時に暖かい日があって、花なども咲き始め、そわそわするから表に出る。
コロナに用心、電車に乗らないくてもいい散歩道を選ぶ。いきおい、川の岸辺をうろちょろすることとなってしまうが、止むを得なければ仕方がないので、もう暫くはなるべく自重した方がよさそうだ。
河川敷に10面ぐらい草野球場が造ってある。広~い野っぱらに、土の内野と芝生の外野があるだけの至って簡素なものだが、空がど~~んと開けて気分良し。河川敷なのに、一昨年の台風でも冠水しなかったらしい。エライゾ。
平日なので子供たちの姿はなく、老人が5,6人紙飛行機を飛ばしていた。厚紙で作った小さな飛行機をゴムでぴょんと飛ばす。春霞の空をス~イス~イと滑空して下りてくる。あれ! 女性もいる! 暇な爺様の専売かと思っていたが、ここにも女性浸透。
野球場を過ぎると田んぼや畑が広がる。まだ一面に土色が広がっているだけで緑は見えないが、間もなく野菜や稲が植えられ、たちまち緑になることだろう。日本中の村や山が緑一色になるのだから、剛毅なものだなあ!
奥の集落に近づくと、家並みの中に紅梅と白梅。春だなあ!
この場所はいつ来てもなぜか気持ちがいい。周りを見ながらぼう~~っとする。こういうのを流行り言葉で言えば”癒される”というのだろうか。この言葉は実にいろんなところで「目」にするが、なぜこんなにも”癒し”必要なのか、自分にはよく分らない。
そこで、このボロクソ頭で考えてみた。戦後の日本社会で失われたものは”世間”だと言われる、それに代わって”自立した個人”が求められているとも言う。古臭い”世間”は抗わぬ限り我々を包んでいたが、それが失われてむき出しの”個人”が表に出てきた。
ところがこの”個人”は、西洋人と違って、まだしっかりと自立してはいない。足が地についていない。だから、世間と個人の間で気持ちは揺れ動き、確信もないし不安でもある。その不安を癒してくれるものが必要、というわけなのかもしれない。
無駄話は早々に終了。用水路の脇の草原で休憩。薄曇りの空から春風がさわさわと吹いてきた。何もすることがない。甘いお菓子を一つむしゃむしゃ食う。しなければならないことは何一つない。これぞ天国といわず何を天国という。
集落の中を歩いてみた。建物の陰に春が潜んでいる。
丘陵の切通を越えて別な河川敷の農地へ。家は2軒だけ、あとは一面畑。土筆を探してみたが、見つからなかった。まだ少し早いのかナ。砂利の道が続く先へとぶらぶら。梅がぼうっと霞んでいる。
梅の花もそうだけれど、まだ緑が芽生える前に様々な花が咲く。ホトケノザ、オオイヌノフグリはおなじみ、小さな白いのはハコベだと思うが自信はない。道端に鮮やかな赤い実があったが、これはアオキの実だろうか?
なるたけ舗装道を避けて草の道を歩く。舗装と草とでは、柔らかさが歴然と違う。足なんて極めて鈍感なやつ、と思うだがどうしてどうして、案外といろんなことを感じる器官なのだ。靴下に小さな小さな砂粒が入っても解る。
また小さな集落に入る。赤いのやピンク、白い梅が重なるように咲いている。古風な民家の庭に紅梅の一木、馬酔木が満開の庭、これらがみんな、来週は散っていくだろう。足早に移ろっていく。諸行無常、ち~~ん。
集落のはずれに小公園、ここで昼飯。平日だから子供はいない。大人も無論いない。要するに誰もいない。後ろの藪のどこかから、鶯の初鳴きが聞こえてくる。まだチチッチとしか言わない。陽が温かい。
秋川に架かる橋を渡って対岸の土手道を歩く。土手を歩いているつもりがいつの間にか川原を歩いている。まあ、川原だろうがどこだろうが道があればそれでいい。背の高い枯れススキに囲まれ、見通しは悪い。
河原道がどん詰まりになって、再び土手道に上がる。ぽこぽことただ歩いているだけだから、頭の方は暇なはずだ。そこで暇な頭で何か考えようとした。が、あ~んにも考えは浮かばなかった。
よほどのポンコツ頭なのだろうけれど、歩いているときは道っぱたの草や山などが目に入り 、何かを考えることはできないように思う。それは単に所有するこの頭がバカなせいかもしれないが、歩きながら考えるというのは困難ではあるまいか。
だから「山道を登りながらこう考えた・・・」はもしかするとウソなではないか? あんな小難しいことを、しかも不安定な山道を登りながら考えられるだろうか? しかし、どこやらには「哲学の小道」なんて言う、考え事専門の道もあるらしいしなあ!
てくてく歩いて、4時ごろまで。18㎞、ちと長い。
なんの益することなしといえど、腹が少しへこんだかな?
ま、歩くことが好きですねん。