doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

おやじ達の夏①

 仲間3人で会津へ行くことにした。

 3人ともすでに、親父の歳を越え爺いだが、歩けるし運転もまあ大丈夫だしなにより酒ばかりぶっくらっているので、この際サバ読んで「おやじ」にしておく。

 背が高く真っ黒に日焼けした「現場監督」と呼ばれる某氏が、車を出してくれ運転担当、小柄でいつも泰然としている某氏は「親方」と呼ばれ、会津若松市内の親の家が空家同然になっているので、そこを宿として提供してくれる。小生はただぼお~と付いていくだけだ。

 

 

 

第一日目

 8時に国分寺駅へ集合し、いざ出発。会津は300㎞のかなたであるから、東北道に乗るため大泉ジャンクションを目指す。都内をとろとろ走って大泉ジャンクションに着いた。さあ、外環を回って東北道へ。

 と思ったら、どうゆうわけの次第なのか、関越道を走っていた! まあ、道はどこでも繋がっている、関越道をひた走って鶴ヶ島ジャンクションから圏央道を回って、やっとこのことで東北道に乗った。大丈夫だろうかオレ達。

 

 現場監督氏が、「東照宮はやっぱり見なくちゃ」などというので、宇都宮から日光へ、東照宮はわらわらと遠足の小学生であふれていた。コロナ爆発の東京から逃げ出したのに、これはしたり。ま、こちらは4回目のワクチン接種を済ませているのだが。

 東京を逃げ出して、それでこちらは安心するけれど、行く先の地方では、大、大、大の大迷惑な筈、今回、いたるところでその冷たい目線を感じたが、幸いにして田舎の人たちは優しい、石を投げつける人いなかった。

 



 今市の街中まで出て蕎麦の昼食。観光地の飯屋は絶対に避けるを鉄則とする。まず数をこなすを至上命題としているから旨くない、再来を期待していないから値段が高い。昼食で立ち寄った店は、この点良心的な味とそして値段だった。

 そこから会津西街道を驀進する。会津藩が参勤交代で通った街道だと言われる。山の中の人跡皆無のような道だが、いまは道自体は立派になってばんばん走れる。山は緑、空青く、雲は白い。遥かに来たなあ、と感じさせる。

 

 

 ほぼ車の走っていない鬼怒川、川治の温泉を抜け、栃木県から福島の会津地方に入った。会津田島の駅で小休憩。東京浅草まで線路が繋がったのは最近のことだが、ここは阿賀川(福島県内は阿賀川)の最上流部、ここから会津盆地を貫流新潟県に流れ下る。

 盆地に出るまでの川は山を深く穿ち、道路は山肌を削って片側は絶壁となって川に落ち込んでいる。山を越えてまた山の谷道である。少し広くなった場所に集落があり、家々の前に咲く、赤や黄や紫の花がことのほか美しく見える。

 

 

 途中に湯野上温泉があり、今日の汚れを洗い流そうということになった。ほんの一坪ほどの湯舟は絶壁の縁をくり貫いたもので、洗い場の縁から下を覗くと3,40m下に緑色の川面が見え、対岸に奇妙な形の、二つに割れたような大岩が屹立している。

 誰もいないから3人で占領し、温泉はこういうのがいい、かけ流しがいい、人がいないのがいい、などと口々にいながら「う~~」と声が出る。空はいつの間にか曇ってきたが、初秋を思わせるような風がさわさわと吹き抜けていく。

 

 

 さっぱりした体になって会津若松市へ入り、「親方」の実家近くのスーパーで飲料、食料を買う。なにより大事なのは、ここ当分の飲み料だ。ビールをかごに入れ、地酒、ウイスキーを放り込み、馬刺その他のつまみもの、朝のパン、海苔巻きなどを買った。

 親方の実家に到着してみると、空き家とは言え、なかなか堂々たる二階建てではないか。しょうもないおやじ達の合宿には立派過ぎるというもの。家中の窓を開け放ち、空気を入れ替え、さてさて大酒盛りに移ろう。

 

 

 こじゃれたいろりを囲んでビールで乾杯し、日本酒を啜り、つまるところはウイスキーハイボールとなり、飲むほどに酔うほどに、迂闊にも話題が政治向きになってしまって、隣近所の迷惑顧みず、大音声の、大激論の、とどのつまりは無茶無茶になって。

 夜も更けてさすがにみんな空理空論が馬鹿らしくなり、それじゃあ寝るとすべえ、とそれぞれの部屋に引き上げた。ほんとにおやじという生き物は困ったもの、日ごろ誰も話し相手がいないから、こういう時に簡単にタガが外れてしまうんである。

 夜更けに大雨が降った。

 

 

つづく。