doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

梅雨の隙間にそれ行け

 野外を歩いてなにがしかのお勉強をする

 という催があり、参加した。

 

 

 お勉強を教えてくれるのは、30歳台の若い、大学の先生あるいは研究者。老いては若者に従え、という金言があるので素直に従うことにしたのだが、一日目は大雨ざんざん、教室閉鎖のためよんどころなく待機。

 午後になって、雨あがる、となったので教室まで出かけた。先生方が、多少の遠慮を見せながら座学講義、というのは参加者がほぼ爺さん婆さん、ときどき40歳台というメンツのため、遠慮が働いたものと思われる。 

 テーマは「武蔵野台地の自然史」。でもって植生と水と地形。植生とひとの暮らしだとか多摩の水質だとか立川断層と狭山丘陵の地形だとか。先生方は早口、こちらは理解が亀の歩み、周波数が揃うべくもあらざるに、まあ、なんとなく聞いている。

 

 

 さて翌日、昨日午後予定されていた分がづれて、立川断層近くの玉川上水集合。ここの上水流路の不自然な曲がり方は、ひとえに断層の故、と教えられる。ほ~ら、曲がって流れてきてるでしょ、と示され上流が見通せないので納得。

 

 それからここで水質検査。え~と、硬度150、硝酸値2、COD4、・・・なんのこった、と思ったが怒られるので口をつぐむ。なんとなれば、水質と地質担当の女先生は見上げるほどの(太ってはいない)のっぽ、勝負すれば必ず負ける。

 ちなみにもう一人の植生担当女先生は、打って返して中学生のように小さくて細い。これを称して凸凹コンビとなむ、いいけむ。先生方は日ごろ学生相手に教えているのだろう、どことなく、やりにくいなあ! 感が漂っているのはやむを得ざるところ。



 そこから立川断層の、東と西の段差を確認に行く。断層が起るのは、プレートの沈みこみによる圧力からくるのだそうだ。日本じゅう断層だらけなのはそういうことなのか。でもまあ、今度動くとしても何万年、何十万年後、いま断層の上に住んでいたって、その点心配しなくていいよ、と教えられるが、でもなあ!

 立川断層を境にして、東側が隆起、そのため道路が坂道になっている。住宅が密集しているところは隣家との境が2mぐらいの崖。断層真上だと知ってか知らずか、な~に、今すぐ動きゃしねえよ、と悟りの境地か。

 


 ここまでで午前の部終了。午後は狭山丘陵の最寄り、箱根ヶ崎駅に集まれ~ってんで駅到着。駅前ロータリーに馬の助がひょいっとこっちを覗いている。この場所が昔の宿場の中心で、馬の水飲み場があったからなんだそうだ。昔の宿駅今も駅。 

 

 

 全員集合完了、近くの狭山ヶ池に行く。ここでも、のっぽ先生の水質検査、池は湧き水主体だからきれいな筈、とのこと。で、硬度150、硝酸値30、COD2・・・またなんのこっちゃ、だけど、先生が言う。

 硬度、硝酸値がこんなに高いのは解せない、大雨で畑から流れ込み、それで硝酸値が高いのかなあ、と困惑顔。聞いている方はどっちでも分からんチンだから、そんなに困惑しなくても、と思うのだが、先生としてはそうはいかないのだろうなあ。

 

 

 気を取り直して、狭山丘陵の上にエッチラオッチラ登る。途中の切り株にびっしりとキノコ状のもの。ナントカ(忘れた!)という、腐生菌なのだそうだ。かくのごとく昨日聞いた授業の中身は、飛ぶ鳥の如くどこかへ行ってしまった。

 これじゃなあ! 覚える前に忘れるんなら、初手から覚えない方がましだと思う。だからこの頃は、忘れる前に覚えないようにしている。覚えなければ忘れないから、教える方、教わる方、どちらにとっても幸せである。

 

 

 頂上の開けた場所から下界を眺める。のっぽ先生の話。この狭山丘陵は、40万年前頃の古多摩川が頂上付近を流れていた。向こう側の住宅のすぐ上に見える、草花丘陵、霞丘陵も同じでき方をしている、だから頂上付近がずうっと平らで同じ高さだ。

 なるほど同じ高さで続いている。ということはだよ、このあたり一帯が大昔は皆同じ高さで、その上を水が流れていた、が、なんでかわからないが、ある時多摩川がほかの土地を削りに削って、この高低差を生んだわけだろうか。う~む、信じ難し。

  

 

 信じるものは救われるのだろけれど、小さい少女先生からまた不思議な話を聞いた。先生は近くの枝をやおら掴んで、ほらこれが虫こぶです、植物に虫が寄生して植物の遺伝子を操作して、こんな形に変形させるんです。虫こぶを作らせる虫(昆虫)は幾種類もあります。それぞれ寄生する木が決まっているようです。

 やや、これはしたり、いままで葉っぱが変てこりんになったのは見たことがあるけれど、虫が操作していたとはつゆ知らず、植物の病気かなにかだとばかりお思っていた。やはりお勉強はしてみるものである。

 

 

 別な場所でのっぽ先生の解説。この地層を見ると、上側の泥の中にこぶし大の丸い礫が入っているのが確認できますね。これが狭山丘陵のてっぺんを古多摩川が流れていた証拠です。下層の茶色い部分は海の堆積層です。海だったんですここは。

 うへえ~、こんな歴とした証拠を見せられちゃあ、信じないわけにいかんがな。写真じゃよくわからないが、確かに礫が混じっているし、下の茶色い層は縞模様が見え、堆積された層だとよくわかる。恐れ入りやした。

 

 

 驚いたまま、丘陵を下って里山民家園に行く。ここは昔の谷地田んぼであって、今はボランティア管理の公園、移築された民家の裏側に、湿地、田んぼ、里山が残され管理されている。懐かしい風景。

 

 

 里山の林の一角で小さい少女先生の話。この林は人の手が入っています、適宜樹木が伐採され、林床が明るくその下に陽樹が育っています。このようにに手入れをしないと林はたちまち繁茂して暗くなり、笹ぐらいしか生えてきません。木の下に落ち葉を集めた堆肥を作ってあります。

 素人目には歴然とした違いの判別は難しいけれど、たい肥を作る囲いがあるのはよくわかった。昔の人は、自然を深く理解し、なんでも手入れ、手入れで寸暇を惜しまなかったんだなあ、遅まきながら感心した。

 

 

 さてさて、夕方になってここで解散。大変お勉強になりました。

 だが、待っているのはレポート提出、どうする!?

  なんたって自慢じゃないが、な~~んも覚えていない。