている。ここには人間の脚より早く動くものがない(ほんのときおり車が通るけれど)。

 こんなところで暮らしてみたらどんなものだろうかと考えてみる。三日で退屈をこいてしまうだろうか、それとも、そこらじゅうを歩き回って、案外持つだろうか。それならあの丘の上の方に別荘ならどうか。ま、金がないな、と考えて思考中止。



 またまた畑の中を横断して森を抜け、次の谷戸道に入るのだが、森の中で迷ってしまって、林の中を通る羽目になった。しかしまあ、そこを抜ければ目論見の道に合流する。そして3番目の大きな谷戸の車が通る道を奥へ奥へと進む。車はめったに来ない。

 遥かな谷の奥の空に武甲山らしき山影が霞んでいる。しかしここから見えるだろうか、違う山かも知れない。道路の反対側の丘陵はそろそろ陽が陰ってきた。緑の山裾の住宅の屋根ばかりが傾いた陽の光を照り返している。

 

 
 谷地の奥に進んで、真っ赤な花の向こうに数軒の民家が固まっていて写真を撮っていたら、草刈りをしていたおやじが声をかけてきた。どうだい、春の花は終わっちまったんべえ、ごにょごにょ・・・後ろの方はよくわからなかった。

 いつもなら、地元の人と話すのは大歓迎だが、この時は陽が陰ってきて焦っていたらしい。情けないことに、笑ってごまかしてしまった。さすらうのだから、夕方だろうが何だろうが構ったこっちゃないのに、なんという情けなさ。トホホ。

 


 

 しかしここもまたいい眺めで、向こうの屋根が茅葺だったら、日本昔話の世界ではなーきゃー、と思った。人変わり家変われど山河は変わらず、一生なんて極く短い。ごく短いんだから、どうでもいいと言えば、どうでもいいような気もしないではない。

 この先に民家はなくなった。右手に水を導いた田んぼが続き、その中から蛙の声が聞こえてきた。なん年ぶりに聞いたろう、懐かしかぁ! 促促と郷愁の念が沸き上がってきたが、それに浸っているわけにはいかない。まだ歩かねば。

 

 

 そうして谷地のどん詰まりで、また低い丘陵を越える。向こう側の平地に出て明覚駅へ急ぐ。駅の裏側に出たから、ぐるっと大回りして正面に回り込むしかなかった。次の発車迄30分近くも時間がある。それもまた良しとする。

 若いお母さんと幼い子供、お姉ちゃんと弟、やることがないから駆け回る、ジュースを飲む、休憩所に入る、なにしていいかわからない。こちらも同じだから、早めにホームに座った。そしてこう思う。

 

 

 さすらってみたい、などと大口をたたいてみたけれど、現在地が分からなければ狼狽し、夕方になればこころ焦り、夜は家に帰るという強迫に駆られ、とてもじゃないが漂泊のひょうの字もない。ダメだこりゃ。

 

 

  

 

 しかしこれで、つまらなかったかと言えば、面白かった。

 総歩行距離は23㎞だったけれど、そんなことはどうでもいい。

 今日の風景は後のちきっと思い出すような気がする。