doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

玉川上水てくてく

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 今回は多摩川の土手歩きじゃなく、趣向を変えて玉川上水だゾ。

 羽村の堰から5,6㎞下流、住宅の中を貫流する玉川上水の、その岸辺を歩いてみようと思う。住宅の中と言っても、むき出しの川辺ではなく、木や草が生い茂っていて上空写真を見ると、緑のベルトとなって灰色の住宅地を切り裂いているように見える。

 

 

 とりもなおさず、どんぶらこ(あるいは、ちゃぽちゃぽ)と流れる川面にご挨拶。両側に遊歩道や小道があるから車の煩わしさは、ほぼ無い。さながら林の中を歩く如しであるので、まあ散歩にはうってつけだ。

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 しかし、何度考えても、どう考えてみても玉川上水は偉大だ。もしこれの開削なかりせば、多摩地方は近代にいたるまで縹緲たる草の原野であり続けただろうし、お江戸百万の都市も生まれなかったのじゃなかろうか。

 この開削を実現せしめた江戸の人々の、目の付所、その測量・土木技術、困難を克服するど根性、どれをとっても、う~~ん、すげえ! と驚嘆せざるを得ない。しかも江戸初期(1653年)のことであり、延長43㎞、標高差わずかに100mなのだ、むむ~~!

 

 

 

 さて、それはともあれ、上水の遊歩道を辿る。川岸との間にはずう~っとフェンスが張ってあり、フェンスと流れの間は林であり草地であるので、まるで自然の中を歩くようだが、外側に目を向ければこまい住宅が密集し畑が続いている。

 まずは、「草ぼうぼう公園(かってに名づけた)」に入る。ここは終戦まじかに立川飛行機(軍用機制作会社)が滑走路拡張のため、上水の上にふたをしたのだ、ということを何かで読んだことがある。 歳月は飛行場も基地もお払い箱にして、夏草が生い茂るのみ(夏草や兵どもの。。。)。右側の低い木柵の向こう側に上水が流れているはず。 

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  「草ぼうぼう公園」のベンチで一服、散歩の人がちらほら通り過ぎる。およそ300mほどの公園を通り過ぎて橋がある。橋の脇から砂川用水が分岐している。貴重な水だから用水には流れていないだろうと思ったが、どっこい、土管から流れ出していた。

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 この用水は、しばらく多摩川上水と並行して流れ、そのあと五日市街道沿いに流れ下って、立川市砂川へと達している。その辺りは江戸時代に、野村氏(のち砂川氏)が砂川(現残堀川)を飲み水として、武蔵野の原野に初めて畑地を切り開いた場所。

 しかし砂川は当時でも微々たる流れに過ぎず、いったん開拓を断念、後この分水ができてから再度子孫が開拓し、砂川一帯に村ができるようになったのだという。いまでも五日市街道沿いに砂川氏の豪壮な屋敷が残っているので、立ち寄ってみようと思う。

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  さあ、気持ちの良い上水沿いの小道に来た。左手の草原の外側が玉川上水、右手の柵の脇に砂川用水、頭上には滴る緑。初夏のころ、萌え出した木々の若葉がきらきらと陽に輝いて、その風光、言わんかたなし。お気に入りの小道。

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 さらに、こんな道もある。左手の上水の縁には江戸時代以来かと思わるほどの大きな木が茂り、その下に土の道ができる。脇に舗装道があるけれど、人は土の道が恋しい。茂りあう緑の葉は、夏の緑陰。

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  しばらくはこんな道をてくてく。で、どんと出ました、玉川上水、残堀川直角交差。なんとまあ、流れる玉川上水が地下に潜って伏せ越し、流れ無き残堀川が威張って上を行く。残堀川(もと砂川)は立川断層に沿って流れたいたものを途中からくにゃりと曲げられ今の姿に、河川をあまり弄ると罰が当たるぞなもし。

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                                      玉川上水潜るの図 

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 残堀川威張って上を行くの図                       玉川上水顔を出すの図

 

 

 ちょっと下ると例の砂川家の屋敷に着いた。この一角(現在公園、野球場などあり)全部砂川家の田んぼだったと聞く。とことこ歩いて五日市街道まで、見上げれば長い長い屋敷林が頭上に。すげえ! 森の中みたいだ!

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 手入の行き届いた砂川家の門前に佇む。そしてそろりと中へ数歩。立派な門が今に残る。で、貧乏人はこう考える。これだけの屋敷の、これだけの樹木をきれいに刈り込んで維持するのに一体如何ほどなりや。自分だったら即破産だあ!

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 そして門前に砂川用水の流れがさらさらと。あの分岐点からここまで、残堀川を金属性の架け橋で越え、五日市街道を暗渠で流れ、よくもまあここまでご無事で(もっとも、この付近の玉川上水からも取水しているかも?)。

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 おもしろいことに、実はこの近くに立川断層が走っている。それが玉川上水の流れにも、そしてその縁を巡る小道にも目に見える形で表れている。上水の流れがこの場所でくにゃりと南側に曲がっている。不自然な曲がり方で、むむ、何かあるな? と。

 

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 玉川上水は、まっすぐ進むと断層の隆起面にかかってしまい、それでグイっと南側に曲げてある、と聞いた。上図は残堀川を赤線で東南に延長して上水の曲がり角に合わせたもので、このように断層が走っている、と思われる。断層の右側即ち東側が隆起し西側との差が1~2mある(これは現地を「探索する会」で現実に見た)。

 

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 そして上水の曲がりに沿って道も少し上りながら右手にカーブする。これが立川断層が地上に見せる地形なのだと教えてもらった。しかし、上水を開削するに関し、どうして真っ直ぐはだめで、すこしだけ南側にずれれば問題ないないのか? これは謎だ。
  

 

 さて今度は上水の左側を歩く。土の道で柔らかいから歩きやすい。フェンスの右手に上水は流れている。川との間は草が茂っている。ところどころにヒガンバナの、繊細にして、また魂消るような鮮やかな花が目立つ。

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  かくの如くにして、西武線玉川上水駅に到着。上空にモノレールの線路が見える。モノレールはここから北へ2㎞ばかり走って狭山湖の麓近くまで、南は遥か多摩川を越えて多摩中央駅まで、多摩を南北に繋いでいる。

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  玉川上水駅のちょっと下流に「小平監視所」なる水道施設あり。監視所とはこれまた監獄じゃねえんだぞ。実は羽村から延々と流れ来たった多摩川の水は、この施設で根こそぎ東村山浄水場へ送られてしまうのだ。(一部だけ小平用水に送る)

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 その諸施設の稼働を監視する「監視所」らしい。玉川上水の水を沈殿池でひとます綺麗にし、しかる後、東村山浄水場で水道水に仕立て上げるのだろう。考えてみると、東京の水道は、利用できる水をなりふり構わず利用し尽くして成り立っているらしい。 

 

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 するってえとなにかい? この下流玉川上水に水無してえことかい? いや、それがあるのだなあ、エライ経費をかけた黄金の水が。実はこの下流野火止用水とにここで分れて、それが注ぎ込まれている。しかも「清流の復活」と銘打って。

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                                       玉川上水下流

 

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                            煉瓦畳の下を野火止用水、遥か埼玉県へ

 

 

 では、玉川上水下流へと参ろうか。川面がなぜか貧弱になったのはむべなるかな、黄金の水は量が少ないのだろう。太宰治が亡くなった流れとはとても思えないが、時移り世が変われば、玉川上水だって変わるのだ。

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 ふわふわする土の道を歩く。周りに相変わらず木々が茂り、上水の川っぷちは草原、その中に白いヒガンバナを見つけた。暗い草むらに浮き立つように白い花びらが浮かびだす。すっと伸びた長い蕊がとても繊細で細工物のように見える。

 このあたりには、朝鮮大学、創価高校、白梅短大、武蔵野美大などが固まっている。だからだろう、上水の小道にも若い男女が多く、みな忙しそうに歩いている。今までのと違って、溌剌として湧きかえるような感じがする。ここではマスク必着。

 

 

 だいぶ歩いて小平中央公園に到着。今回はここを終点にしようと思う。午後3時ころでまだ早いけれど、もう25000歩になった。小高い塚の上で若者がギターを弾いて歌を歌っている。聞きなれない歌だが、ギターの響きが心地よい。

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 公園の運動場には元気な子供たちがサッカー。ギラギラの夏が過ぎてスポーツにいい季節になり、玉の蹴っ飛ばし甲斐も十分なのではないか。歩いてもあまり汗をかかなくなったし、いい季節到来なのだが、コロナの奴がなあ!?

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 公園を抜けてまた少し歩いて西武線小川駅

 蕎麦屋なし、だから素直に電車に乗って、

 結局のところ、帰宅して久しぶりにウイスキーを。

 楽しい一日だった。

 

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