doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

夏空の「奥多摩むかし道」

 

 暑さの盛りなれど、奥多摩へ行ってきた。

 「奥多摩むかし道」を久しぶりに探訪。

 



 奥多摩駅からバスに乗って15分、小河内ダムに着いた。水と空は青く、山は緑、どこを向いても青一色で清々しい。しばし佇んでダム湖を眺め渡すが、山奥の神秘な湖、という雰囲気は感じられない。人造湖はやはりどこか違うのだろうか。

 「むかし道」はこの裏山の中腹から始まる。聞くところによると、湖底に沈む集落がそこに移転したのだという。その集落までおよそ100m、エッチらオッチら登らなければならない。登る、というのは理不尽である。足が突っ張るし、息も切れる。



 数軒の家が、山の斜面の危うい傾斜に張り付くように建っている。耕地も畑もない。なぜこんなところへ? つらつら思ってみれば、もしかして湖底に沈んだ故郷への望郷の念癒しがたく、せめてダムを見下ろせるこの場所を、ということではなかったのか。

 狭いガレ石の通路を伝って集落を抜ける。外れに青目不動のお堂があって休憩できるらしいから立ち寄ってみたら、がび~~ん! 締め切りになっていた。なぜ? と思ったが、もしかして、神聖なる信仰の場を、傍若無人なハイカーから守るためであろうか?

 

 道を登ったら、あとは下る、これは理の当然である。登りっぱなしという話はない。これがまた、目くるめくような斜面に獣道に毛が2本半生えたような道、落石注意の看板がいくつも出てくる。場所によっては山崩れ注意。注意のしようがない。

 この下りの道中がまた長い。行けども行けども続くが如くに思われ、まだ「むかし道」が始まったばかりというのに、もはやくたびれ果てる。その上頭上に木が覆い被さって、日影であるのはいいとしても、暗く湿ってあまり気分はよくない。

 

 ようやく地上(?)に降りてきた。ここで謹んで関係当局へ申し上げたい。ダム湖からここまでの道中、もう少し歩きやすいように整備されたらいかがであろうか。高齢ハイカー多きと思われる「むかし道」、歩きやすさ、安全第一にお考えあられたし。

 でもって、ここからは切り替えして、古い時代の青梅街道となり、道幅は3mぐらい。右側は深い峡谷をなす多摩川の流れ、左手は山の絶壁、現在の青梅街道はそのさらに上を、カーブを省略し、短いトンネルを連ねて通っている。

 深山幽谷の気配に満ちて、見上げれば眼前に迫る山は鼻を圧し潰しそうだし、見下げれば目もくらむような深い谷、空は青いけど、そのただなかにぽつねんとひとり。都心から2時間程度でこんな異郷に紛れ込む。 

 

 ところどころにつり橋が掛けてあるが、対岸に道はない。思うに昔はこのつり橋(もっともっと貧相なものだったらしいが)を渡って、対岸へ山仕事に行っていたのだろう、その名残のつり橋が修復されながら残されている。
 時たま集落が現れる。家は数軒あるのみ。その家の半分ほどは無住であり、今まさに朽ち果てようとし、半分はここで暮らしを立てているらしき模様。道下の物置の屋根で、にゃ~が二匹、木陰を利用してまったりと涼んでいた。

 

 集落のはずれには、さまざまな祈りの神々が祀ってある。曰く、馬の水のみ場(馬に感謝して)、曰く、虫歯の神様、耳の神様(いずれも、どうにもこうにもならないから、ただ祀って祈るしかなったらしい)。

 昔のことを想像してみれば、いかんともし難き苦痛ありとも医者がいなければ、ただ忍従、ただ我慢、出来ることはひたすら何ものかに祈って快癒を願うこと。これを、素朴すぎらあ! と笑って済ませられるだろうか。

 

 

 神様のとどめは白髭神社。長い階段を上り詰めれば、石灰岩の巨大な岩が社殿を圧し潰さんと張り出している。ご神体はこの岩そのものであるらしい。神様のことはこれっぽっちも知らないけれど、古代の磐座信仰が今ここに生きているらしき気配がする。

境内を画する石灰岩の絶壁は、断層面の大露顕である。高さは約30メートル、横幅約40メートルで、向かって右上から左下に走る擦痕が一面にみられる。断層の規模はあまり大きくないが、このように断層が大きく露出しているのは極めて稀であり、学術上重要である。古代はこの岩壁そのものが御神体(磐座)と見られていたものと思われる。大正15年に都の天然記念物に指定されている。(奥多摩町教育委員会資料参照)

 

 白髭神社から白髭トンネルを越えて、左の山側に食い込んでいく。これまでほぼ平坦だった道が緩やかに上り調子になってきた。山の谷筋に不動の滝が真っ白な泡を立てて落ちていた。見た目も涼しいけれど、冷気がかすかな風に運ばれてきた。

 不動の滝から下っていくと、真正面に現青梅街道がちらりと見えた。が、「むかし道」は左の細い急な階段に続いている。無慈悲な階段をゆっくり、休みやすみ上ると、上で工事をしていた老工夫が、う回路を丁寧に案内してくれた。なんだかこそばゆい。

 

 この先からまた緩やかな上り坂になった。登りについては、ものすごく敏感であって、ちょっとの坂でも許せないのである。許せないのだけれど、そういって威張ってみたところで、登り坂が急に下りになる、などということはない。

 止むを得なければ、泣きながらとぼとぼと登った。途中で痩せ枯れた老婆が鍋を下げて歩いてきたと思ったら、ふっと消えた。寒気がした。が、よく見たら山肌から湧き水がちょろちょろ出ていて、それを汲みに来たらしい。それも老婆でなくて男だった。

 

 ほどなく舗装の道から山肌の藪道になった。そしてこの道は、かって小河内ダム建設の資材を運んだであろう、鉄道の残骸が残されている道であった。暗黒の口を開けて不気味にたたずむトンネル、崩れ落ちそうな鉄橋、赤さびたレール・・・

 

 そうして奥多摩駅に戻ってきた。

 「奥多摩むかし道」10㎞。

 奥多摩の昔の暮らしを偲ばせる道。

 

 

てなわけで、動画練習第二弾、

 

 
 動画は画面の中の何かが動くものであって、
 動かぬ景色をカメラを動かして撮るものではない、
 ということがしみじみ分かった、練習。