doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

多摩丘陵うおうさおう(続)

 

古道といわれる布田道を小田急・黒川駅から小野路まで歩いた。

で、いま小野路宿里山交流館で大いなる昼飯を喫している。

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                              (画像は町田市観光協会から拝借)

 

 里山交流館は、休憩、昼飯(他の人は蕎麦を食べていた)、カフェ(コーヒー)、宴会?(ビール、座敷)、展示場、中庭休憩、と施設は充実している。ハイキング中の中高年が4,5組、おとなしく食事又は休憩中、その中で侘しくコンビニおにぎり。

 中庭に燦々と陽が降り注ぎ、茶色に枯れた芝草が眩しいほど照り返して、早春の陽ざしはこれでなかなか強い。しかし風がいくぶん冷ややかなので、大汗をかくには至らない。午後からもそんないい陽気の中を歩き倒そうと思う。

 

 

 交流館の隣に小野神社がある。この地は鎌倉街道の重要な中継地であり、小野篁の子孫が篁を祀った神社である、と説明板に書いてある。まずは恭しく参拝し、この後丘陵の中で、どこかへ迷い込んで行方不明になることが無いよう、よろしくお願いしよう。

 石段の下に、午前中に汁守神社で見たものとおなじような、武骨な石碑があった。こちらは「地神塔」と、やっぱりふてぶてしく彫ってある。これが土地の神様を祀るこの地域の形式なのだだろうか。素朴で武骨で力強くてステキです。

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 石段を登った拝殿で、祭神であるところの篁君にお願いした。われをして道に迷わしめることなかれ、願わくば今日一日無事であらんことを、あーめん。篁神様が聞き届けてくれたかどうか保証はないが、これでひとまず安心である。

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 さてこの神社の脇から丘陵に分け入って行くのだが、ここはとりあえず交流館でもらった地図を参考にしたいと思う。神様にお願いしたのだから安心なようなものだが、念には念を入れよ、というのが我が家訓である。(歩いた道筋はどれだか分らん!)

 小野神社の脇から丘陵里山へ通じる道は、なんと、けしからぬことに三方に分かれているではないか。右手の道は丘陵に向かってぎぃ~んと登る、ひーひーはぁはぁコース。真ん中は平らで萬松寺というお寺に行く。左は分からんところへ行く。

 

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 断固としてひーひーはぁはぁコースを避け、真ん中を行くことにした(軟弱の極み)。萬松寺からハイキングコースに抜けられそうである。案の定のどかな道であった。梅の下婆さん井戸端とき移る、という光景である。

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 萬松寺まで来たが、なんだかお墓の宣伝ばかりが目立つ。ひとまず本堂を見て、上のハイキング道へ出るべく、脇をぐるりと登ってみたら、小さな畑があって少年と母親が握り飯を食っていた。抜け道があるのか?

 行き止まりです、どこへも抜けられません。上の道だったらお墓を行けば出られます、との返事。で更に登ってみたら、木立の薄暗がりに陰気な墓が数基ならんでいた。幽霊が出そうだから、他に道はないかと探し回るが、無い!

 さっきの言葉は、お墓の周りを行け、なのか、お墓を突き抜けろ、なのか。そこを悩んだ。ほかに道はないのだから、諦めて暗く湿った墓場を突き抜けた。そして土手を登ったら、山道がそこにあった。やれやれである。

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 獣道のような細い道を闇雲に進んでいくと、見晴らし広場に出た。周りの樹木を切り払って眺めを作り、ベンチなどが置いてある。サイクリングの人が登ってきている。この人たちは自転車をこいで、地の果てまでも行くらしい。

 これでコースに乗ったようだから大いに安堵した。向こうのベンチで爺さんハイカーが何かもぐもぐ喰っている。陽は余すところなく照らして微風が吹き流れていく。遠く春霞が靄って、見晴らしだけれど見晴らせない。

 

 

 十字路を少し北へ入ってすぐ脇道にそれた。ここもまた、赤土がむき出しの山道。ほどなく左に視界が開けて紅梅、白梅が美しく畑を囲んでいた。誰もいない山の中で黙って咲いているが、畑に来たお百姓さんが、時折腰を伸ばして眺めるのだろうか。

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 そこを過ぎて下っていくと、ぼろぼろの案内標識があった。目的地は大泉寺だから小山田方面に進路を取る。さらに下って、「奈良ばい谷戸」の頭に出た。奈良ばい谷戸とは妙ちくりんな名だが、この奈良ばいの「ばい」とは何ぞなもし。

 名前はへんちくりんであるが、大変に長閑な眺めである。両側を里山丘陵に挟まれて畑や田んぼがずっと下まで、段々に連なっている。季節の移り変わりに見せる美しさが容易に想像できる。市民が寄ってたかって維持管理している保全里山だという。

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 炭焼き小屋が風景の点景となって、牧歌的な雰囲気をいやがうえにも醸し出す。どの斜面もなだらかで緩やかな線は、あたかも女性のように優しい。こんな景色に包まれていれば、人は否でも応でも豊かな気持ちになれるだろうなと思ったりする。

 

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 田んぼの脇道をご夫婦が仲良く肩寄せあって歩いてゆく。この光景の中では、夫婦げんかのしようがないのかもしれない。いや、失礼、もともと仲がいいのだろう。けっして自分を基準に考えてはならない。自分だってこの風景に中では、うにゃむにゃ?

 

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 奈良ばい谷戸を抜けて車の通る道路に出た。向こうの山影に白山神社の鳥居が見える。大泉寺に行くにはここからまた丘陵の襞に突入する。その細道へ入ると、目を奪うほどの枝垂れ梅が陽に輝いていた。

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 道は屈曲しながら登っていく。春めいて畑を耕す人のあり。お城のような構えの大きな瓦屋根のお屋敷がある。先の方に白い梅が咲いている。こういう道は、この先どう展開するのか胸がわくわくする。こういう症状は細道病か。

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 そうして梅が花咲く道を下っていく。とんでもなく広い庭の畑でお父さんが木の選定をしているのだが、裸木の陰で見えない。赤い梅の花だけを春の便りとし、先を思い、目的地、大泉寺へ向かう。

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 大泉寺は長い参道の奥にある。参道脇には上根神社という社もあるし、観音堂も聳えている。そして優雅な曲線の山門に至る。山門の奥は杉木立で深山幽谷の気配が漂っているが、本堂はコンクリなのでいささか味気ない。

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 味気ない本堂ではあるが、4体の羅漢が睨んでいる。この付近は土地の豪族、小山田氏の城があった場所だという。城址はこの裏山らしいがそこへ行く道が分からない。ネットによれば、城址にこのような羅漢様がむらむらと置いてあるらしい。

 羅漢と睨めっこしながら大休憩とする。今日は陽よりも良くてほんとに楽しかったなあ。多摩丘陵の町田側北部には、このように昔ながらの手つかずの里山が残されていて、その間を谷戸の細道が縦横に走っている。

 市では、ここを何とかしたいらしいが、願わくば何ともしないでほしい。整備された公園などは、最初のうちだけ、ああいいなと思うものの、長い間に飽きてくる。その点奈良ばい谷戸などは、飽きようと思っても飽きることができない、と思った。

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 さあて、まだ2時半ごろで充分温かいが、そろそろ帰ろうかと思う。これから丘陵をずんずん登って多摩市に入り、小田急唐木田駅に出て多摩センターで乗り換え次もまた乗り換えて、という一仕事が残っている。

 この一帯は東京にあるまじき鄙び具合が残っているから、また出てこようと思う。丘陵の中は、ハイキング! というほど威張ったものではなく、適度の上り下りが続くので年寄りにはちょうどいい。

 大泉寺の脇に一直線に登る自動車道がある。登っていくと丘陵の中ほどで谷が開け幅広い立派な道路が造成されつつある。そこを寡黙にずんずん登っていく。最後の100mは傾斜がきつい。紅梅の林に別れを告げながら多摩市へ入る。

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 手元の距離計による行程は

 小野路宿交流館まで布田の道:約6㎞(2時間半)・・・迷ったし

 小野路宿交流館から大泉寺まで奈良ばい道:約6㎞(2時間半)

 家から駅までを入れた総計:17.5㎞ 

 (意外と疲れたばってん)