doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

狭山丘陵の初夏

 

 

 狭山丘陵は関東平野の西端にある。

 まるで平野の海の中に浮かぶ孤舟のように、ぽつんと取り残された丘陵の切れっぱし、どのような力が作用してこのよう地形が作られたのか、それが分からない。しかしこの丘陵には、村山貯水池、山口貯水池など実に重要な施設が存在している。

 

 さらに公園や杣道が整備されていて、遊び場としてもなかなか楽しい。今回は「都立野山北・六道山公園」の里山民家をメインにして、丘陵を横断する計画だ。里山民家は丘陵に入り込んだ谷地の入り口に、古民家を移築したもの。

 

 古民家の後ろの谷地は、かって奥の方まで田んぼだったが、いつしか耕作放置されて荒れ果て、それを都が公園に指定し、保全地区として里山の形を整えた。今は大勢のボランテアさんが、田んぼを作り、里山を整備し、古民家を保全している。

 

 

 瑞穂町の箱根ヶ崎駅で下車。駅舎は真新しく、八高線にあるまじき近代的なデザインで、駅裏の畑が大整備されて田園住宅地に変貌しつつある。個人的にはあまり現代的にならないでほしいけれど、じゃあ、お前ここに住め、と言われたら困窮する。

 

 

 先ずは近くの圓福寺へ行く。堂々たる姿の楼門を入って、美しく掃き清めたられた静かな境内で一服する。本堂の前面に大きな鉢が並んでいて、蓮の葉っぱが伸び出していた。ところどころに植えてある木の若葉が、逆光に煌めく。

 

 

 丘陵の麓を通る道を、東に歩く。薄曇りの空だが、空気は梅雨が近いからどんよりとして重たい。なるべく車が少なそうな道を選んで、しかし丘陵の中まで入らないように辿っていく。何気ない道端の蔵の白壁が眩しい。

 

 

 阿豆佐味天神社まで来た。風変わりな名前だが、延喜式内社として由緒古い神社だそうだ。青葉の陰に森閑として鎮まりかえっている。木陰に座って汗をぬぐい、一服する。小鳥の声が聞こえるが、なんという名かちっとも分からない。

 

 

 里山民家への入口の左右に須賀神社禅昌寺が並んでいる。禅昌寺に入る。境内に敷かれた真っ白な砂利が陽に光って眩しい。本堂の前に「合掌一礼」と書いてあるので、思わず頭を下げた。これはしかし、信心があるなしにかかわらず最低限の礼儀だナ。

 

 脇に「少飛の塔」がある。陸軍少年飛行兵の慰霊碑、白御影石でこれもまた眩しい。彼らが学んだ学校は武蔵村山市大南にあったらしい。生き残りの有志がここに慰霊碑を作ったという。国を思う、ひたすなら一途の気持ちだったのだろうなあ。

 

 

 神社の脇を抜けて谷地に入っていく。間もなく左に折れると、葦の茂った池の向こうに里山民家の大きな茅葺の屋根が見える。今日は平日だからあまり人がいないらしい。山すその駐車場に車が少ない。休日には子供たちで賑わうのかもしれないが。

 

 

 簡素な門をくぐると、前庭が白々と白茶けて広がり、母屋の軒の下に二人の老人の姿が見える。この家を管理維持しているボランテアだろう。ボランテアさんも追々齢をとって来て、老人ばかりになる。その後を引き継ぐ人はいるのだろうか。

 

 

 母屋の脇には、作業小屋や便所、土蔵などが別棟で建っている。土蔵の白壁が目に沁みるように白い。それにしても大きな家だ。母屋といい、庭といい、今の住宅とは比較にならない。気分がゆったりする。母屋には立ち寄らず、裏側に廻った。

 

 

 裏側からずっと奥の方まで谷地地形の里山が続いている。手前には草地が広々と広がっているが、昔は田んぼだったのではないかと思われる。草が一度刈り取られたらしいが、シロツメグサがまた花をつけて並んでいた。

 

 畔のような草の道を奥へと辿っていくと、小さな田んぼがあった。水が張ってあるだけで田植えはまだのようだ。もう少しすると、近所の小学生が集まって来て、賑やかに早苗を植えるのかもしれない。早苗のそよぎを見たかったので、ちと残念。

 

 

 木陰のベンチで休憩。風が心地いい。頭の上でガビチョウらしき小鳥がやかましく鳴いている。目の前を白い蝶がひらひら飛んで行く。前の田んぼの上でトンボがホバリングしている。だが、こっちの動作がのろっぺえだから、写真は一枚も撮れなかった。

 

 田んぼの向こうの畔を、高校生だろうか少年がふたり歩いている。水生昆虫でも調査に来たのかもしれない。このあと道で出会った人は、つば広の帽子に長いレンズのカメラ、肩にフィールド画版を下げた、いかにも研究者らしい出で立ちであった。

 

 

 奥へと進んでいくと、様々な花が目に付いた。草の中でチカリと目を射るヘビイチゴの実、風に揺れるハルジオン、タツナミソウに似た青い花コオニタビラコらしき花、それからまた露ほども名を知らない花

 

 



 少しづつ高度が上がってまた田んぼが現れた。今度のは少し大きい。大人が本気で植える田んぼかな、と思ったが、田植えする大人のボランテアはいるのだろうか。どこかで鶯が、ケキョケキョーと大変へたくそな鳴き声をした。



 道が階段になって、その先はもう尾根に出るらしい。階段をヒーコラ登って尾根道に出た。幅2mぐらいの舗装道である。緩やかに弧を描いてなだらかに続いている。楽ちんである。鼻歌でもぶちかまそうかと思う。

 草原があったり、そこにベンチが並んでいたり、まったく自然公園らしき一角があった。案内板を見ると近くに展望台があるというので行ってみることにした。展望台は煉瓦の3階建て、屋上から眺め下ろすらしい。

 

 

 展望は森の頭越しに福生あたりの地上が見渡せた。しかし霞に茫々と煙って、なにがなんだかよく分からない。それよりも、足元に広がる青葉の森がとんでもなく美しく見えた。桜の木に実がいっぱいついて色づいている。風が爽やかに通り抜ける。

 

 下に降りて草原のベンチで、遅めの昼飯にする。もうこの先には、いやらしい上り下りなどはない筈で、こころ穏やかに、ゆるゆる握り飯を食った。気分的には今日はもう終わったようなものだ。

 

 

 それから出会いの辻というところに行き、ここからまた山道に入ってウソのようになだらかな高根山遊歩道を下る。両側に木が生い茂って木陰となり、またうっかり鼻歌が出そうになった。少し下りになったなと思ったら、高根山公園である。

 

 

 そこからすぐに地上に降り立った。ずっと先の方に見える丘は、埼玉県との境の丘陵、その向こうの北斜面は狭山茶の産地、見渡す限りのお茶畑、という感じで死ぬほどのお茶が栽培されている。

 

 さて当初の予定を変更して、瑞穂の街を突っ切って、西に縹緲と広がる畑をみようと思い立った。住宅地を抜けていくと、後ろから眼鏡をかけた小学生の女の子がきた。道は街道に突き当たり、車が多くなかなか渡れない。5分程もかけてようやく渡ってきた。

 

 

 だんだん住宅が途切れて、畑が広がってきた。なんとまあ、一面の茶畑である。瑞穂町、お前も茶畑か! と思った。しかし狭山丘陵まで続く、見渡す限りの新緑の茶畑はとても綺麗だ。でもこのところお茶を飲まなくなったなあ。

 

 

 畑の中の道を歩いて、上から陽に炙り尽くされ、急激に疲れがでてきた。足をずるずる引きずる始末である。いろんなところが弱くなった。坂道は上り下りともダメ、日光に焼かれるのもダメ、酒でさえ弱くなったしなあ。

 

 最終目的地の狭山ヶ池まで、あともう少し。ズルズル、ハアハア、よたよたと歩いて、それでもまあ、狭山ヶ池到着。一も二もなく、まずは休憩。水面を渡る風が涼しい。向こうでおっさんがふたり、何か釣っている。

 

 どこから湧き出すのか、池の水がちゃらちゃらと流れている。小学生の女の子を連れたお父さんが、釣りの手ほどきをしている。そうして、日差しはだいぶ弱くなってきた。さあて、帰るとするか、箱根ヶ崎駅はここから近い。

 

 

 

 短い動画「狭山丘陵・初夏」 (BGM、キャプション)

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