doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

ハケの湧水さらさらゆくよ

歩く会の日

今回はハケ(崖)と湧き水がテーマ。

 

 

 

 東京、多摩地方は土地が平らなようで平らではない。

 実は階段状になっているのは、多摩川がだんだん南東の方へ横ずれして流れたからだとされ、ならばそれを実感してみようという魂胆で、立川駅に20名が集まった。われらが歩く会としては大変な大人数となった。

 

 

 

 立川駅から、矢川が流れているはずだと言われる場所へ移動し、そこの立川崖線に沿って、下に矢川の流れが埋まっていると思われる変哲もない道路を歩く。変哲もない道だから見るものとてなく、全く変哲もない。

 そもそもこの歩く会自体、大それた目的などなくただ歩いているだけだから、歩いて行くところにそうそう変哲があるはずもなく、変哲をあらしむるべき筋合いがない、と言っているうちに歩いている道路の下から水が流れ出した。

 

 

 流れ出した水は向こう側の湿地帯に流れ込んでいるから、湿地帯に入った。湿地帯一面に萱のような葦のような、細くて背の高い草が濛々と生えていて、その間をきれいに澄んだ水が、淀むともなく流れている。

 この湿地帯の後ろ側に立川崖線が走っているはずだが、ここの崖線は崩れかけているので判然としない。湿地帯を通り抜けたところに踏切があり、南武線の線路がまさに崖線を登っていることがよくわかる。

 

 

 ここで立川崖線とは暫しおさらばし、再会を約して矢川の流れを追いかけることになった。矢川は湧き水であるから街中の川にしては恐ろしいほど澄み切っている。我がこころも洗われるように澄んできたのは言うまでもないであろう。

 



 矢川の脇の小公園で大休憩となった。空は曇っているが降ることはないだろう。川面をぼんやりと眺める者、東屋で談笑する者、その中で川の水を小さな瓶に掬っている人がいて、なにやら水質検査の科学者のようであった。ほんとかね!



 それからまた、矢川の浅い流れの煉瓦畳の道を歩く。この湧き水の流れは街中でもまだ澄んでいて、クレソンだという水草を茂らせて、現実にさらさらと音を立てて流れる。子供の頃が遠い昔になってしまった参加者たちは、春の小川のさらさら行くさまを脳裏に浮かべたであろう。

 

 

 そうして、矢川の流れが滝乃川学園の敷地に吸い込まれて、その脇の国立(くにたち)文化館という郷土資料展示館で昼飯となった。それぞれに、好きなように展示を見、あるいは、おもいおもいに昼飯にありつく。

 展示の中で、この付近の地形のジオラマは、多摩川の流れが南東へずれて国分寺、立川、青柳の各崖線を形成したありさまをよく見せている(2枚目写真)。ここでのんびりと時を過ごしたのだが、のんびりし過ぎて集合時間に1名足りなくなって、全員2列縦隊を作って員数を確認するやら、大騒ぎをした。



 昼飯の後、青柳崖線に沿って、矢川の流れが滝乃川学園の敷地から出てきた矢川おん出しを眺め、ママした湧水の清冽な湧き出し口を、その澄み切った水をいささかの驚きとともに見て、一様にこころの隅まで洗われた心地がするのだった。

 



 それから今度は、青柳崖線の下の道なき道を、威風辺りを払って堂々と軍団のように行進した。いささか草臥れた軍団の行進とは言え、これだけ数がそろえば立派なものだと言えなくもないと思うのだが、どんなものだろうか。


  

 青柳崖線の途中、城山(じょうやま)公園で一息入れ、しかしながら、なにしろまだそれほどの距離を歩いているわけでなし、陽が無暗に照っているわけでもなし、一同それほど草臥れてもいない様子で、まだまだ歩ける。出発。

 

 

 そうして、青柳崖線は北に後退して立川崖線と溶け合い、その段差が向こうに見えている。正面はそのむかし府中用水だった沖積地の畑や田んぼが開けてきたが、今では田んぼを侵して新しい住宅がだいぶ建ち始めている。

 ちょうど田植えが終わった田んぼがありそれを眺めて、数十年前まで見晴るかす緑の早苗が風にそよいでいたであろう、光景を無理やり瞼の底に描き出してみた。府中用水はこのあたりから、府中市域まで大きく広がっていた由。

 

 

 そこから今日の終点、谷保天神社までは近い。神様に何事か用事のある人は突然に真剣な顔を作り出してお参りし、それから裏側の立川崖線から湧き出す泉に行く。立川崖線また会いましたね、しばらくでした。

 

 

 はてはて時刻はまだ2時半ごろ、距離は10㎞未満である、このまま終わっては歩く会の名誉にかかわらないか、さらに一駅、西府まで行ってみてはどうか、ここから2㎞ほど歩くだけだから、まあ、行けるだろう。

 てなことになって、そのために泉のほとりで十分すぎるほど休憩をとり、もうここでいいや、という人は近くの谷保駅へ別れ、残った大部分の人は、さあ西府駅近くの古墳まであと2㎞ほど、なんぞ行かずまじ。

 

 

 で、今度は立川崖線の下を谷保天神からの流れ出しに沿って、ときに舗装の道をまたある時には崖線下の細い流れに沿う道ともいえないような道を、またまた威風堂々胸を張って歩いた。府中市域に入ったらしい。

 

 

 突然道脇の崖線から、じゃばじゃばと湧き水が滴り落ち、府中(立川)崖線西府町緑地と看板が出ていて、気付かないうちにに西府まで来た。その崖線を登って西府駅近く、お皿を伏せたような土の盛り上がりがあって、御嶽古墳の説明板がある。このあたり、崖線の上に古墳が多いらしいゾ。

 そこから甲州街道を越えて、国指定武蔵府中熊野神社古墳にいく。薄日が差し始めた青空の下に、上円下方墳がどっしりと鎮まっている。しばらく眺めた後、資料館でおばさんの説明を聞き、レプリカの石室に潜り、古墳を堪能した。

 

 

 西府駅へ戻り、そこで解散、4時前。

 7月、8月は歩く会はお休みの由。

 本日、13㎞。

 

 

 

 例によって、飲んべえおやじ数人、立川駅前で一杯。