モミジ色付く

 

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 せっかく紅葉の季節だから奥多摩へ見に行こう。

 

・・・と思ったら、立川の昭和記念公園に来ていた。驚くべし! 奥多摩はどうした?

 

 実は、目覚めた時点でいやらしき曇り空、あまつさえ予報は、もしかするとちびッと降るかもしれない、と。時雨るるやの奥多摩を想像すると、いささかひるむところあり。ま、また次の機会にしよう。

 と、思ったら10時ころになって、ナンだナンだ! 雲一つないピーカン空が一気に広がり、お日様がぴかぴか輝きだした。なんだか気持ちがむずむずする。どこかへ行かねばおさまらぬ。で、昭和記念公園

 

 

 

 少し寒いが、ぶらぶら歩いて砂川口から入り、こもれびの里へ。古民家などがあるので、こちらは爺さん婆さん、おばさんおばさん、多数。休憩所の丸テーブルで独り握り飯を食っていたら背中の方におばさん(ちょっと若め)が6,7名ぞろぞろと座った。

 花のおばさん達に、萎びた爺様が取り囲まれたんじゃどうも居心地が悪い。そそくさと隅の方の長椅子に移動。若めのおばさん軍団は、いそいそとランチとかいうのを始めた。テーブルの上にお菓子やらパンみたいなのが、たちまち広がる。

 こもれびの里の移築民家の背後を色づいたモミジが飾っている。たとえ仕込まれた風景であっても、懐かしさを覚えるので、爺さん婆さん、おばさんが盛んにスマートホォンをかざしている。こちらもむろん爺さんだからカメラを向ける。

 

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  外周道路はそぞろ歩く人が途切れない。老いも若きも子供たちも居るし、さらに猫や杓子はいないが、犬はいる。道路脇の木々が赤や黄や橙に染まって、特にモミジやカエデの赤色が目を奪う。モミジの下では大勢が一様にスマホを天に向けている。

 イチョウの黄金色もまた素晴らしい。大きなイチョウが青空を背に、燃え上がるような黄色い葉を茂らせている。その下で指を二本突き出してピースをしている二人連れは、あれは東アジア系の観光客だろうか。みんなの視線を集めて全く悪びれるところがない。

 

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 想像していたよりも紅葉が美しい。公園の紅葉なんて、などと小ばかにしていたけれど意外と見ごたえがある。ちょうど時期がよかったのか、それともここ2,3日で色づきがよくなったのか、どちらでもいいけど儲けた気分。

 モミジを見るならやはり日本庭園だろうか。行ってみるとわんさかと人が溢れていた。しかしちょうど雲が広がってきてしまい、水面に色を映す煌めくような艶やかさは見られなかったけれどもまあ、見ごろというところ。

 

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 漫画のキャラクターの扮装をした、髪が真みどりの少女が真っ赤なモミジの下でポーズを付けている。ほかにも何人かこのテの少女を見たから、雑誌の撮影だろうか。それとも全くの個人的な遊びなのだろうか。わしゃ呆けてしまったけぇ、あーにがアンだか分んねえでがんすがの。

 人が入らない細道を二人の老婦人がゆっくりと歩いていった。後ろ姿が印象的。真っ赤でないモミジでも、あら~きれい! ほんとねえ! などと語り合っているような気がする。静かな午後の時間がゆっくりと過ぎていくような。

 

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  外周道路にも鮮やかなモミジはある。春、チューリップやヒヤシンスなどで彩られる小川沿いにも明るいモミジがあった。若い人たちは、そういう誰もが注目する木の下で撮影会をおっぱじめる。ちょっとモデル気取りのうら若き女。

 

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 売店に所には、わあわあするほど人が集まっている。 焼きそばを食う。ビールを飲む、たこ焼きを頬ばる。今日は日曜日だったっけ、失敗したゾ。毎日が日曜日なんだから日曜日でない日曜日に来るべきだった。

 だんだん憂鬱な気分になってきた。これがなあ、仕込まられたものじゃなくて自然のものだったらなあ、と考えてみたが、それもそうだが、なんだか近くで安易に風景を求め、そしてそれに満足しているような気がする。

 

 

 

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  イチョウ並木のトンネルは、もうだいぶ葉が落ちてしまって骸骨になる一歩手前、遅すぎし由良助。なんでも美しい、綺麗だなんて時期は、ほんのちょっとの間だけなんだよあ。しかしそれで、なんだか安心したような気がする。

 盛りを過ぎて、落ち目の三度笠もまたそれなりの風情あり! これを見て、ああ、木枯らし吹く冬はもう間近だなあ、としみじみ思う。この、しみじみがあって、少し安心したのかもしれない。

 

 

 

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 散歩を終わって。歩数換算で14㎞。

 6,7㎞ぐらいだろうと考えていたが 

 意外と歩いたんだなあ、と思う。

 

 

 

 

晩秋の野道

 


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 忘日、秋が深まったから八高線の里道を歩いてみようと思う。

 八高線の、というより川越へ行く電車が高麗川に着き、これより先の明覚駅まで八高線のぼろディーゼルカーに乗り継ごうとしたら、驚くべし、どこやらが復旧工事のため間引き運転だという。更に驚くなかれ、その間引き運転の下りに乗るにはあと1時間以上も待たねばならぬ。 

 それにしても、これから1時間以上も便々として下りを待つわけにはいかない。だが、いきなりここで降りろと言われてもなあ。どこへ行こうか、明覚方面に行けば帰りの便がまた間引き運転で悩まねばならない。さあ、どぎゃんすっと?

 

 

 

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   高麗川駅を出て国道を横切り畑の中に入る。吹いてくる風が心なしか冷たい。北に来たせいか空気が澄んでいるためなのか。大きな農家の土蔵が晩秋の陽に照らされて眩しく白く光っている。

 明覚まで行こうと思ったのだが、そこに特段の用事が待っているわけではない。ただあの辺りの田舎道をぶらぶらしたかっただけだから、要するにどこでもいい。八高線の沿線はどこでも田舎が色濃く残っている。この沿線を歩き始めた20年前とほとんど変っていない。だからしょちゅうこの沿線を歩く。

 

 

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 いま歩いている道も何度か歩いたのだけれど、何年ぶりかであるし季節が違うし、歩いていて退屈することはない。畑の隅に植えられた菊が様々な色を見せてきれいだ。畑の向こうの家々が寄り集まって日向ぼっこをしいている。山の紅葉はまだ少し早いようだ。高麗川の流れの方へと近づいていく。

 そうして思いついた。ここを歩くについては、何度も歩いた道筋であるとは言え、やはり高麗神社と聖天院を経て巾着田へ行ってみよう。高麗神社はその昔、関東に住んでいた渡来人、高句麗の人々がこの地に集められ、その王を祀った神社であるし、聖天院はその王の菩提寺だという。そう考えてとりあえず心が定まった。

 

 

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 高麗川に架かる橋を渡る。高麗川は清流だという。しかし水量が少ないなあ。岸辺の木々が黄葉して陽に輝いている。向こうに見える橋のようなものは、実は秩父武甲山から石灰を運んでいるベルトコンベアの橋、延々40数㎞、山の中を貫いてここ日高市までゴロゴロ動いている。

 川があれば必ず覗き込んで、魚がいないか探す。これはもう、子供のころ川と言えば魚を捕まえる場所であった、そのトラウマであるらしい。小魚がいっぱい泳いでいるのを見ると今でもうずうずしてくる。高麗川に魚の影は見えなかった。

 

 

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 高麗川の流れに沿ったカワセミ街道を歩く。以前この道を歩いた時は、車が思いのほか多く歩道がなくて危なかったが、整備され歩道部分が緑色に塗られて随分歩きやすくなった。車も歩道部分には侵入してこない。

 カワセミ街道ではあるが、ちょっと川から離れている。無論のこと、カワセミは飛び回わらない。川べりの道なき道のようなところを歩けば、例のバズーカ砲レンズのおじさんたちがいるのかも知れないが、とりあえずそれをぼうっと眺めてもなあ。

 

 

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 傍らの山すそにお寺があるので境内に登る。モミジが植えてあり紅葉している。が、紅葉のモミジは写真に撮るのが難しい。べったりと赤黒く写ってしまう。葉裏から撮ればいいのだが、今度は光線の具合が難しい。自分がヘタだからにすぎないけれど。

 境内を静寂が包んでいる。こんな時は、その辺の石に腰を下ろして、帰し方行く末など思ってみるべきであろうが、そういうことは断じてしない。頭はただひたすらに縹緲として茫々なだけ。バカに効く薬はあるのだろうか。

 

 

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 さて、高麗神社。何度も見ているからうろうろしないでベンチで握飯1個。観光のお年寄りのグループがちらほら。社務所の前にどでかい造り菊が幾つか陽を浴びている。こういうものを造る、というのはどんなにご苦労があるのだろう、と思う。

 境内の入り口近くに大きな碑がある。続日本紀の文面らしいが、よく解らないながら、”乙未の年、高麗若光が王姓を賜る。駿河甲斐相模上総下総常陸下野、七国の高麗人1799人をもって武蔵国に遷し、これ高麗郡を置く始めなり”というような意味らしい。しかし漢字ばかり書いて、ぷいっと放って置くのはいかがなものだろうかなあ。

 

 

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  聖天院はすぐ近くの山すそにある。一段高いところに真新しい立派な伽藍が並んでいるが、これを見るには拝観料が要る。昔は古びたお堂が一つだけで拝観無料だった。○○主義に方針を転換したのだろうか。

 いくらでもない拝観料とは言え、その方針転換がおもしろくない。だから麓の山門や仁王像や若光の募陵と言われる崩れかけた石積みを見るだけでお終いにする。ケチ! と言われればそれに間違いはないけれど、たとえ拝観料を払ったとて寺宝を見られるわけでもなさそうだし。

 

 

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 しばらく歩いて巾着田到着。それを見下ろす小高い位置に高麗郷古民家なる豪壮なお屋敷がある。おそらくこの地の名士の住居だったのだろう。国指定文化財になっている。母屋の間口は20mぐらいはありそうで、別棟に客殿がある。

 燦々と陽が降り注ぐ入口で、ボランティアだろう、老人がパンフレットを差し出す。江戸末か明治の建築で平成24年改修、とある。それにしても剛毅な住居だなあ、と思う。しかし掃除が大変そうだな、と貧乏人は僻んでそう思う。

 

 

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 巾着田を見下ろす。かっては田んぼも少し残されていたのだが、いまは味気もへったくれもない駐車場になってしまった。片隅にどういうわけか馬小屋があり、若い女性にひかれた、みすぼらしいような馬が無暗に草を食っていた。

 広いからワイド写真にしたが、ぜんぜん迫力がねえ。巾着田高麗川が流れ込んでぐるりと一回りして流入口のすぐ近くから流れ出ている。その川の堤に桜並木があり春は花見、そして一部の林の下にヒガンバナが群生して秋はそれを見に人が集まる。

 

 

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 近くに蕎麦屋を見つけた。店構えは上等のように見受けられる。メニューを見てすぐに悟った。盛蕎麦一枚で800円と高い。並木の藪だって650円だったゾ! 持ってきたら4掬い程でお終いの量の少なさ。これは気取った蕎麦屋だ、好かない。

 やはり田舎の観光地で、食い物屋に入るべきではなかった。コンビニ握飯を持参していたのだから、蕎麦屋に目が眩むべきでなかった。どうもいけない、蕎麦というと、かかあを質にぶち込んでも・・・質草にならないか。

 

 

 さてこれからどうするか、決まっていない。スマホの地図を老眼でしょぼしょぼ見ながら、このまま高麗川を上流へ辿ってみようかと思う。川が谷間になって、それでも国道299号西武秩父線が通じ、小さな集落もありそうだ。

 秋の日は暮れやすし、だけれどまだ1時半、ま、何とかなるだろう。巾着田流入口の手前から川の左岸に寄り添って細道が通じている。国道299号と違って車が少ない。左手は高麗川の流れ、右手は山、その狭い谷間に点々と民家。

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 晩秋の谷間の道は寂しいけれど、しみじみと楽しい。幾山河 越えさり行かば 寂しさの、果てる国なぞないだろうが、なんだかそんな気分が湧いてくる。エラク大げさな気分だが、そんな気持ちになれるところが楽しい。

 昔の人は50㎞も60㎞も歩いたらしい。この年寄りは20㎞も歩けない。道が良くなり靴が良くなり、服装も食料も昔の比ではないのだが、歩けない。ヒトは進歩するのだか、退歩するのだか、はてどっちだろう。

 

 

 

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 川辺のもみじが美しく紅葉している。しかし関東はどちらかと言えば、京都や北国に比べ紅葉が地味なように思う。気温のせいなのか朝夕の温度差が影響するのか、ま、驚嘆するような紅葉の風景に出会うことが少ない。

 でも関東にもやがて確実に冬は来る。来るのだけれどその冬はあまり厳しくはない。そのことはありがたいことだと思うが、そうなるとわざわざ厳しい冬を求めて、北海道などへ旅する人もいるらしい。ヒトはないものを欲する、面倒な奴。

 

 

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 気持ちのいい細道も遂に橋を渡ってきた国道と合流。”やむを得なければ即ち仕方がない”ので、しばらく国道の歩道を歩く。歩いていれば、なんだってこうも車が多いんだ! と思い、車に乗っていれば、なんだってこんなとこを一人で歩いているんだ! となる。

 しかしこの国道は両側にきちんとした歩道があるのでまだましな方。場所によっては歩道などない国道だってある。道は人も歩くだ、ということを国土交通省は忘れてしまったに違いない。そんな酷道はほんとに腹立たしい。

 


 しばらく行くとまた脇に細道がある。昔はこの細道が秩父へ向かう街道だったに違いない。それを、細い道をおろぬいて整備し現在の国道になったのだろう。細道のある場所にはわずかながらでも民家が寄り集まっている。

 狭い谷間は早くも陽が山の端にかかって夕暮れの気配濃厚。それにしても目的の東吾野集落までどれほどの距離なのだろうか。皆目わからないから少し不安でないこともない。道端に出てきたおっさんに聞くと、「5キロぐらいだんべえよ」という。

 しばらく行くと西武線武蔵横手駅が見えてきた。右の山の中から小学生二人のグループとおっさんと若い女の二人連れ(気にかかるナ)が出てきて電車を待っている。駅前を通り過ぎた時、秩父方面から電車がやってきた。

 

 

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 脇の細道に入ったり国道に合流したりを繰り返していくと、高麗川の岸辺に遊歩道が現れた。なぜこんなところに遊歩道が!? と思うがこれはありがたい。爺さん婆さんがとことこ散歩をしている。

 渓谷の陽は完全に山の向こうに入ってしまったが、まだ周りは明るい。明るいはずだ、まだ3時ころなのだ。谷間の日暮れは早い。そしてほとんど爺さん婆さんしか見かけなかったが、なんと、若いママさんが生まれたての赤ん坊を乳母車に乗せて通りかかった。お婆さんが乳母車をのぞき込んでなにやら話している。ほっとする情景。

 

 

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  そうして東吾野の集落にたどり着いた。時刻は3時半ごろ。10分後に上り電車が来るので集落を歩き回る余裕はない。ホームからざっと見まわしてみると50戸ぐらいの住宅が見えた。だから全部でも150戸ぐらいの集落らしい。

 その集落はすっかり夕暮れの中に沈んでしまった。足元の下の方から薄い夕暮れが音もなく湧き出してきて包み込んでいく。空だけはまだ明るいのだけれど、静かに今日一日の終わりを告げている。

 

 

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今日の歩行距離、約17㎞(歩数換算)。

いつもだと、ここで一人慰労会を敢行するのだが、

そんなところは鉦や太鼓をぶち鳴らしても見つかりそうにない。

”やむを得なければ即ち仕方がない”

 帰宅してひとっ風呂浴びて、一人さみしく一杯やろう。

 

 

 

多摩川あっちこっち

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忘日の土曜、日曜 若い先生方のレクチャーを受ける。

題して「多摩、水とくらし」。先生方はいずれもチャキチャキの30歳台、一人はお墓案内人、また一人は水質検査人、してまた一人はお祭り追及人。異分野の先生方が、多摩川の岸辺を巡ってそれぞれの分野の解説をする、という変わった野外授業。

 

 

1日目、土曜午後、「熊川」という五日市線の名も知らぬような駅から歩き始める。最初にお寺に入ってお墓案内人の解説。江戸時代この地を領した旗本の墓という小さな五輪の塔。墓の主の旗本の名前は無論知らないが、さすがに先生、よくこんな墓を見つけるものだと感心する。文献を渉猟し歩き回っているんだろうなあ、きっと。

次は熊川神社。お祭り追及人登場。祭神の「宇賀神」というのは穀物神で、弁才天と同一視されている人頭蛇身の奇妙な姿だそうだ。で、立て看板に「当神社は古来より神仏習合の神社です」と悪びれるところなく断ってある。それにしても不動明王が平成の世になってここに鎮座した、ともあり書いてあり、このような信仰が現代も脈々と続いているのに驚く。社屋は都指定文化財

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さて面倒くさい話はこれぐらいで、ということで次はもう酒蔵の見学、試飲だそうだ。先生方も早く飲みたいらしい。某酒蔵で女性の案内を聞いてから、お待ちかね、試飲。親指ほどのプラスチック容器にほんのちょっぴり、景気よくどぼどぼいきたいなあ!

説明の中で面白かったのは、明治時代にビールを醸そうとしてつくられた巨大な鍋(?)、結局採算が合わずビール造りは断念、鍋は他に譲られたそうだが巡り巡ってまたここに落ち着くことに。で、この酒蔵では平成になってからビール造りが始まったそうで、なにやら因縁話めいている。

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当日はここで解散。一行の中に知り合いがいて、駅前でちくっと一杯、ということになり、ちくっとの積りがそのように積もらず、1杯100円のハイボールなる安酒を二人で10杯、安酒はいけませんなあ。飲み過ぎる!

 

 

 

さてさて翌日、日曜日、集合は青梅線宮の平駅、10:00。駅裏側、山の麓の石灰採石場跡に行く。説明は背の高い女性の水質検査人。多摩の奥の山は、ジュラ紀の付加体の石灰岩でできているのだそうで、この採石場は昭和40年ごろまで使われていた由。

そこで水質検査人は、やおら希硫酸を取り出してそこら辺の白い石にぶっかける。シュワシュワと泡立ってまぎれもなく石灰岩のカケラ。そこから少し離れた場所に当時使われていたという石灰岩を焼く窯場跡へ。雲が切れて10月の美しい空が現れた。

窯場跡はごろた石を積み上げ高さ15メートルほど。下の口から薪を積み上げ上から石灰岩を入れて焼いたのだそうだ。石灰岩は焼くと生石灰の粉になり、その粉に水を加えると消石灰になり熱を出す、なにやら化学記号が出てきたが、当然のことながらきれいに忘れてもうた。この先生は化学が専門らしい。 

 

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また電車に乗って沢井駅下車。言わずと知れた澤乃井酒造があるところ。またまた飲ませる気だな、さては。ま、楽しみは後で、ということで裏山の澤乃井酒造、小澤家の墓地に行く。お墓案内人の解説。

 ”この墓地は、ほぼ小澤家の墓地であり、また村全体のものでした。小澤家は当地の名家として墓域は一番広く、また昔はここより上にはお墓を作らないことしていました。現在は用地が不足し、上の山肌を削ってそこに新しい墓地を作っていますが、小澤家が常に村全体の発展を考えてきましたので、村人も納得していたのでしょう。

多摩川の岸辺に遊歩道が設備されていますが、これも小澤家が中心になって作られたものですし、午後に行く対岸の寒山寺もそうです。この地を観光地として整備し、村の発展を図ったものです。”

 

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小澤家の墓域は一般の20倍くらい広そうだ。大きな墓石を中心にして両脇に塔と五輪塔がある。その隣に簡素な観音堂がありまたその隣に石仏などが並んだ一角がある。これらすべてが小澤家のものであり、またお堂は村全体のものでもあるという。 

 

そこから下に降りて今度は酒蔵の見学。中は暗くて写真は撮れないけれど、入口とそして秩父古生層から湧き出るトンネルだけを写した。このトンネルの水は硬水で辛口の酒を醸し、対岸の山から引いてきた水は超軟水で甘口用だそうだ。

蔵の案内は、小柄ながら目つきのしっかりした親父さんがこのような説明をしながら回ってくれたが、 かの水質検査人であるところの若き女性学者先生も同じような説明をしてくれたばかりでなく、きっちりと水質検査もしていた。それによれば、対岸からの仕込水は超軟水とのこと。

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お待ちかね、昼飯の時間。川っ縁の澤乃井ガーデンで食すことになっているが、その前に試飲。利き酒の建物で、普通の試飲用猪口の1/3ぐらいのに、一杯200円~500円、二杯目は100円、全部で15種類もある。

新酒を2杯飲む。一つは辛口、もう一つは甘口。同行の若い女性、お酒が強そうだからそう言ったら、ええ、好きですよ、主人ともっぱら日本酒、と。こういう女の人は、本当に強いから飲みっこなどしたら、ぶち負かされる。要注意!

川っ縁のテーブルで昼飯。飲食物持ち込みならぬ、ということで小さなおにぎりを買う。がしかし、悔しいから持参のコンビニおにぎりも知らん顔して食ってやった。一緒に利き酒した同行の女性たちは、おとなしくうどん、蕎麦など。

ガーデンの紅葉はまだ少し早い。紅葉らしい葉がほんのりと色づき始めている。台風やら大雨やらで多摩川はいまだ大増水、ここから眺める水面も笹濁りに濁ったままだ。本来はさらさらと澄んだ水が流れているはずだが、川相はまるで違う。

 

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昼飯の後、対岸の寒山寺へ行く。お墓案内人の説明。寒山拾得寒山寺、もちろん対岸の崖っぷちだから小さいが、髑髏と椿の天上絵、寒山拾得の石柱レリーフ、これも小澤家の観光施設の一つ、だと。

多摩川は濁って流れが荒々しい。普段のやさしい流れは見られないけれど、ゆっくりと紅葉は進んでいくらしい。

 

 

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そうして野外授業は終了、ここで解散。となれば、またガーデンに戻って飲まなければならぬ。同行の数名男女誘い合ってテーブルを囲んで酒盛り、というほどではなく、至ってささやかに、つつましく。

先生方も飲んでいる。合流して酔っ払いのたわごとを言い交し、この後会うこともないかもしれぬお互いの、2日間の一期一会。

 

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途中駅で昨日の知り合いと下車、また飲んだ。

ほんにまあ、飲んだくれの2日間。

なあ~~にを、勉強したんだか? 

 

 

 

水道みちを歩く

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 忘日、村山貯水池から境浄水場までおおよそ10㎞を歩こうと思った。

 この道路の下には水道管が埋まっている。水道みちだからほぼ真っすぐで、日寄ったり拗ねたりしていない。正式名称は「東京都道253号保谷狭山自然公園自転車道線」、お経の如く長い名前で到底覚えきれない、よって単に水道みち。

 

 まず細かく電車を乗り継いで村山貯水池の堰堤の脇、西武遊園地駅まで行く。この辺は埼玉県との境で、駅は東京東村山市だが遊園地はすでにして埼玉県、その遊園地の脇の坂を上っていくと堰堤に出る。

 貯水池だから水面は静かで風が吹くと向こうまでさざ波が渡っていく。風はもう秋だなあ。空に雲が多いけれど青空ものぞいていて散歩にちょうどいい。水面の両脇は濃い緑の丘陵、はるかに西武球場の白いドームが見える。

  

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  この村山貯水池は大正13年に完成したのだそうだ。ところが出来て幾年もたたないうちにさらに水需要が窮迫し、昭和2年、隣に山口貯水池を作らざるを得なくなったという。してみると明治以降の東京はたいそう水が必要だったのだなと思う。

 どれくらい必要かその数字などは知らないけれど、明治になってから東京に人口が集中したのだろうなとは想像がつく。武士がみな藩の国本に帰ったとはいえ、働く場をもとめて地方から来た人も多いだろうし、学生や軍人も増えただろうし、また江戸時代の水の使い方とは一変するような近代的水道もできただろうから、そんなこんなで水道水が不足をきたしたのだろう、とまあ推測しておこう。 

 

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 堰堤の下手は鬱蒼とした森に包まれた公園、芝生の広場もあって子供たちが嬉々として遊べるようになっている。まだ幼い子供たちを見ると、是が非でも無理にでも草っ原や林の中に追い込んで、思いっきり遊ばせてやりたいな、と思うけれどひとさまの子供を無理無体するわけにもいかない。

 300m程の堰堤を向こう側にわたって街の中に降り、水道みちを歩く。散歩している人が多い。道は住宅の中だけれど、両側に樹木があってうるさいものは目に入らず騒音もだいぶ少ない。正式名称が「・・・自転車道」となってはいるが、自転車、特にスピードを出すスポーツ車はほとんどいない。ママチャリが時々通るぐらい。

 まっすぐ続いていた道がくにゃりと少し曲がったところに東村山浄水場がある。しかしこの道の下に流れている水はここへは入らないのかもしれない。玉川上水羽村の取水口でほとんどが村山・山口両貯水池に送られ、残った水は小平まで流れ下ってそこで一滴残らず搾り取られ、その水がここの東村山浄水場に入るらしい。

 

 

  道脇の草むらに秋の花が咲いている。緑一色の中に点々と赤や紫が混じって、目が楽しむ。花のあわれは秋にこそ、とは誰も言わなかったかもしれないが、人の世も秋こそ味わい深いかもしれない、などと自ら慰める。

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  小平駅前を過ぎて花小金井駅へと向かう。このへんは小さな公園が道脇に並んでいる。その一つに入ると真ん中が芝地になっていて、その周りを様々な樹木が取り囲んでいて、変哲もないけれど静かで人が少なくて風がよく通る。そこで昼飯を食う。

 この区間にはまた、小平市ゆかりの彫刻家の作品が道脇に設えてある。概して小さな作品が多いが、歩き疲れてほっと一息立ち止まって眺めると、なにやら考えさせられるような気持になる。

 

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 花小金井駅前からちょっと脇にそれて小金井公園に入ってみる。公園の入り口のところに石神井川の源流点があった。しかし水は流れていない。近頃とみに東京の湧水が枯れてしまっているんじゃないかと思われる。

 その原因は知るところではないけれど、これだけ地面をコンクリートで覆ってしまっては、雨水は只ただ側溝を流れるほかなく、地面に染み込まないんじゃあるまいか? 側溝の水は近くの小河川に流れ込み、ひとたび雨となるや小河川が溢れかえる。

 

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  石神井川の源流点近くに小さな池が二つある。池の縁に夏草が生い茂り周りを雑木林に囲まれ、ただ黙って水をたたえている。この池の水がどこから来てどこへ行くのか、説明板もないから分からない。 

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  小金井公園の中ほどへ入る。広場を囲んで老樹が亭々と並んでいる。桜が有名だから春は人だらけになるが、秋は少ない。森閑としてやさしい陽差しが注いでいるばかり。心地よい風が抜ける。

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  公園の正門から抜け、正面の玉川上水を越えて家並みの中へ入る。ここに浴恩館という小公園がある。中に入ると大きな木々が覆いかぶさる暗い影に「浴恩館」と名の付く建物があるが、これは昭和3年(1928)御大典で使用されたものを下賜され、青年たちの修行道場として使われた、と説明してある。

 初代館長は下村胡人で、全国から集まった若者と自給自足の生活をしながら指導に当たったらしい。建物の写真は手振れで見られたものじゃないが、現在これは市の文化財センターとして活用されている由。

 

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 この公園のちょっと東に江戸時代(享保年間)に開墾された田んぼがあったというので行ってみた。だんだん緩やかな下り坂になって、登り返した住宅の中にぽつんと説明板があった。「亀久保田圃とため池」と書いてある。

 少し低くなった辺りに田んぼやため池があったらしいが、そもそも武蔵野の台地に田んぼが開墾されたことが非常に珍しい。武蔵野台地は水に乏しい、だから村山貯水池や山口貯水池に溜め、玉川上水の最後の一滴まで絞って水道水にしている。江戸時代はもっと厳しく田んぼなんていう水を食うものはできなかった。

 ここでもやはり玉川上水の水を引き込んで田んぼにし、明治39年ごろまで活用されたらしい。そうまでしてもコメが貴重だったということなんだろうなあ。江戸時代の武蔵野台地の人々は稗麦粟などを食い、せいぜいうどんは御馳走だったらしい。

 

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  さてさて、いつまでも脇道で道草を食っていては先へ進まない。小金井公園の脇を抜けて水道みちへ戻ろう。それにしてもこの公園は大きい。大きくてあまりごちゃごちゃしてないのが嬉しい。広い草っ原があるのがいい。

 疲れているのだろうか、境浄水場までの最後の道のりがエラク遠く感じる。そしてまた最後のところは馬の背のように盛り上がった土手の上に道があったように記憶していたが、いま歩いてみるとなんだかのっぺりしている。ヒトの記憶程あてにならないものはない、と思うがそれは自分だけのことか?

 

 

 そうしているうちに境浄水場に着いた。まぎれもなく夕暮れ、秋の宵は急ぎ足で暮れていく。その後ろ髪をつかんで、もう少しゆっくり暮れろと引き止めたいところだが、秋の夕暮れの頭は禿げているとも聞く。 

 

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  なんだかんだ言って、20㎞ぐらい歩いたらしい。水道みちだけ直線で歩けば約10㎞だというから、脇で道草を恐ろしくらい食ってしまったのだろう。どっちみち、道草だけの生活なのだからそれでいいのだけれど。

 で、どこかで疲れを癒さなくてはいけない。中央線・武蔵境駅へ向かう。駅前の蕎麦屋にたどり着いてみたら、本日定休日。仕方がなければやむを得ない、すぐそばの中華屋さんに入る。ラーメン屋ではないあくまでも中華店。

 中年の男とその母親らしいおばあさん二人でやっているらしい。ビールと肉野菜炒めを注文。 後からいずれもリタイヤ組らしい男が別々に3人入ってきて、店の中が賑やかになった。この人たちはビールも飲まず直ちに飯のようだった。

 

 一本のビールをちびちびすすって、だんだん疲れが取れていく。野菜炒めはキャベツのシャキシャキが旨い。このひとときがいいなあ。 

 

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空掘川を歩く

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 忘日、空堀川を歩いてみることにした。

 先日は秩父の地層を見るため、あっちゃこっちゃ車で駆け回ったので今回は是が非でも歩かなくてはならない。ちなみに秩父地方は、山波帯とか秩父帯とか四万十帯とかの付加体があって、それが何百万年の間にどうとかこうとかしたらしいのだけれど、その理屈がいまひとつ呑み込めていないので、今のところそっとして置くしかない。

 

 だから代わりに空堀川なのだ。この川は狭山丘陵の谷筋から流れ出して東へ武蔵村山、東久留米、東村山を横断して埼玉県に入り、柳瀬川に合流して更に新河岸川に合流して末は隅田川に至るのだが、名前に似合ぬ一級河川であるらしい。

 どんな案配の川なのか、名前からすると至ってつまらない川のような気がするがともあれ、暇だから行ってみようと思う。源流部からではホネなので途中からとし、モノレール終点、上北台駅下車、北側に500mほどの新青梅街道の脇で空っぽの川に出合う。

 

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  徹底的に人工の川床が、空しく白い。岸辺はどこもかしこも、夏草が鬼のように茂り放題だけれど岸辺に草の道が続いていて歩きやすい。薄い雲が頭上に広がって風がないから蒸し暑いが、しかしまあ、今日は熱中症を心配することもないだろう。

 

 

 下流に向かって歩いてほどなく、脇から水が流れ込んでようやく川らしくなってきた。よく見ると水溜まりのような水中に小魚がわんさか泳いでいる。きらりきらりと時々腹を見せて小石についた藻のようなものをつつく。どうもオイカワらしい。オスのきらびやかな青、赤の姿も見える。

 なんでこんなに群れているのか? 上流の干上がった場所からすべての小魚がこの水溜まりに亡命してきたに違いない。小魚を見るたびに、何となく心が騒ぐ。ああ網で掬ったらどれほど捕まえられるか! 子供の時のあの胸騒ぎが湧き起こる。

 

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  だんだん市街地が近くなってきたら、遊歩道が煉瓦敷きに変わった。散歩する人もちらほら、若い娘と母親らしき二人連れが肩を並べて通り過ぎていった。いつも思うのだが、東京に残された水辺は、ほぼ遊歩道が立派に整備されている。小さな誰も歩かないような川でも遊歩道がある。これだけは感心する。

 もっとも見方を変えれば、水辺にしか、もはや東京の平地の自然は残されていない、ともいえるかもしれない。だからあらゆる川を無造作に埋め立てた罪滅ぼしで、せいぜい水辺に遊歩道を作り市民の散歩道を辛うじて残しているのではないのか? とも思う。人はなんといっても水辺を歩きたがるらしい。

 

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  ときどき岸辺を離れて脇道をする。北側300mほどの高木神社に立ち寄ってみる。境内で草毟りをしていた地元の人がこんにちわと挨拶する。先にあいさつされ恐れ入ってしまう。 簡素だけれどしっかりした拝殿があり、ひと隅に案内板があった。

 それによるとこの境内に「戸長役場」なるものがかってあったらしい。明治17年(1884)町村制度の改革があり、500戸を基準として村が連合した地域に一人の官選戸長を置いたものという。その役場がこの境内に存在していたらしい。

  その連合は6カ村あり、その地域が現在の東大和市のほぼ全域となるのだそうだ。多摩の他の市もそんな風にして連合村が定められ、それが現在の市域となったのだろうなあ、と思った。そうして人口が増え、村境も何も関係なくなり、どこが市の境か、今では判然としないし、それで一向に不都合は感じないし、あえて市境を画す必要もない。

 この神社は獅子舞が有名らしく、例大祭に獅子舞を催す旨のポスターが貼ってある。伝統行事を維持保存していくのは大変だろうな、と思う反面、テレビなど見るとこれに最も熱心なのは若い衆のようにも思う。もしかするとこれを無きものとして、平然としていたのは我ら及び団塊の世代かもしれない、とも思わされた。

 

 

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  空堀川に戻って、東村山市域に入る。南側すぐのところを付かず離れず新青梅街道が走っていて車の音がかすかに聞こえる。前方を西武多摩湖線が横切っていてその脇に東村山中央公園がある。ここで昼飯にしよう。

 幼い子供たちが駆け回っている。彼らはひと時もじっとしていない。シーソーをしていたかと思うと次の瞬間にはブランコに取り付き、滑り台をよじ登る。そのたびに若いママやパパがあっちへ走り、こっちに追いかける。いやはや大変だ。

  微風のベンチでぼんやりと子供たちを眺める。子供たちは、なんといっても野っ原で遊ばせたいと思う。デェズニーランドも遊園地も結構だけれど、その刺激は時とともに薄れるような気がする。それよりは、野っ原で草を眺め、虫を触った経験は大人になっても折に触れ思い出すのではあるまいか? ま、これは爺いの勝手な世迷言。

 

 

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  東村山市の中心、久米川駅近くに至れば、また川は干上がってしまい、白い川床が骨の集積のように見える。思うにこの川は要するに「いじり過ぎ」なのではあるまいか? 川床を掘り下げ、曲流するを無理無体に直線にし、しかして水は地下へと逃げたのではないか、と思われる。

 これもみな都市の人口爆発への対処なのかもしれないが、お陰をもって日本中の川が死ぬ。かってカヌーイスト野田知佑がこの河川行政を鬼になって非難したが、後の祭り、祭りの後に膨大な費用をかけて死の川を蘇らせようとしたがダメ。

 それは人間の浅知恵をよくよく表しているのかもしれない。どうやら自然は腕力でどうにかなるものではなさそうである、とは今頃になって気付く。せめてできることは、自然をこれ以上痛めつけることなく後世に引き継ぐ、ということだろうか。

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 川床の干上がった岸辺を北東へと歩く。埼玉県に入って、武蔵野線、新秋津が近い。夕方の風が吹き始めて間もなく4時になる。少し早いけれど、今日はここらあたりまでとしよう。案外にくたびれた。

  今日は、愚痴を言ったり文句をたれたり、エラそうなことを吐き出したりしたけれど、まあまあ、面白かった。都市近郊の川、中小河川はほぼダメになってきているらしい。玉川上水の小平から下流に処理水を流している、ということが象徴的。そのことがよくわかった気がする、

 

 

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 さてさて、そんな一日だったが新秋津の駅前で一人慰労会を挙行しようと思う。新秋津、西武線秋津駅間は歩いて5分ぐらいだが、かってこの通りは「ホッピーロード」と呼ばれていた。

  両駅間を乗り換えるサラリーマンがホッピーを立ち飲みしていた時代があった。その面影はまだ残っていて、安い居酒屋がある。だからそこで是が非でもホッピーを一杯引っ掛けなければ、かってのサラリーマンに申し訳が立たない。

 だが時刻はまだ5時前、空いている居酒屋が少ない。少ない中をようやく見つけて入ったものの、ホッピーはなかった。ケシカラヌではないか、ホッピーロードにホッピーがないのは詐欺のようなものではないか。

 

 

 

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 万、やむを得なければ仕方がない。今更出るわけにもいかない。焼酎のオンザロック、焼き鳥(豚モツ)3本、カシラ、ハツ、タン。冷やしトマト。なんというささやかな慰労会であろうか。これだけのつまみで、この後ハイボール、レモンサワーで締め。

 

 

 酒もつまみも旨からずと言えど、飲むほどに幸せな気分になった。

 ただ歩いていればご機嫌なのだから、今日はこれでいい。

 夕暮れを窓に眺めて帰宅の電車。 総歩行距離は歩数計で17㎞。

 

 

五日市憲法草案の地

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 忘日、「五日市憲法草案ゆかりの地」を歩いてみようと思った。

 

 明治憲法が制定されるにあたって各地に自由民権の機運が高まり、多摩の五日市にもその運動が存在した。その運動は、五日市の豪農、深澤家の長男権八と、宮城県生まれでたまたま五日市の「勧農学校(小学校)」の先生として滞在していた、千葉卓三郎が中心となり、近郷の青年たちを集めて憲法草案を検討したものだという。

 この憲法草案は、結局日の目を見ることがなかったものの、草案が作成されてから約90年後の1968年、東京経済大学色川大吉らにより、ぼろぼろの土蔵の中のゴミくずを包んだような風呂敷の中から発見されたらしい。

 こうして世の光に出た草案は、現憲法に勝るとも思われる、人権に関する画期的な内容が注目されため、当時の状況が詳しく調査され、今に伝えられている。ちなみにその先取的と見える条文をいくつか抜き出してみる。

・日本国民ハ各自ノ権利自由ヲ達ス可シ 他ヨリ妨害ス可ラス 但国法之ヲ保護ス可シ

・凡ソ日本国民ハ族籍位階ノ別ヲ問ハス法律上ノ前二対シテハ平等ノ権利タル可シは

・凡ソ日本国二在居スル人民ハ内外人ヲ論ゼス其身体生命財産名誉ヲ保固ス 

  しかしこの一方では、強大な天皇大権を規定しており、「国帝ハ、国会ニ議セズ特権ヲ以テ決定シ、外国トノ諸般ノ国約ヲ為ス」とか「国帝ハ特命ヲ以テ既定宣告ノ刑事裁判ヲ破毀シ何レノ裁判庁ニモ之ヲ移シテ覆審セシムルノ権アリ」など、司法の独立を無視した規定も見られ、相互の矛盾も露呈している。

 

 それはともかくとして、どうせ暇なんだから、このゆかりの地を訪ねてみようと思う、というわけで五日市駅到着。最初に行くのは草案が発見された深澤家の土蔵なのだが、なんと駅から北西へ3㎞も谷川を溯った場所、しかし暇なんだから行く。

 

 人家を出離れると右手に三内川のせせらぎが聞こえ、緑の山の谷間を縫って涼しい風が吹いてくる。季節が秋に変わっていくんだなあ、と感じる。斜面をびっしりと埋めるキツネノカミソリ、苔むす石垣、なかなかどうして典雅な道ではないか。

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 ちょうど中間点ぐらいの位置に穴沢天神社の簡素なお堂がある。ここでちょっくら休憩。日ごろぐだぐだ過ごしているのですぐに休憩したがる。山は緑濃く沢音は澄み、月見草らしき黄色が鮮やかで名の知らぬ小さな花もある。

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いよいよ谷筋が狭まって目的地近くまで来たらしい。ぽつりぽつりと現れる民家、その板壁に禿げかけた黄色い看板。時が巻き戻されたような道。道端に咲く鉄砲百合らしきは夏の名残か?

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 目的地到着。小さな沢となった三内川のすぐそばに屋敷の門が残っている。くぐり戸を抜けて数段の石段をあがると案外広い平坦な芝地、ここに深澤家の屋敷があったのだろう。向こうに例の土蔵が見える。

 この土蔵は立て直されている。憲法草案発見当時の写真を見ると、崩れそうな杉皮葺きの屋根、はげ落ちた白壁と出入り口、 90年は土蔵だって無事では済まない。にしても、よくぞどこかに散逸してしまわなかったものだなあ。

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 深澤家の土蔵の訪方を終えた。それがどうした! と言われたってどうせ暇なんだから。ここまではよく車が来るらしく小さな駐車場があり、一角にベンチとテーブルが設えてある。やれやれと休憩。

  ちょっと時間が早けれど握り飯を食った。すると向かい側の「真光院」の庫裡から若い猫が表敬訪問に現れた。よしよし、大儀である。なぁ~ご、と猫なで声で誘ってみると、ちょい目を細めたりするが、3m以内には近寄らず、あらぬ方を眺めて座り込む。

 その後庫裡から3匹の子猫が現れたが、皆きょとんとビックリ顔して見つめ、しばらく遊んだ後、全員庫裡に引き上げていった。たぶんあれだな。「おい、ここにいても旨そうなものは出ないぞ、引き上げようや、けちんぼ」

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来た道を3/4ほど戻って、途中から街中に降りた。市役所出張所向かいの中学校グランドの脇に「五日市憲法の碑」がある。 上記の引用に挙げた条文が刻んである。この街にとって、これは誇りであるに違いない。だから中学校グランドの脇に作ったのだろう。未来を担う中学生たちがグランドを走っている。

 この憲法草案を作成するにあたって、深沢権八、千葉卓三郎らは郷土の青年たちと「勧農学校」において徹底した討論を重ねたという。その組織が「学芸講談会」でありその規約において「万般の学芸上について討論し、政治法律を論議せず」とあるが、しかしやっていることは真逆であり、巧みに官憲の追及をかわしたらしい。

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 さて次は神社とお寺。これは憲法草案と関係ないが、市の「歴史・文化散策モデルコース」に、「行け」と書いてあるので、暇だから行く。まず「阿伎留神社」。延喜式多摩郡8座の筆頭としてあげられる由緒古き神社の由。

  拝殿、本殿の下に立派な神楽殿が再建されているし、神輿を治めるガラス張りの倉庫もあり、無慮多数のお神輿が並んでいた。祀られている祭神にはとんと興味がない罰当たりだけれど、神輿や神楽殿には興味がある。お祭りも盛んだろうな、と思う。

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  いったん秋川の岸辺に降りて対岸の山の中腹にある広徳寺を目指す。川の中には釣り人や幼い子供を連れた家族が入ってじゃぶじゃぶやっている。子供たちよ、夏もすぐ終わる、心残しなく大いに遊び給え。

  小学校3,4年ごろだったかの夏休み、毎日まいにち川に行って遊びほうけていたら、たちまち休みがあと2,3日となった。宿題は自慢じゃないが全くやっていない。それがばれて家族中大騒ぎになった。でも1回先生に怒られりゃあ済むこと、心おきなく遊べよ子供たち。え! 違うか?

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  広徳寺への坂をえっちらおっちら上る。茅葺の総門がすっくと立っている。「穐留禅屈」の大額は松平不昧公の書であるとか。出雲の殿様と如何なる関係ありや? 本堂は堂々たる茅葺の大屋根を備えた落ち着きのある大建築。

 ここでまた木陰の石に座って握り飯を食う。誰もいない境内でつくつく法師が鳴いている。周りを見ると、地べたにひれ伏したような草もあり、石垣の間からひょろひょろ伸びた草もある。いずれも夏だというのに見た目が極めて貧弱。と突然、どれも生きているんだよなあ、という感慨が湧き起った。

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  街へ降りて郷土館に行く。もちろん五日市憲法草案の展示があり、204条の全文が掲げてある。そのほかに萩原タケ関係の展示もあった。この人は日本赤十字社で活躍した看護婦さんらしい。その他泥染めの「黒八丈」など。 日盛りだったので冷房の館内でうろうろする。見学者はちらほら、案外人気なのかも。

 

最後に「勧農学校」跡地に行く。駅近くの路地の奥で分かりづらい。近くいたおばあさんに聞いてたどり着く。現在は「五日市の市神様」が祀られているらしい。昔の勧農学校もこのような造りだっただろうか?

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 さてさて、これでモデルコースご推奨のなにくれを全て見てきた。あとはお決まり、わが身の慰労会、が、しかし居酒屋などはどこもまだ早いか閉まっている。駅前にコーヒー屋あり、やむを得なければ仕方がない。

 聞いてみるとビールの小瓶ならという。これもやむを得なければ仕方がない。店の壁には本や雑誌がぎっしり。店主は物静かで長身の一見芸術家タイプ。本が多いところを見ると元は古本屋さんだった?

 ふと奥多摩林業関係の写真があった。見ていると「関心がおありなら」と店主が雑誌を3冊持ってきた。この土地の古老に昔の林業と筏流しの聞き取りをした雑誌。ビールをグビらしながらだし、疲れてもいるので文字を読む気になれない。掲載の写真だけを見るが、なんだかおもしろい。

 

結局ビール小瓶2本、枝豆8粒、パラパラ雑誌をめくって疲れが取れた。

本日は約15kmほどの歩き。

季節の変わり目のさんぽ、大変面白かったなあ。

 

 

 

さんぽ③

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 忘日、平成お徒隊9月分の下見。

 

 このくそ暑い時期なので、みんなからブーイングされ同行者なし。曰く、こんな時に表を歩くは自殺行為である、下見なしでやるべし、曰く、私しゃ嫌だけど勝手にやればあ、曰く、死んでも誰あ~れも褒めないよ、等々。

 ブーイングは理解する。けれど、ま、試みに2次募集。すると余りにも可哀想と思ったかどうか、一人同行者現る、H氏。下見スタート駅で下車し待っていると、ひょっこりY氏も顔を出す、で、都合3人。友達とは、捨てたもんじゃないなあ。

 

 本日は、モノレール終点の「上北台駅」から八高線箱根ヶ崎駅」まで狭山丘陵の麓を歩く。とはいうものの、あまり日陰ではない。あいつらやっぱりバカだった、などと後ろ指さされぬよう、慎重にして元気で歩きたい。

 

 空堀川の土手道を歩き住宅が散在する中に入る。空には雲がありドカドカの日差しを遮ってくれる。道みちの野仏石仏に立寄りながら行く。野仏石仏の類見て、な~にが面白いのか? 面白いわけではないが興味はある。

 同行者も興味があるかどうかは知らない。しかし比較的長距離を歩くとき、途中になにか見るべきものが有ると無しとでは大いに違うと思っている。何もなければ只ただ退屈を極める。

 それと同時にこうも思う。今見られる石仏はほとんど江戸時代のもの、明治以降はあまり作られていないらしい。ならば今見ておかないと無くなる。それを見て江戸時代の人は信仰心の篤い人々だったんだなあ、と思う。現代はその信仰心が極めて薄くなったのは何故なのだろう? 多摩地方には甲申塔が多い、庚申信仰が盛んだったのだろう。

 

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  狭山丘陵の谷筋の奥へと分け入っていく。ここには大正、昭和にかけて造られた村山貯水池への導水管や山口貯水池を造る時に敷設されたトロッコ鉄道のトンネルがある。導水管は地下に埋まっているが、トンネルは保存されている。

 そのトンネルを歩く。うひょう、涼しいや、と一同声を上げる。使われなくなったトンネルは哀れだ。内田百閒は使われないトンネルを持ってきてなにかに使えないだろうかと、真剣に考えたとかなんとか。その気持ちはわかるような気がする。

 

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  3本のトンネルを抜けた先の児童公園で昼飯。一同握り飯を食らう。Y氏が傍らのトンネルの由緒を書いた絵看板を熱心に見ている。彼はこういう産業遺産的なものに並々ならぬ興味を示す人。平成お徒隊はその興味の赴くところそれぞれであるらしいが、共通点は「東京、なかんずく多摩地方を知りたい」にある。

 東京の住人は案外東京を知らないらしい。明治以降猛烈なスピードで変化し続ける都市は、変化を追うだけで精一杯、歴史の痕跡など跡形もないほど。しかし、自分がつかの間生きてそして死んでいくところを、少しでも知りたいではないか?

 

 ここから先しばらくは青梅街道を歩く。運の悪いことに、雲が切れて青空がむき出しになって陽が容赦なく照る。たちまちY氏もH氏も顔がほてってきて赤くなり、苦しそうだ。こんな時はコンビニに立ち寄る。カップの味噌汁を買って飲んでいたら、H氏が言う。この暑いのに熱い味噌汁かよ。そうなのだ、これが意外といいのだ。アイスなどなめた日にゃあ、余計喉が渇く、昔ながらの味噌汁にしくは無し。

 

 狭山丘陵の谷間に入って里山民家園に行く。都立公園になっていて、ボランティアが田んぼを作ったり里山を手入れしたりしている。高度成長期までの長い間、谷筋一面に田んぼが開けていたに違いない。

 都立公園として保護し、それを手入れするボランティアがいなければ、とっくの昔に消えている土地だったろう。このようにして消え去った土地が全国いくつあっただろうか、と思う。

 茅葺農家の復元民家には今日もおじさんが一人詰めている。当番で詰めているのだろうか、何事か説明したくてうずうずしているのが見て取れる。その気持ちはよくわかるけれど、こちらもまだ先がある。

 

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 民家の裏の田んぼを一回りする。家族連れが何組かいて子供たちは目を輝かせて畔を飛び回る。小川に網を入れたり、ザリガニを捕まえたり。この子たちの記憶にこの田んぼの風景は残るのだろうか? それともデェズニーランドの記憶と同じか?

  田んぼの脇の木陰の下のベンチでぼ~っとする。そよ風が吹いてくる。いつまでもぼおう~~っとしている。懐かしいな、とY氏がぽつり。東京出身の彼にとっても懐かしいらしい。いわんや地方出の者にとっては。

 

  その後阿豆佐味神社に立ち寄って、残堀川の岸辺を伝って箱根ヶ崎駅へ。駅前の居酒屋はまだ時間が早いせいか、それとも今日は休業日なのか、誰もいない。ならば残堀川の源流、狭山ヶ池まで行ってみたい、とY氏。

 まだ歩き回る力が残っているのかと思うものの、すぐ近くでもある。駅前でしばし休憩ののち狭山ヶ池へ行く。昔から窪地だった場所で周囲から湧き水や小川が流れ込んでいるらしい。

 池を囲んで100m四方ほどの公園。いつもは余りきれいではない水が溜まっているのだが今日はなぜか澄んでいる。ザリガニ捕りの少女とその弟、バケツの中の戦利品を得意げに見せてくれる。持ち帰ってどうするの? 飼うの。食べたらどうだ? いやだあ! と少女ははにかむ。

 

箱根ヶ崎駅前に戻るも居酒屋は開いていず。

電車で拝島迄、降りて中華屋さん。

結構飲んで、しょうもない話に花が咲く。

本日は13㎞ほど。よか一日じゃった。