doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

津軽半島の先へ

                        (グーグルマップ改)

 

 旅の思い出はやはり日本海側の土地が強く印象に残っている。というより太平洋側は巡り歩いた(走った)ことがない。日本海側の静かな入り江や騒がしくない街の佇まいなど、寂しげな風景になぜか惹き付けられる。今回も五能線の旅の続きである。

 五能線が五所川原に向かう途中に「木造」という駅がある。確かこの駅から北に向かって津軽半島の先っぽに入り込んだと記憶している。駅舎の正面に、もの凄い迫力の土偶の像が張り付いている。一度見たら忘れられない。「遮光器土偶」と言うらしい。

                                                                               (青森観光情報サイトより)

 

 津軽半島の先っぽの土地は基本的に砂地でできているらしいが。道路を走っている限りそれは感じられない。右手に田んぼと川が続き、左手は草の土手で、所々に小さな集落が現れる。車はまず見かけない静かでのんびりした道が続く。やがて亀ヶ岡石器時代遺跡にたどり着いた

 左側の土手の脇道に、例の遮光器土偶の巨大なモニュメントが胸を反らして立っているが、それだけで他に何もない(縄文晩期のもの、これ自体は石器時代ではない)。この近くに考古資料館があるが、そこに置いてあるのもこれのレプリカだそうで、見学は省略した。この先に十三湖があるが、今日はそこまでは行きたいと思っている。

 

 途中で雨になった。だんだん土砂降りに変わっていく。やがて少し小降りとなって十三湖の暗い水面が見えてきた。この湖は日本海と繋がった汽水湖で、やはりヤマト蜆が特産らしい。この時晴れていれば、また印象が違っただろうが雨上がり、空も水も暗い。

 湖の北西側で狭い水路が日本海と繋がっている。画像では遠くてよく分からないが、右下の方に、突堤が途切れたように見るのが、水路に架かる橋らしい。その先に茫々と日本海が広がっている。雨雲が低く垂れ込めている。

 

 

 もう少し近寄ってみると、水路に架かる橋がはっきりしてきた。やはりごく短い橋であるようだ。狭い水路で守られて、絶好の風待ち港だったと言われている。だからだろう、中世の日本海交易の中心となった湊であったらしい。

 自然とそこに街が形成され、ここは中世、13~15世紀に栄えた。今は遺跡として残るだけだが、左側の画像に「十三湊(とさみなと)遺跡」という文字が見える(右側が十三湖)。その北側に「十三湖(じゅうさんこ)大橋」の文字も見えている。

 

 (グーグルマップ改)

 

 雨が小降りになったので、車外に出て遺跡が埋まっているらしい付近を撮影した。「十三湊遺跡」の看板が建っているが、見た目には単なる田舎の道である。十三湊が衰退したのはさまざまな要因が重なったことにあるらしいが、栄華は滅びる。

 

 

 その付近に大層豪奢な農家建物があった。十三湊の栄えたころからここに建っていたような錯覚を覚える。代々の名主の家だろうか、それとも高級民宿でも営んでいるのだろうか、もしそうなら、ここに泊まってみたい、と強く思った。

 

 

 日本海と結ぶ水路の短い橋を渡って北へ向かう。また雨が降ってきて、橋を渡り終えたときは土砂降りとなっていた。道路はここで分岐し北へまっすぐ進む道の標識に「竜飛崎」という文字が雨に煙ってかすかに見えた。

 こちらは湖の北辺をぐるっと回って、対岸に出るつもりだ。竜飛崎に惹かれるものがるが今夜の宿は五所川原市と決めてある。延々と竜飛崎などに言ったら帰れなくなるかもしれない。思えば遠くに来たものだ。

 松林の中の暗い道を、土砂降りに押しつぶされるように走って、随分心細い。やっと対岸に出て、そこの食堂で蜆ラーメンを食って、心底ほっとした。蜆は豆粒ほど小さいが、その代わり丼の底が見えないほどみっしりと入っていて、とても旨かった。

 

 

                         (snsから拝借しました)                       

 

 

 さて、金木では太宰治の生家の中へは入らず、表から玄関あたりを瞥見し、土産物屋を覗きこんで五所川原に向かう。向かう途中、雨がすっかり晴れ上がって、夕焼けに染まった。車の中で、ただただ「わお~、すげえ!」と叫ぶばかりだった。

 道脇に適当な待避所もなく、駐車できない。ただ意味のない叫び声をあげるだけだったので、写真がない。失礼ながらネットから拝借して参考にしたい。夕日は岩木山の向こう側、日本海に沈むらしい。岩木山が青黒い影となって、なだらかな稜線を見せている。

 岩木山の上空は、燃え上がるように明るく輝き、千切れた雨雲の縁が黄金色に染まってきらきらと光った。上の参考写真にはないけれど、道脇の田んぼや雑草がまだ見える時刻だったから、これもまた黄金色に染められていた。

 

 なんという美しさだろうと思った。こんな夕焼けはいまだかって見たことがなかった。これですっかり津軽の虜になったらしい。もう一度津軽に来ることができるんだろうか? それともそいう機会はもう巡ってこないのだろうか。そうして、津軽の夕焼けを惜しみつつ五所川原市へ入っていった。

 

歌「津軽のふるさと」

♪♪ あぁ、津軽の海よ山よ、

いつの日も懐かし、

津軽のふるさと ♪♪

 

 

 

鳥の目俯瞰(砺波の散居集落)~三度目の正直

 

                        (ネットから拝借)

 

 北陸富山の、富山市と並んで西側に砺波平野が開けている。ここの家々は広々とした耕作地に、まるで点のように一戸々々が散居している。散居した家々は屋敷林に囲まれ、風雪から守られているなど、独特のものがある。

 どういう経過があってこのような集落の佇まいになったのだろう。ほかの地方では集落が山裾に固まって建てられ、耕作地はど真ん中に広がっているのが普通だと思うが、何らかの理由があってこのような散居形式になったなったものと思われる。

 ここもまた、地上を車で走ったのでは何もわからずに過ぎてしまうだろうと考えた。そこで鳥の目俯瞰できる場所を探したら、あったのである。低いけれど、ちゃ~んと展望台があったのである。世の人の考えることは、まあ似たり寄ったりだ。

 

 

 展望台に登ってみた。標高は低いけれど小高い丘となっていて、下の方に4,5張りのテントが見える、キャンプ地でもあるらしい。早速砺波平野を見下ろしてみたら、なんだか変だ、茫々と煙って目の中にガスがたまっているような錯覚を覚えた。

 よくよく目を凝らせば、平野の方に細かい霧が湧いているらしい。まことに「北国日和定め無き」である。今の今まで晴れていたはずなのに、いつの間にか霧に覆われて、その霧がだんだんとこちらの方に迫って来るらしかった。

 

 本来は下の画像のように景観が展開しているはずなのである(現地看板)。

 ところが現実はこのように↓なっている。如何なる神様仏さまの計らいであるのか、あろうことか、平野の煙のような霧雨がこっちに迫って、濡れてきた。鳥の目どころか屋根の下に避難しなけえばならない。なんと言うことだろう。

 

 

 

 これは天罰である。鳥の目俯瞰がおもしろいからと言って、何度も何度もしつこく続けたので、天は罰を与えたらしい。「三度目の正直は」大失敗に終わった。これに懲りて、当分の間鳥の目俯瞰はお蔵に入れて置こうと思う。

 

 

 

三方五湖を鳥の目で

                       (福井県観光サイトより)

 

 北国、若狭の国(現、福井県)に三方五湖というところがあって、湖が五つ並んで、それぞれが神秘な深い群青色を呈しているという。この湖群を見るのに湖畔の道路を車で走ってみても、岸辺の葦や雑草に妨げられ、あまり面白くないに違いない。

 ここはひとつ是非とも「鳥の目で見降ろす」でなければならないと思う。だがしかし、湖が見下ろせる山道へ上るのぼり口が分からない。尋ね訪ねてお店の奥さんに聞いたところ、すぐそこよ、と言って分岐まで連れていてくれた。

 くねくねした山道を登って行ったら道脇に駐車場があり、3,4台停まっている。聞けばさらに上に「テラス」というものがあって、一人千円で飛び切りの眺めが手にはいるというが、そんなところに入って、焼きそばの匂いをかがされては、と思い、この駐車場でいいことにした。

 

 

 

 真下に見える湖は、確かに深い群青色に染まっている。眼下の茂みが邪魔になるが、神秘的な青い色が輝いている。 これはやはり「鳥の目で」見て良かったと思う。地上の道路からでは、この神秘的な群青色は見れなかったかもしれない。

 

 その先の淡い水色の湾入は、日本海らしい。手前の湖とはまるで水の色が違う。ここから弓なりになった渚が見える。寄せては返す長閑なのどかな波の音が聞こえてきそうである。その右側に耕地が広がり、遠い昔からの人々の暮らしが続いているのだろう。