doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

山地から平野へ

 

 前回の”さんぽ”は東飯能駅で終了、今回なぜかここから出発。

 

 東飯能駅到着10時前、ここからいい加減な道を選んで、東へ行こうと思うのだが、駅近くの市街地は意外と住宅が建て込んでいて、細い道が縦横に走り分かりづらい。ともかく、ぶっ壊れの、あてにならない勘を頼って東北に向かう。

 警察署を見つけたら、そこの大通りが国道299(秩父往還)だと分かった。これでやっと自分がどこに居るのか判然とし、予定していた細道も見つけ、独りで胸を張り、勇躍として威張って歩いた。振り返ると遠くの山が青色に染まって青空を画している。

 

 

 前方を見れば、密集していた家々がぱらぱらと少なくなり、たぶんゴルフ場の緑の森やら、学校の白い建物やらが広い畑の中に散らばっていて、山の影はどこにも見当たらず、畑の風景がずっと先まで続いている。”ここに山地終わり、関東平野始まる”なのであろう。

 

 

 大いに気をよくして歩いて行くと、「南小畔川」という細流が東へと向かい、その土手道は砂利であり、脇に田んぼが連なっていた。う~む、願ってもない田舎道である、ふらふらと吸い寄せられるように砂利道に入った。

 歩く道で一番いいのは、刈り取られた草の道、次は砂利の道、一番いくないのは舗装道。足はこれをもう敏感に感じ取る。なのだけれど、日本じゅう、ありとあらゆるところ、山の中、田んぼの畔、舗装され尽くして、とても残念だ。

 砂利道は細流の右がわにその屈曲に沿って続き、流れていく先の方は林が遮って見えないが、たぶんずっと先までおなじように続いているのだろう。道の右手に刈り取られた田んぼが連なり、その右手の森はたぶんゴルフ場だ。天地の秋をわれ独り。

 

 

 前方のあぜ道に、色とりどりの帽が飛んだり走ったりしている。近づくと幼稚園児のちびっこ、きゃあきゃあと歓声を響かせ、あっちの森へ、こっちの川っぷちへ、全速力、バネ仕掛け、遊びまわっている。

 しばらく立ち止まって、目を細め、だらしなく頬を緩め、全く腑抜になって立っていた。ちいちゃな子供が文句なしに可愛くて仕方がない、という感性はたぶん、若かった時はそう思わなかったんだから、年寄りへのカミの贈り物だろうと思う。

 

 

 うらうらと春のような、秋の陽が降り注ぐ道っぱたに野草の花が咲き、実が光る。これらの名前は、覚えようとしても到底無理だ、と大いなる悟りを開いたので、ただ写真に撮るだけ。ホトケノザの小さい深紅はどう見ても春だよなあ。

      

 



 同じような景色が続くので、段丘の上は果たして如何ならん、と崩れそうな小さな橋を渡って左の段丘上に出てみた。細い道の両側に杉の林や家が並び、見晴らしがちっとも良くない。すぐにまた先ほど南小畔川の道に戻った。

 戻って歩き始めたら、川の工事をやっていた。コンクリート三面張りということらしい。ブルータス、ここでもか! という思いがする。やらんでもいい工事だと思うのだがしかし、地元の事情を知らぬよそ者がかってを言うのは止そう。

 

 

 工事中の下流は川沿いに道がなくなった。ふと左手を見ると形のいい堂々たるお寺の屋根が見えた。これ幸い、休憩、休憩と階段を上って、本堂前の石に座って休む。お寺や神社は、歩き旅の絶好の休憩所と心得る罰当たりだが、閑寂の気が辺りを包む。

 

 

 そのままお寺の前の道を行くと森に突き当たって、昼なお暗い道を辿って大きな道路に出た。地図を見るとこの先の段丘上に、東へまっすぐ伸びる道がある。段丘の緩やかな坂をひーひー言いながら登って、その道に入った。

 その道は眺めはいいのだが、こりゃダメだ、とすぐに分かった。歩道のない狭い道に車ぶんぶん、ときにダンプが砂塵を吹き付けてすれすれに擦過する。長閑どころの話じゃない、下手するとぺしゃんこにされて、はい、それまでよ、になってしまう。

 

 

 ほうほうの態で次の信号を、また元の川っぷちに戻った。もう浮気心を起こさず、この川っぷち一筋、と決めた。いつの間にか日高市のはっしっこに入ったらしい。川っぷちの道は圏央道の高架に沿って続いている。

 大きな建物(宅配の配送センター、スーパーの物流拠点、運送会社基地など)が目立ってきた。しかし圏央道を潜り抜けて三度南小畔川に沿って行くと、田んぼの広がる風景が戻ってきた。ぐっと長閑な気分になって、畔に腰を下ろして、遅い昼飯にする。


 

 目の前の、はさに架けた稲を見て昔の風景がぼんやり浮かんできた。どこかでいつか、この風景を見たように思う。それは写真で見た景色だったかもしれず、現実だったかもしれず、ぼんやりして、はっきり想いだせない。

 記憶の中の風景は、今まで生きてきた出来事の記憶であり、言い換えれば、その人の生涯そのもの、といっていいのではないか。なんとなれば、その記憶以外にその人の生涯はどこにも存在していないのだから。

 ぼんやりして判然としない記憶の風景は、ちょうど夢の中で見た風景と似ている。夢は脳みそが勝手に作り出したり、現実に似たものだったりするが、どっちみち曖昧模糊、おきた時にはただぼんやりとしてはっきりしない。

 ということは、人の生涯そのものは、つまり夢である、といっていい(かもしれない)。

 


 な~んだ、人生などと大上段に振りかぶってみたところで、たかが夢の中の出来事と一緒だったのか。そういえば昔の人も言ったよナ。”人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり” 昔の人はエラかったなあ。

 

 

 それからしばらくの間、のどかな田んぼの風景が続いた。はさの稲束の間でおばさんが草刈りをしていた。それを見て、なぜかまたまたミレーの落ち穂拾いが頭に浮かんだ。フランスも日本も、大地に足をつけて生きる人は皆同じような姿になるらしい。



 それから川越市に入り、川越線笠幡駅に真っ直ぐ向かう街道に出た。霞が関カントリー倶楽部の脇を通り、駅への道を黙々と歩く。こんな時必ず思い浮かぶのは、なんとまあ、埒もないことをしているなあ、ということ。

 しかし、と思う。人生は夢だ、と感得した以上、埒があろうがなかろうが、後ろ指さされようが何だろうが、そんなことは知ったことじゃない。好きなことをかって放題(かって放題はちとまずいか)やるがよかろう。そして笠幡駅に着いた。


 

 さてここから的場駅までは以前に歩いた。歩いたけれど違う道を辿ってみよう。駅は通り抜け出来ないから、駅から離れた、分りずらい路地の歩道橋をうんうん上って、北側のお寺に休憩する。お参りのご夫婦が一組、会釈して墓地の方へ行った。

 

  

 

 そこからすぐに家並みが途切れ、広々漠々の田んぼ地帯に出た。畑の柿の木に実が鈴なりに生って、傾きかけた陽ざしに照っている。秋の柔らかな陽ざしには、なぜか柿の実が似合う、ような気がする。

 

 

 前方に縹緲と田んぼが広がり、ひこばえがつんつん緑に色ずき、な~んと、そのひこばえに稲の実が付いていた。こういうのは初めてお目にかかる。お前は三毛作かっ! 田んぼが広がる真中に小畔川が流れている。今日ずっと辿ってきた南小畔川の兄貴分なのか。

 その小畔川の土手を、無残にも(??)舗装で固める工事をしていた。土の道を残してほしいと思うけれど、「舗装しないと田んぼに入れた耕運機がヤバイだよ」など、やっぱり地元の事情があるのだろうから、よそ者は黙する以外ない。

 

 

 前方に見えた関越道の下をくぐって、川越の街中に入った。そして大型店舗が並ぶショッピングプレスというところを通り過ぎる。目の端っこでそれを眺め、これが街中の、個性的で温かい個人小売店を倒産せしめる元凶かと思った。

 これもアメリカ方式というのだろうか。何でもかんでもアメリカ式でなくても、日本は日本、アメリカはアメリカ、それでいいんでないかい、と思うが、これもまた、世の流れの必然とあらば、やっぱり年寄りは黙するしかない。

 

 

 ところで足が相当疲れてきた。笠幡から的場までせいぜい3㎞ぐらいと踏んだのだが、街場に入ってから意外と長い。ぶっくれの、情けなき足はすっかり拗ねて前に出ようとしない。立ち止まっちゃあ歩き、歩いちゃあ立ち止まる。

 ようやく的場駅に着いた。高校生が、それもどういうわけか女子高生が、黒い服を着てわらわら居る。彼らはこれから、あんまり面白くもない世の中に出ていく。ご苦労様なこったと思う。まあ、体を元気にして、これからの長い日々を頑張ってください。

 

 

 20分待って川越線に乗車。一つ目、二つ目の駅で高校生が降り、車内ガラガラ。

 高麗川駅を過ぎるころ、車窓に黄昏がしみだして、秋の日が暮れる。

 帰宅して、19㎞。しかしなんだナ、平野の歩きはちと大味だったナ。