doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

そぼ降る雨の隅田川

月1回の「歩く会」の当日、ふたを開けてみれば、

快晴の予報だった天気がドンガラガッタでひっくり返って雨!

予報、いい加減にしろよな!

 

 

 

 気分はうっとうしいけれど、ともかくも両国橋に向かって歩き始めた。隅田川にはごっちゃりと橋が架かっているから、ここを始点としてゆるゆると上流へ向かい、様々な橋を眺め、あるいはまた川の近くのなんやらを巡る、という計画らしい。

 われらジーさんバーさんだから、いつもは予報をみてから二日前に決行を決めるのだが、今回のように天気にバックレられたらどうしようもない。山の中じゃなく都会のど真ん中だし、しょぼい雨ぐらいでは中止というわけにはいかないなァ。

 

 

 なにはともあれ、とっ初めの両国橋を渡る。橋げたの上に巨大なボールがのっかっているが、これは何だろう。地球に窓が開いているように見えるが、1932(昭和7)年改修架橋だというから、ひょっとすると世界に窓を開く、なんて考えたかな?

 上流を眺めてみれば、雨に煙る川面は、流れるともなく揺蕩っている。おりしも総武線電車が鉄橋を渡っていく。その鉄橋の下をくぐると国技館が見え、ビルの谷間の低い建物だけれど、なかなっカッコがいい。

 

 

 

 旧安田庭園に入る。元禄年間に笠間藩主が汐入回遊式庭園として整備、明治時代に安田善治郎の所有となったが現在は都の所有、と解説にある。池の周りの小道を巡ってみる。雨は小やみになったが、しっとりと空気が湿って、あっけらかんの晴れよりも、日本庭園としての良さが増しているように思われた。

 

 

 庭園に隣り合って、都の復興記念館がある。お寺のような建物の慰霊堂に入ってみると、小学生達が係りの解説を押し黙って聞いていた。展示館に入れば、関東大震災の悲惨な絵画や写真に息をのむ思いがする。

 この敷地は陸軍被服廠跡地、そこへ避難民が逃れたところに火災が発生、3万8千人が焼死したというむごたらしさが、展示物からこちらに迫ってくる。同行した数学の先生がぽつりと言った「知らなかった。今日はこれを観られただけでいい」

 

 

 

 展示館を出ると雨が上がっていた。リーダーが言う。まだ歩き始めたばかりですが、屋根付きの乾いたベンチがあるので、ここで昼食とします。・・・歩いているときの昼飯は大層楽しみなもの、みなそそくさと荷物を広げる。

 しかし、展示館で凄惨な絵や写真を見たばかりなので、さすがに嬌声を上げる者はいない。黙然として昼食を終わる。出発に先立ち参加者16名、自己紹介をした。近ごろとみに忘却甚だしく、聞いた傍から覚えられない。これにはほとほと弱る。



 蔵前橋から橋巡り再開。橋のたもとには江戸情緒を残すような、粋な透かし彫りがはめ込まれていたので、パチリ。しかし、これからいくつも橋が続くので、わがへっぽこ頭には、名前の影さえ残らないかもしれない。

 

 

 これは蔵前橋の下をくぐる、だったかな?


 

 たぶん、厩橋。遊歩道の脇にベンチがいくつも設えてあり、思い思いに休む人々がいる。昼飯は本来このあたりで執り行う予定だったようだが、何しろベンチがまだ濡れている。休んでいる人たちは敷物を用意しているらしい。

 

 

 駒形橋? ずいぶん昔のことだが、隅田川の遊覧船に乗った記憶がある。ボートに毛が生えたぐらいの小さな船だった。スクリューが回転すると薄茶色に濁った水が泡立ち、ぷん、と嫌な臭いがしたものだが、いま、その臭いが無くなって、水は青い。


 

 吾妻橋だと思う。参加者同士が慣れてきて、おしゃべりに花が咲く。対岸のビール会社のモクモクを見て誰かが「黄金の雲」といったら、ほかの誰かが「黄金のうんち~」と。・・・そ、そんな、そんな下品な!

 

 

 吾妻橋を渡って左岸に行き、墨田公園に入る。旧水戸藩下屋敷跡地の由。広場で映画撮影の準備をしていた。女性陣の話では、なんでも吉永小百合大泉洋の、何とかという映画らしい。ひとしきりその話題で盛り上がる。

 ああ、永遠の吉永小百合サマ。「あの人が歳取ったら、やだよなあ」「もう、十分歳だよ」「でも、まだまだ綺麗だ、JRのコマーシャル見てよ」「そうだ、小百合ちゃんはうんちもしないし歳も取らない! 」

 公園の一角に勝海舟銅像が立っていた。「勝安芳」と書いてあって、何と読むんだろうと言ったら、「やすよし、幼名だよ」と物知り。「なんだ、勝あほう、と読んじゃったよ」・・・雨が上がって、みな元気が出てきた。

 

 

 

 

 公園のはずれに牛島神社がある。説明板によると、奈良時代ここに官営の「浮島牛牧」(牧場)が設置されたことが由来とある。境内のあちこちに、横座りしてまったりしている牛の像がある。なんだか牛肉が食いたくなった。

 

 

 言問橋を渡りなおして右岸に戻り、次の桜橋を又左岸に取って返した。リーダが言うには、今回雨もあり、思わぬ時間が食ってしまったので、本来千住まで行くべきところ、後の行程をぶん投げて、ここから最寄りの駅に行く、とのこと。

 まだ体力的には歩けそうだけれど、どんより垂れ込めた空が3時を過ぎてますます暗くなってきた。疲れ果てて終わるよりも、元気なうちに早めに終了がいいかもしれない。桜橋の上から上流を眺め、揺蕩う流れに別れを告げた。

 



 対岸に渡ったところの岸辺に「言問団子」の2階建てのビルがあった。表のショーウインドーの、持ち帰りの箱(長30cmぐらい)が、なんと! 7000円とあった。貧乏年金暮らし、こんな宝物みたいな団子は、身分不相応。恐れ入ったる団子かな。

                       画像:ウェキペディアより拝借

 

 

 女性陣がなんだかソワソワ騒ぎ出した。訊いてみるとすぐ近くに桜餅屋があるという。絶対買うわよ! と鼻息が荒い。男どもはなんだかよく分からず、うろうろ付いていくと、「長命寺・桜もち」と看板があるビルあった。

 どどっと押し寄せて、3個入り(1300円ぐらい)のお土産を買っている。事ここに至ってもよく呑み込めなかったが、試し、と思って1個買ってみた。大きな桜の葉っぱが3枚巻いてあり、ほんのり甘く、ほんのりしょっぱくて、旨かった。

 

 

 そこから今度は、向島百花園に至って、園内を散策。秋の七草があるらしいのだけれど、どれが誰なのか、チンプンのカンプン、風雅の心持がなくて、どうもいけない。ここでも張り切るのは女性軍、男はぼんやり居場所がない。

 たったひとつ判るのがあった。アケビ。また子供頃の話だが、この実は御馳走であった、という話をしたら、ええ~っ!! 食べたことないわ、食べれるの? など言われ、不思議な生き物を見るような目で見られた。

 



 さてさて、それで東武線・東向島駅に出、浅草へ行き、この辺の電車に疎いから、わあわあ言いながら地下鉄に乗り、途中駅でそれぞれ乗り換え、結局神田へ出たのは8人、ここで女性陣と別れ、男どもが4人神田駅の近辺をふらふら。

 焼き鳥屋に入ってみたが、品書きもメニューもないおかしな店で、おばさんがやたらに愛想だけ良い。少しやばいんでないかい、など言いながら、一人ビール2本、焼き鳥3本で、早々に退散、勘定は一人2500円、ま、余りやばくなかったかも。

 

 

 

 

 さあ~て、ラッシュの電車に揺られ国分寺駅下車、いつもの居酒屋に入ってやっと落ち着いた。事前準備完了済なので、たちまち気分がよくなり、何か言うと混ぜっ返したり、上げ足をとったり、そのたびに大声で、わっははとやらかす。

 ある程度気心知れたジーさんどうし、まともな話はこれぽっちもなく、冗談ばかり言いあい、がっははと笑い、焼酎お湯割りが進むすすむ。歩いた後のこの時間がなんともはや、奥さんに先立たれた独身者もいて、老い先短い一夜がゆるゆるとふける。