相模の野に、頑固なほど真っ直ぐな道がある。
曲ることが嫌いな人間が歩くのにちょうどいい。
駅前はリニア新幹線の駅ができるらしく工事中、エライことになりそうな気配が辺りに漂っている。品川まで約40㎞、リニアで10分ということだが、余りに近すぎて、乗り降りする人が果たしているのかナ、とよそ事ながら心配になる。
それはさておき、五人衆は駅前からバスに乗車、10分も走ればたちまち鄙びた景観に変わり、畑を囲んで小さな家がぽつりぽつり、あちらこちらで咲いている春の花が、霞か雲か、ほんわり茫々、霞んでいる。
真っ直ぐな道を「緑道」として整備してある由。その起点近くのバス停で降り、真っ直ぐな道に入る。なるほどなあ、ずう~~っと向こう、霞のかなたまで真っ直ぐ、われらに似つかわしい道ではないか。道端の若草が目に沁みる。
この道の下に横浜水道の土管が埋まっているのか、と思うとなんだか不思議な感じがする。敷設するに際しトロッコを使った、その軌道跡でもあるらしい。車止めのコンクリート四角柱が設置してあるので、ほぼ車は走っていない。老々男女、ゆるゆる辿るにちょうどいい。
霞の空を薄い雲が覆っていて、暑からず寒からず、のどかな春を、さらにのどかにおし広げ、相模の野の上空があっけらかんと大きい。相模川が近くを、どんぶらこと流れる地境、都会のわちゃくちゃの喧騒はここまでは及ばない。
行くほどに花木が目立つ。霞に溶け込む染井吉野、どうだ! と威張る花桃、伏し目がちの三つ葉躑躅や木瓜の花。今年は染井吉野だけ遅れて咲き、それを尻目に他の花は早々と咲き誇った。如何なる自然の計らいなりや。
道端の草もこれに同じ。「これはホトケノザ、こっちがカラスノエンドウ、そしてヒメオドリコソウ、あら、ハナニラが盛りね」と野草に詳しい人が教えてくれる、野の花の可憐、よく見ればそれぞれに花は美しい。
カラスノエンドウの葉っぱは食える、と聞くや否や、ぱくりと口にした輩、「うむ、草だ」と聞くまでもない。ハナニラについては、「ニラの味がしないね」とのたまう。野の草を食うのは馬に任せておけばいいと思う。
道は畑のど真ん中になった。ますます空が広い。菜の花の黄が眩しいほど目に映る。そこここで、畑の作業をする爺さんがいる。「のどか」を絵にしたらこういう具合になるのかなあ、描く技量は持ち合わせないけれど。
道は煉瓦だたみになった。枝垂れの桜が咲いている。連翹はまだ咲かないらしい。「でもドウダン躑躅の花が可愛いわね」という花はスズランを小さくしたような釣り鐘型。「これはスズランか?」「いえいえ、スノードロップよ」
水道管敷設のためのトロッコがかってあった、という標識。取水口から野毛山浄水場(横浜市)まで、44㎞と書いてある。1887(明治20)年、わが国初の近代水道、とあるから、東京より約10年ほど早い。その軌道跡の道を、いまとことこと歩いている。
ところどころにベンチが設置してあるのだけれど、それが一脚のみだから五人衆がそろって休むには一寸足りない。「腹減ったから、もう休む」と駄々をこけば、非難の目が射すように痛い。「もうすぐ公園に着くのよ」と爺さんは説得される。
花より公園より、何はなくても、めし! これなくして「のどか」もへったくれもあったものじゃない。人間は、風流や雅趣よりなによりも、めし。食たりてのみ、さまざまな観念生ずべし、ゆめお高くとまるなかれ。
そうこうして、いよいよ相模原公園の近くまで来た。小さな川を渡るにつき、土管が現れた。「ほんとにこの下に水道管があるの? 」と疑惑の目を向けていた皆の衆、見るがよい、これぞ横浜水道、水道管なるぞ。
これが明治20年敷設の当時のものか否か、定かならぬと言えども、水道管に疑いなし。これが公園の坂をよじ登って、公園一画の沈殿池に通じているであろうことは、もはや明確、疑いなし、どうだ参ったか。
公園の麓に「せせらぎの園」という花満開、爆発のゾーンがあり、ここで待望、昼めし。雲を欺く白い花が、川べりにも嶺にも盛り上がって、ちらちらと雪のように花びらが散る。飯を食ったので、再び「のどか」が復活した。
子供たちが花の下で飛び回り、老人がベンチで憩う、その頭上にはらはらと雪のような花びらが舞う、つくづく平和であると思う。平和の中で、めしも食ったし、すっかり茹蛙になってしまった。茹蛙にしても先は何ほどもない、いいじゃないか。
さて、もう少し坂を上って相模原公園の台地上で遊ぶことにした。いろいろな施設ができている。花菖蒲園、芝生広場、噴水広場、フランス式庭園、サカタのタネグリーンハウス(熱帯植物園)、女史美大、展望タワー・・・あれこれ、ぎっしり。
サカタのタネの植物園は休館日。にもかかわらず写真を撮る、そしてその一続きのフランス庭園とかを懸命に写真に写す、というお目出度さ。列をなすメタセコイアは白茶けた、まだ裸の木、その先にわれらが沈殿池がある。
豚と何とかは高いところに登りたがるそうだが、われ等もむろんのこと登る。展望タワーから向こうの沈殿池を眺め、うむうむ、横浜水道みちが一休みするのだと納得させる。見おろす景観はもうすっかり初夏の装い。
豆粒のような人が動いている。満開の八重桜が煙っている。遥か彼方に横浜港ランドマークビルが見えるという。スカイツリーはさすがに見えない。見えたり見えなかったり、一体それがどうした? というのは野暮。
公園で子供の如く浮かれて遊び(これがまた、楽しかった)、再び水道みちに戻る。今度は畑の中じゃない、住宅の中の砂利の道が、頑固に真っ直ぐに続く。道の両側に雪柳などの植物が植えてあるが、野趣は乏しい。
細かい雨がぽつぽつ落ちてきたので、屋根の下で休憩、楽しく談話。話の上手な人の面白い話は、ときを忘れさせる。暮れるを知らぬ永き春の日を、ゆったりと飛び交う詮もなき話に打ち興じ、ときを度外視した。
さらに水道みちはまっすぐ続く。学校帰りの女子高生が自転車を必死に漕いで通り過ぎる。大根を入れた袋をぶら下げて主婦がゆく。道端の雪柳が風に揺れて笑っている。猫がそそくさと繁みに隠れる。
道は米軍住宅に突き当たり、突き抜けて向こう側に続くが、われらの水道みち歩きはここまで。脇に曲がって、駅に向かう長い商店街をくたびれた五人衆がとぼとぼ歩く。くたびれたからには、どこぞで一杯やりたいものだ。
駅前に至り、女性陣は「付き合いきれないわ」と言って帰った。
男3人、誰憚ることがあろうか、中華屋でぐびり、ぐびり。
約13㎞。春の日を一日かけて、良き運動になりにき。