doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

お徒隊さんぽ

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平成お徒隊、今回は北多摩を徘徊。

武蔵野線東所沢駅なる有名でない駅前に集合したのは10名、のんびりしたような顔をそろえた。いずれ劣らぬ駄馬なれど”武蔵野の花を横切る駄馬の列”みたいに駅から南下して大きな街道を突っ切ればすでにして広大な畑となった。

畑の しっとりとした褐色の土が緩やかに波を打って右へ左へはるかに広がる。前は柳青める新河岸川の岸辺、目の前が広々と一気に開けて、思わず深呼吸の一つもしてみたくなる。うらうらと春の日、と言いたいところだが風がまだ少し硬い。

 

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都内はソメイヨシノも散ってしまったようだけれど、新河岸川の堤ではまだ大丈夫。散り始めた花びらの上に先日はボタン雪が重なって舞い降りた。思わぬ寒さにびっくらこいて、急いで萌え出した若草が目に染みる。菜の花畑ではむせっけえるような香りが駄馬の鼻孔をくすぐった。

川の上の空は川に沿ってひょろりと長い。その空を乳白色の薄い雲がふさいでいるが、春の空ではある。雲雀が鳴いていてもよさそうだが、さすがに雲雀は留守のようだった。代わりに川面にアオサギが呆然とか玲玲とか知らないが突っ立っていた。

 

埼玉から東京に入って屋並みの中の細道をぶらりぶらり、そして駄馬駄馬と歩く。東京といってもビルではない、畑の中に民家が続く。畑の間を歩いて突然目の前に富士塚がにゅっと立ちはだかる。下見の時は塚の上に登れたが今日は入り口でとうせんぼ、ガイド氏は、聞いてないよ~! の面持ち。

 

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ま、たかが15mほどの高みに登ったからどうだというわけではないから登らなくてもいいが、ただ江戸時代の石碑やら石造物やらも見られ(”ら”は入れる!)ないのはつまらない。 でも、平らな土地にこれだけの塚を築くのは容易じゃないな、と思う。

富士信仰もさることながら、当時の人だって、なんでんかんでん高いところに登りたがったのじゃあるまいか? そこへ登ってみれば普段見る景色がまるで違って見える、これにあくなき好奇心を抱いてこんな塚を方々に作ったのだ、たぶん!。

 

 

大通りをわっせわっせと歩き清瀬駅を乗り越え商店街の細道を抜けて、縄文遺跡が発掘されたという眺めのいい場所で駄馬様御一行の昼飯。近くに食物屋はないから全員弁当ないし握り飯、その様子を恭しく拝見するところによれば、全員なにやらいそいそとベンチに寄り集まって、じつに楽しそうにかつ旨そうに摂取している。ファミレスなどよりこのほうがはるかに旨いし楽しいに決まっているのだ。 

 

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公園で井戸端会議の花を咲かせたり、野火止用水の縁でセキレイに会合したり、道々の草花の名前を教えあったり、すっかり打ち解けてぐいぐいよろよろ進んだ。そうして江戸時代に設置されていたという、野火止用水に係る復元水車に到着。

「しかし〇〇市はけしからん。水車を復元するのはいいとして廻ってないじゃないか!」「そこへ行くと三鷹市の水車、しんぐるまはよかったねえ、江戸時代と同様動いて粉を挽いてたもんなあ!」確かに、水車の底力を見たように思ったね、あそこでね。

    

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さてまた、わいわい歩いて東村山駅を越え、名刹、正福寺。

地蔵堂は国宝指定、だからかどうかじつに美しいお堂、屋根の反り具合のその曲線のなんとも言えない案配。同行された某先生はこのお堂の魅力に取りつかれたお一人の由。何回も来られているとか。

春の日は長い。まだまだ時間はたっぷりある。大きな本堂の庭の脇の石に腰を下ろして大休憩、それぞれにそれぞれがよもやま話の花を咲かせる。誰からか飴玉なども配られ、春の午後のとろりと時の止まったようなひとときがゆっくりと過ぎていく。

 

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本日の歩行距離は約15kmほどだとか。

”行く春を惜しんで今日の三歩四歩” (駄馬)

  お約束の懇親会は東村山駅でささやか~に。

 

 

 

桜散り雪が舞う

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                        (画像は関係ないけど)

 

桜が名残を惜しんではらはらと散る上から、恐ろしく大きなボタン雪が落ちてきた。

まさかとは思ったけれど、人の思わくなんてどこ吹く風、構わず降ってきた。

 関東で4月の雪、あまり聞いたことがない。

 

雪はひと時で終わって、そのあとびしゃびしゃと冷たい雨が続いた。

真冬でもこんなに寒くはなかったよなあ、と喉元過ぎて記憶も朧だが・・・

寒いと表に出る気がしなくなるから面白くない。

 

 

暑さ寒さで思い起こすのは、ホモサピエンスの適応力。

+50℃~ー50℃まで、100℃の幅をもって凌いでいるらしい。

一体どげな案配に体が調節しているものやら見当も付きかねる。

 

普通の獣はこんな手品みたいなことはとてもできないに違いない。

獣は服を持たないし丸裸にもなれないのだから当然といえば当然か?

それとも進化の末端でサピエンスに備わった能力なのか?

 

 

しかしながら進化の果ての適応なのかどうか、極めて厄介な存在でもある。

平然として、嘘を言い騙しはぐらかし裏をかき押し込めいたぶりそして殺す。

こういうことの無かった時代はいまだかって無かったしこれからも無いだろう。

 

そしてこの裏側もまた存在するらしい。

他を思いやり力を添え慰め励ましかわいがりそして愛し自己を犠牲にもできる。

表と裏が混然とまじりあってその時その時に表が出たり裏が出たりする。

 

だから厄介だ。

 

 

(桜に雪が降る日だから支離滅裂は天気のせい)

 

 

 

さんぽ

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午前中の曇天がだんだん晴れて陽が差してきたので午後から出かけた。

このところ寒さがぶり返して花曇りなどとテレビが言っているが、すこし風があるものの思ったほど寒くはない。毎年桜のころはひどく寒い時があるので、これで平年並みなのだろう。

 

多摩川の堤防に出ると、細長いヘルメットをかぶって体にぴったりしたタイツのような服を着た自転車の人や、ゆるゆると歩みを進める老夫婦や、どこ行くあてもなさそうな若者たちやらがぞろぞろ土手を歩いている。そういえば今日は休日で人が多い。

 

土手の桜(ソメイヨシノ)はまだ4分咲き2分咲きぐらいで都内のように満開にはなってはいない。その桜の枝の奥から思いがけないほど澄んだほ~ほけきょの声が聞こえた。声はよく聞くのだがまだその姿を見たことがない。声にふさわしいきれいな姿をしているのか、声と姿は似て非なるものか一度じっくり見てみたい。

 

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河川敷の公園に来た。きれいに刈り揃えられた芝生の上で幼児がよちよち歩いている。小さなテントがいくつか置いてある。小学生ぐらいの子供がいっぱい駆け回っている。少年野球が試合をしている。家族連れが芝生の上で食べたり飲んだりしている。

風が収まってうらうらと陽が照って汗ばんできた。着ていた分厚いセーターを脱ぐと心地よく汗が引いていく。遠く奥多摩の山々は春霞の中にけぶって空との境がぼんやりしている。芽柳がうっすらと緑に染まって揺れている。

 

 

更に行くと土手の脇に何百本かの桜があり、ゆるやかに曲線を描くその下を大変な数の人が歩いていた。まだ花は2分咲きぐらいだが、桜まつりをやっているらしい。土手の斜面や道路わきで宴会が繰り広げられている。

その桜並木の真ん中あたりに小さな公園があり白い大型テントで埋まっている。その辺りでは、鍋窯を持ち込んで大掛かりな宴席を設けた大事業と、土手の縁に腰を下ろして銘々に焼きそばを食ったりたこ焼きを頬張ったりする個人事業が展開されていた。

 

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桜の土手を過ぎればだんだんと人が少なくなってのんびりと歩く。陽射しが強くなってシャツで歩いてちょうどいい。多摩川の浅い流れがきらきらと照りかえってゆらゆら流れていく。土手の枯草の間から緑の芽が伸び始めた。老夫婦が何かを摘み取っている。

芝生と花壇がある公園で一休みする。この前花キャベツが植えられていた花壇には三色スミレが勢いよく天空に向けて花を開いていた。向こうの雪柳が満開。ここは桜がないからか人はあまりいないが、バーベキューコンロが設備されているところには大勢が固まって飲み食いしていた。

 

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土手の上を歩き続けて羽村の堰に到着。流れてきた多摩川の水のそのほとんどが玉川上水に流し込まれ、ほんの少し申し訳程度に本流に戻されている。玉川上水に入った水は、青く渦を巻き勢いよく流下し、そてその半分くらいはすぐ下流で狭山丘陵の貯水池に送られる。ここでも桜祭りがおこなわれていて人が大勢出ていた。

 

 

さて、今日の目的の半分は羽村駅前の蕎麦屋で盛り蕎麦をつまみながらほんのちょっと酒を飲みたいということ。で、そそくさと蕎麦屋に行ってみたら、昼は3時半まで、夜は5時半からと看板が出ていた。前回は3時半までに入ったらしいから気が付かなかった。今4時ころであり、5時半までは待てない。

 

だから、そのまま帰るかと思えば帰らない。ほんの一杯やりたいと思っていた気持ちはそう簡単に立ち消えになりそうもない。ぶらぶら歩いていたら小さなおでん屋があって営業している。初めてなので当たりの店かはずれの店か解らないからちょっと迷う。

 

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意を決して、入る。(大げさだな!)

細長い店でカウンターが10席ぐらい、奥に小上がりがあるようだ。

入口のすぐのカウンターに座る。目の前におでんの鍋、その向こう側で痩せこけたばあさんが忙しそうに何かやっている。

奥から爺さんがいらっしゃいといったようだが、このばあさんはむっとして眉を寄せ大変愛想が悪い。

3席ぐらい奥に金髪のばあさんが一人座ってビール瓶を前に置いている。ちらりと見るとイカゲソの皿がある。

日本酒と、大根に竹輪のおでんを頼む。目の前のばあさんは愛想が悪いけれどばあさんのお愛想を飲むわけじゃないから構わない。

 

お酒をお代わりして、というのは値段の割に旨かったので、つまみを追加してそうしてだんだん心地よくなってきた。ゆるゆる観察して分かったのだが、不愛想のばあさんがこの店を切り盛りしているらしく、亭主らしい爺さんはばあさんの下働きらしい。

酒もまあまあだったし、つまみもまあまあの味だった。とろとろとこころの奥が蕩けそうになる。春や春ほんの少しの酒もあり、てな気分になってくるが、用心しないと酔っぱらいそうだ。金髪ばあさんはビールを飲んでいるのではなく、焼酎をビールで割ってなめているように思えた。ばあさんが昼間から何を飲もうと許せる気分だ。

 

 今日歩いたのはお昼過ぎから8㎞ほどだけれど、歩いた後の昼酒は大変良く効く。

不愛想ばあさんが必死の形相で、店の味と値段とを守っているらしい小さなおでん屋を満足して出て電車で帰った。

 

 十分に満ち足りた午後。