doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

去年今年呑んじゃ寝で日を送り

 

 

 呑んで寝てばかりで、いささか調子悪し。

 これを解消するに表を歩くに如かず、と思った。なににしろ吞んでは寝て、起きて呑んで、ごろちゃらばかりしているから、心身ともに不健康極まったりの状態、たまには体を動かし、こころに新鮮な空気を入れてやるべし、なのだ。

 それがいい、と思いついたものの、昨年暮れに歩いていて、ふくらはぎが肉離れを起こし、それが今だすっきり治りきっていないことを思い出した。歩いて大丈夫かなあ? ええい、ままよ実際に歩いてみりゃはっきりするだろう。

 

 ふくらはぎは、だぶん大丈夫だと、根拠なしの希望的楽観を以て、川の土手道に行ってみた。いやはや、思いもかけぬ大勢の人びとが、歩いたり、走ったり、ぶらついたりしていて、正月早々大変なことだなあ、と感心した。

 中でもジョギングしている若い人が多い。彼らは寒の入だろうが寒かろうが知ったこっちゃなく、わっせわっせとひたすら走る。中でも大きな図体の外国人ペアが、サングラスの半ズボン姿で、ドシドシと通り過ぎていったのには驚いた。

 みんな、これほどまでに健康に気を遣っているのだ。毎日ごろちゃらと呑んだくれていた自分が恥ずかしくなったが、しかしそんな殊勝な気持ちも一瞬だけ、まあ、人それぞれ自分にゃあ出来ぬことだ、と知らん顔の半兵衛を決め込む。

 

 だがやはり、ふくらはぎが痛み出した。普段の生活ではドッてこともないのだが、ちょっと距離を歩けば、たちまち不機嫌に駄々をこねる。ふざけんなよ! と言いたいところだが、自分の身の内じゃあ怒鳴りつけるわけにもいかない。

 休みやすみ、ちょっとずつ、よたよた歩く。あの爺い大丈夫かあ? と言う人の視線が身を刺してくる。困ったもんである。そうして少しずつ歩いて行くと、広い河川敷は茶褐色の一色に染まって、ずっと上流へと続いている。

 茶色の河川敷は茫々と広がって、そのはるか向こうに青い山並みが見える。空にくっきりと稜線を際立たせ、たおやかに続いている。少し寒いが陽ざしはもうだいぶ強い。寒の入りと言えども、日差しは日に日に明るく輝くようになってきた。

 

 折り返し点の広場のベンチで大休憩することにした。ふくらはぎのご機嫌を取らねばならぬから、ゆったり、堂々と休む。ベンチの後ろ側には、今を盛りの山茶花がわんさか咲いている。濃い緑の暗い葉の間に、てきれきと紅い花が盛り上がっている。

 目の前の桜はすっかり葉を落として、そうして枝先に花の芽が膨らみ始めている。葉を落とした樹木や枝を、不用意に枯れ枝などと言ってはいけない、と近頃悟った。一見枯れているように見えて、実は春の芽吹きの準備を着々と進めているのだ。

 枯れ果てたように見える人も、うちに流れている血潮は、なんのなんの、熱くたぎっているかもしれない。年寄りをバカにしちゃあ、いけないヨ。などと、こいているうちに日がガクっと首を垂れて、たちまち元気がなくなってきた。全く油断できない。

 

 帰り道に湧水の池を通ったら、その水が恐ろしいほど澄み切っているのに驚いた。冬の水は澄んでいるものだナ、とこと改めて思う。誰が放ったのか、錦鯉が悠然と泳いでいる。その色がとても鮮やかに目に映る。

 真鯉もいるには居るが、こちらはなんとも芸がない、ただ黒い顔をしてアップアップ口を動かしているだけだ。錦鯉のように、しばらく眺めていたい、という気が起きない。同じ鯉なのに、随分割を食っている連中なんである。

 

 

  約6㎞ばかりの、正月ちょびっと散歩終了。

 

 

動画練習(2分動画、BGM、説明付き)

 

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