doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

丘陵のきらめく若葉に囲まれし

 若葉滴る季節、とあっては歩きにいかなくてはならぬ。

 

 

 

 田舎の細道を歩くが無常の楽しみである。八高線に乗って小さな無人駅で下車、街並みを抜ければ、茫洋と野っ原が広がる。う~~む、胸の中がぐい~んと広がる心地ぞする。ごちゃごちゃした街中では、こころもごちゃごちゃ、だからこういう所がいい。

 

 

 道端になにげない素振りで道祖神。浮彫の仏の顔も文字も判別つかぬほどの昔から、土地の人々により大切にされてきた、その俤がにじみ出ている。信仰、何事かを祈ること、そういうものを、どこかにぶん投げてしまった不埒者は暫し佇む。


 

 畑道の脇にはここを先途と野草が咲いている。セリバヒエンソウ、アメリカフウロ、そうそう、ナヨクサフジが実に旬、よく見れば美しい花だった。どこからか、かすかに藤の香りが漂ってきた。季節は一気に進んでいるらしい。

 古き家々は離れてぽつぽつ、更に歩く人とていない。春の野辺はことの外のどかであり、時間は進むことを放擲した如く、ぴくりとも動かざる如し。ただひとり、自分だけが野道を横切っていく。もう一歩進めば、ほいとにしかざるや。 

 脇の小川をのぞき込めば小魚が群れ泳ぎ、ふてぶてしい黒い鯉がガポリと水音を立てる。お玉はとうに蛙に変身したのかどうか。風がさらさらと吹きすぎて、初々しい若葉の緑の匂いがした。

 

 

 鎌倉街道の跡だという細道に入る。幅2mほどの砂利道が細く林の中に分け入っていた。当時、苦労して開いたであろう、せっかくの道をどうして廃棄してしまったのか、いつもながら不信を抱く。

 たぶん長い時の間に、村々の盛衰もあり、それをつなぐ道も自ずから違ってきたのだろうか。栄枯盛衰、世の習いと言うけれど、なにもかもが移り変わっていく。たぶん東京などはそれが著しくて、うっかりすると目まいがするかもしれない。



 林の途切れた場所から向こうの畑が見える。さあ、いつ夏が来ても大丈夫だ、準備はおさおさ怠りなかるべし、という具合にきれいに耕されている。なにが植えてあるんだろう、ひときわの緑が美しい。

 その先の、林の中に点在する民家の按配もなかなかいい。のどかを絵にしたらこんな景色ができるのではないかと思う。この眺めを惜しげなく打ち捨て、人工的な花畑などに人が集中するはなに故か、とんと合点が参らぬのである。


 

 鎌倉古道は続いているが、途中に民俗資料館があり立ち寄ってみた。展示を一渡りぐるっと眺めて、庭の木陰で休む。風が心地よく吹き抜けていく。里桜が若葉を茂らせて、それでもまだ花がついている。その花びらがちらちら風に舞う。

 ふと見ると何か土盛りのようなものが目に入った。説明板を見ると、この地方の古墳群のひとつをこの場所に移設したのだそうだ。小さくて可愛らしい古墳、どなた様が祀られたか知らぬながら、遠い遠い親戚のような気がする。

 

 

 鎌倉古道に戻っていくと、鬱蒼とした林の中にか細く続いていた。この古道は試掘調査で幅5mに側溝がついていたというから、現在の道はその半分ほど。周りの雑木林の若葉が日差しを受けて、きらきらと煌めくように見える。

 その若葉の煌めきを惜しむようにしてゆっくり歩いた。若葉の季節も花の季節同様、ほんのひと時、たちまちにして緑が濃くなり、ふてぶてしき厚顔に変容、なにごともその一瞬がとても貴重、一期一会なり、だなあ。

 

 

 なるほど脇の林の中に先ほど見たような土盛りがあちらこちらに見えた。古墳だろうけれど、こんなに仰山あるのか、と驚く。説明板ではたしか7,8世紀のもの、とあったから、奈良時代の首長クラスの墓だったのだろうか。

 思うにこのころ、都の貴族はひたすら遊んで暮らし、地方のこのあたりの農民はひたすら汗水たらして働き、なんのいわれなき税を、遊んでいる貴族のもとに召し上げられた。理不尽なり、納得しがたきなり、だから京都の貴族は好かん。(古い昔をネに持って)

 

 

 鎌倉古道跡の道が尽き、川沿いの車道に出ると、そこに県指定文化財「延慶板碑」があった。車道から少し入り込んだ、これも林の中、3mほどの堂々たる板碑が天を指している。説明板には穿たれている文字の説明しかない。

 なに様がなんのために造立したのか、何も語らず。ただ碑面に造立理由が書いてある由だが、これが漢文、読めっこないのだった。われの如く教養なきものにもわかるように、当局の優しきこころ遣いを乞うもの也。

 

 

 さてそろそろ駅方面に向かわねばならない。初めて歩く道に入る。こういう時はなぜか大いに嬉しい。この先にどんな眺めがあるんだろうと、自ずから胸が高まる。踏み込んだことのない土地に分け入っていくような静かなる興奮と期待。

 道の片側がどば~~んと開け、田んぼの先に黒い森が連なっている。よき眺めじゃ。黒い森も、緑鮮やかな雑木の森も、遠くに見える民家の屋根も、みんないい。青く沈む山並みだって申し分ないのだ。

 あの先のずっとずっと向こうには何があるのだろう。と思わず妄想したくなる。「分け入っても分け入っても青い山」という句があったが、進んでも分け入っても若葉の森、ならば嬉しい。・・・けど駅へ向かわねば。

 

 

 

 川沿いの土手の上で休む。わずかに風が吹いている。優しくなった陽ざしがちょうどいい。向こう岸でアオサギが鋭いキリのような目で川面を凝視している。今日一日が終わろうとしている。なにも生産しなかった。握り飯を消費した。

 街中を通って駅に出、蕎麦屋で一杯と思っていたが、なんと! 蕎麦が無くなっていかんともしがたし、とのこと。ついてないナ、と思ったけれど、今日の一日が大いに楽しかったので、そんなものだと思って電車に乗った。

 

 

 若葉の季節の一日さんぽ、かくの如くにして終了。

 次は何の季節だろう、雨の季節? これは勘弁。

 総歩行距離、約17㎞。どっとはらい