doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

谷戸のみち

 

 今月の「歩く会」は、多摩丘陵の一部「町田北部丘陵」。

 隣り合わせの多摩ニュータウンとはがらりと様相を異にして、鄙びた佇が残る。

 

 

 

 10時、集合地の小田急唐木田駅前、初冬の陽ざし燦々として、浮き浮き、にこにこ、16名の笑顔が集まった。晴れ渡った空は、なによりも人を笑顔にもし元気にもする。こりゃ、今日いちにちの楽しさを保証するもんだナ。

 

 マンションや華やかな商店が林立する駅前から、緩やかな上り坂を大妻女子大キャンパスへと登ると、そこが多摩ニュータウンと町田北部丘陵の尾根になっていて、向こう側は一変して、樹木の多い静かな谷戸が町田市街へと下っている。

 町田市の北部は、多摩ニュータウンと打って変わって住宅開発がなされず、雑木が生い茂る昔ながらの丘陵地がそのまま残され、その中にいくつもの懐かしい谷戸の風景が見られる。今回はその谷戸を歩くのだという。

 

 

 早速そんな谷戸のひとつに入った。細道の脇に田んぼが残り、刈入れた稲束が稲架に干してある。大根の畑が美しい緑を見せ、周りを囲む丘陵の雑木林が茶色や黄色に染まり始めている。ああ、いい眺めだなあと思う。

 

 今日の案内役は女性のSさん、彼女はこの近くに住まい、地域の古街道を探りそこを歩くという「古街道団」に所属していて、このあたりの地域なら蟻の穴まで承知しているという、小さくて可愛いけれど、強者でもある。うってつけの案内役である。



 その次は谷戸の反対側に回り込んで雑木林に入り、窪地のどこからか滲み出した水が細い流れを作って池に溜まったという「トンボ池」に行く。山に降った雨はきっとどこからか湧き出し、それが集まり集まって川となるが、その初源の水を見るのだ。

 湿地帯の葦のような草の中に、木道が整備されている。とことこと下っていくと先の方に12畳ほどの広さの池があった。「トンボはいるかしら」「もう冬だからねえ」「あ、いた、ほらそこ!」など聞こえるが、見えなかったゾ。

               

 

 

 そこからまた坂を上って途中で冬桜の満開を見て、下ってから丘陵麓の「大泉寺」へ行く。お寺の裏山に、この地の豪族「小山田有重」の館跡がある、というので住職の許可を得て登ってみた。尾根道の両側に羅漢さんが並んでいる。

 羅漢さん一体いったいを見て歩く余裕はないが、ずいぶん面白い顔が並んでいる。五百はないかもしれないが、三百体ぐらいありそうだ。尾根道の突端は、ちょっとした広場になっていて、「本丸跡」の標識が見える。

                 

 

 

 大泉寺を後にして、「小山田緑地本園」の山道をひーこら息を上げて登り(これは自分だけだった! 情けなや)、待望の昼飯。町田市街地の眺望抜群、陽はさんさん、コンビニおにぎりだってうまい。女性軍団は工夫を凝らした弁当箱らしい?

 



 楽しい昼飯が終わって、麓の街道から本日の目玉「ならばい谷戸」に入る。かなり大きな谷戸の脇道を緩やかに登る。谷戸の中ほどに刈入の済んだ田んぼがあり、その下で草刈りをしていた。ボランティアの人だろう。ハイキングをしている人と出会った。

 谷戸のてっぺん辺りでは、これもボランティアの人らしい大勢が「さつま芋の収穫だに」で働いていた。谷戸里山の景観はこのようにして維持されているのだな、と大いに感心した。炭焼き小屋のあるところで、一行大休憩。

 



 谷戸里山の景観、しいてはこの北部丘陵の景観は、もし大規模な開発をしないとすれば、どのようにして守られていくのかの一端を見たような気がする。そこにはたゆまない手入れとそれに伴う労働が必須なのであろう。

 我らは、至って呑気をこいてぶらぶらと巡り歩いているが、若い人たちがボランティアとして労働を注ぎ込まないと、この景観は守れないのだな、と今更ながら意識に叩き込まれたように思う。どうか若い人達よ、この景観を守っていってほしい。

 

 

 この後、「ならばい谷戸」のてっぺんの丘陵地、雑木林の中の道を辿って、小野路城跡の「小町が井戸」なる伝説の湧水を見、それから案内人Sさんの発案でこの土地の名士の自宅を訪ねた。丘陵のてっぺんの僅かな平地に住まっておられる。

 八十歳を超えたと思われる名士は、かくしゃくとした姿で現れ、まずは庭裏のシイの大木の説明をし、上品で小柄な奥さんが絶えず離れて見まもる中、シイの実を訪問者に味合わせ、しだいに、だんだんと案内に熱が入ってきた。

  

 

 はじめ、他愛なきうん蓄話を聞かされるのかとやや警戒していたけれど、その説明談話の面白さ、その陰に見え隠れする謙虚さに、次第にみんなが引き込まれ、最後に表のプレハブ小屋に引き入れられて、一同の目が輝きだした。

 氏は籠の中から土器片を引っ張り出して、「ここの地面を50cmも掘れば、縄文土器が層になって出てくる」とこともなく言い放ち、最後に氏の若かりし頃に取り組んだ「谷戸管理手法による環境保全」なるホッチキス止めの紙片を見せてくれた。 

                



 氏の話によれば、谷戸里山が荒れ放題になってゆく姿を見るに忍びず、縄文から古城址を含めて連綿と続くこの丘陵地の、歴史と植生を含めた景観を未来に残すべく、一念発起したのだという。

 行政に働きかけ、地権者を説得し、荒地を復元する仲間を集い、草ぼうぼうの荒れ地を、少しずつ、少しづつ、従来から伝わる谷戸管理手法を使って復元していき、その輪を広げ、大学の教授が見学に来、そして地域環境保全事業を基軸として地域の活性化 と経済性を高めることを主目的とした『町田歴史 環境管理組合』を設立したのだそうだ。

 これは偉いことだ。他愛なきうん蓄話どころの騒ぎじゃあない。今回の我々「歩き」のテーマをがっちりと掘り下げた話ではないか。われらはちょろちょろと上っ面を見て回るだけだが、その後ろにこのような努力が潜んでいたのだ。

 

 

 一同、う~~むと唸ってから丘陵を降り、バス通りの「小野路里山交流館」にて最後の大休憩となった。ビールもあるがおとなしく(この後があるから)、きれいに手入れされた初冬の、夕方の庭を眺めながら、おやつなどを食べた。

 

 

 そしてバスを待って多摩ニュータウン中央駅に出て解散。もちろんこの後があって、希望者がモノレール駅入り口の焼きとん屋に集合。嬉しいことに焼き鳥でなく、昔ながらの豚内蔵焼きである。芋焼酎のコップが進む、すすむ。

 

 

 地図距離:8㎞と銘打ってあったが、終わってみれば12㎞。

 丘陵地のアップダウンがあって老いの身にこたえた。

 しかしながら、今回思いのほか勉強になった気持ちがする。