doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

江戸の花見は飛鳥山

 今回は「江戸文化」サークルのお誘いがあって混ぜてもらった。

 江戸を偲んで、飛鳥山で花見としゃれこもうというわけらしい。

 

 

 

 飛鳥山王子駅の裏側。で、東京の西の場末から”えんやこら”と串刺しにして東へ、それからとことこ北の端っこへ乗り換え、王子駅へ着いた。西の場末の人(私)にとっては、余り慣れない土地柄であって、電車内で既に緊張する。

 改札前に集まった面々を見ると、「歩く会」で見知った顔が半分ほどいて、皆同じようにお誘いがあったようだ。よかった、よかった、これで知らない人の中でぽつんと孤独をかこつことはなさそう、安心したので、急に元気が出てきた。

 

 

 全員14名が恙なく揃ったので、いざ出発、といってもここは面白い駅であって、駅を出るとすぐに石神井川の渓谷になっている。大げさな言いようじゃなくて、石神井川が6,7mの深い谷を穿ち、その川床を人々がそぞろ歩いている。大きな道路を挟んでちょうど飛鳥山の反対側にあたる。

 江戸時代には、奥多摩などにみられる本物の渓谷の如く人々に認識されていただろうことがよーく分かる。麗らかな陽ざしのなか、桜の花びらがちらちらと舞い、モミジが初々しい若葉を芽吹き始めていた。

 

 

 早速桜の木の下で講義が始まった。先生はれっきとした植物学の名誉教授、現在は退官されているが、あっちの山、こっちに林へと講演やら教授やら研究で飛び回っておられるらしい。ちなみに豪放磊落、大酒豪の先生である。

 ここではまず、桜の木のについて、その幹による見分け方などを教えてくださった。山桜などは幹に横線が入るが、ソメイヨシノはそれがなく、ごつごつ、ざらざらした木肌、これはオオシマザクラエドヒガンとの交配種だからなのだそうだ。


 

 その後、右手の丘陵をちくっとよじ登って「王子神社」へ行く。この神社は、鎌倉末期この地を治めていた豊島氏が、紀伊の熊野若一王子を勧請したものと言われ、以来この地が王子とと呼ばれるようになった、と先生の資料に書いてある。

 拝殿の脇にクスの大木が2本亭々と聳え、目を転ずるとそのほかにも大木が見られる。バッサリと幹を切られた銀杏を指さして、先生は「こんな伐り方をしちゃあいかん、切り口から雨水と黴菌が入って木をダメにしてしまう」と樹木の専門家らしい、木々への愛おしさの詰まった言葉が漏れる。

 

 

 王子神社から地上に降りて、線路わきの細道を北の方へ歩く。小さな「くずもち」屋さんがあった。こういうのを見つけたら最後、女性軍は決して黙っていない。我も我もと入っていって、それを取り巻いて、男どもはただぽかんとしている。

 

 

 そこからすぐの「王子稲荷神社」へ入る。急傾斜の階段を上ると、ど派手な拝殿がど~んと現れた。裏側に回り込んでみると崖の斜面が覆いかぶさるようにふさいでいた。やはりここも丘陵地、武蔵野台地の端っこなんだと理解した。

 崖(ハケ)の斜面に、海棠(だと思う)の花がきれいに咲いて桜かと見まがう。上の方にヤマブキの黄色が的皪と陽を照り返している。ビルと家とに埋め尽くされているように見える都内でも、ちょっと外れれば、懐かしいような自然が残されている。


 

 さらに北に少し行って、「名主の滝公園」に入る。江戸時代、王子村の名主が屋敷を開放したのが始まりで、明治になって貿易商が石組を施し渓流を造り出してヤマモミジなどを植えた。が、戦後荒れ果てていたのを、北区が整備し直し、現在は、回遊式の庭園となって4つの滝が復元され、地下水をポンプアップして流しているという。(Wikiさん

 ごつごつした石の道を奥に進んでみると、落差3mぐらいの滝がドンドコ水を落としていた。なかなかの景観である。それを大口を開いてみんなで眺める。滝つぼに落ちた水は曲水を作って池に流れていた。 

 

 

 

 曲水を辿って広場で昼食、おもいおもいにベンチに腰を下ろし、思い思いの弁当をぱくつく。散歩の一日で一番楽しいひと時、春の穏やかな風に吹かれて、コンビニ弁当でもとても旨い。野外の空気が、特別の味付けをしてくれているに違いない。

 ふと頭上を見ると、モミジの若葉がことのほか美しく、生まれたばかりの緑とその背後の青空が、すっかり心を解きほぐしてくれるように感じる。それで誰かが、今度ハイキングに行きたいな、と言った。同感! 是が非でもと思う。

 

 

 さて、園内の八重桜が満開となっていて、その脇に東屋とベンチがあり、先生の桜講義を拝聴する。暖かい風が通り抜け、赤い桜が満開で、昼飯を食った後、言うまでもなくほんわかしてくる。しかし居眠りするものは皆無、楽しい講義を熱心に聞く。

               

 先生の講義のほんのさわり。・・・日本の自生種はヤマザクラ、オオヤマザクラオオシマザクラ、カスミザクラ、エドヒガン、マメザクラ、タカネザクラ、チョウジザクラ、ミヤマザクラ、クマノザクラの10種。カンヒザクラは中国南部、台湾の自生種。

ソメイヨシノオオシマザクラ×エドヒガン、カワズザクラ=オオシマザクラ×カンヒザクラ、交雑種は1代目(子供)は種からできるが、2代目(孫)は種からできないので接ぎ木で増やす。八重の桜は雄しべが変化したもの。・・・

 

 

 そして王子駅へ戻り、いよいよ飛鳥山に上る。ひいこら登ってみたら、山の上は恐ろしいほどの人、人、人。家族連れあり、カップルあり、若いグループあり、食べたり飲んだり、いいなあ! ビールが旨そうだなあ! ああ、ここで大酒盛りをしたいなあ!

 座るところなど無論ない、どころか、どうかすると山の上から落ちこぼれそうになる。主催者がぶっ魂消て、迷子になるのは必至、ここで長解散とします、と。で、ともかくも奥の方へ行って、三つある博物館のひとつ、渋沢資料館へ逃げ込んだ。

 

 以下、先生の資料によれば、飛鳥山をこのような形にしたのは八代将軍吉宗。幕府御家人が領していたこの辺り一帯を召し上げ、享保五年(1720)に江戸城から1270本、吹上御苑から2700ほんの桜を移植し、本格的な花見ができるようになった1737年ころから庶民に開放したという。そのころはソメイヨシノがまだ作り出されてなく、たぶんヤマザクラだったのではないかということだ。

 明治になってここは上野公園とともに日本最初の公園に指定された。そのほか山の麓には、渋沢栄一が中心になって設立した、日本初の西洋史製造工場「王子製紙」(明治8年創業)があった。また山の上には彼の旧邸もあった。

 

 

 そんなことから余りの混雑に恐れをなして、渋沢資料館に逃げ込んだのだが、展示はパネルに彼の事績が書いてあるだけなので、さささあ~っと30分で終了、で、彼の別荘跡の庭園に入って(ここは人が少ない)ゆっくりとくつろいだ。

 NHKのドラマは嫌いだから、一度も見たことはないけれど、思いがけないときに思いがけないことで、ほんの短時間さっと見ただけだがよかったと思う。小さな人だったらしいけれど、写真を見ると威風堂々、辺りを払って大きく見える。

 

 

  さてさて、そんなこんなで今日の散歩は、中身4時間程度、距離7㎞ほどで終わった。

 逃げるようにして多摩に帰り、顔見知りが本日の主催者(女性)と一献。

 いやはや、女性はめっぽう酒に強いなあ、参ったなあ!