doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

がんばれ、オヤジ

f:id:donitia:20190713155335j:plain

 

 

忘日も、忘々日も、そして忘々々日も梅雨空、仕方がないからネット逍遥。

ネット上のブログの数に、まあ驚く。どれほどの数なのか想像もつかないけれど、地上の人の数より多くはないだろうとは、ようやく想像できる。ブログを書き、コメントしあい、時に意気投したりして、世の中の人の在り方さえ変えてしまうのでは、と思う。

 

ブログのテーマ(何について書くか)も実に多岐多様に亘っているいるようで、まず日々の食べ物について、がある。これは毎日のことなので、ネタがなくて困る、という事態にはならないに違いない。巧い事を考えたものだ。

趣味に関するものがある。料理、釣り、自転車、車、旅行、登山、ハイキング、和歌、俳句、畑、植物、昆虫、・・・趣味だけでも数えきれないが、その一つ一つに書かれるブログが存在してそうだ。なんという世の中になったんだ!と年寄りはため息をつく。

 

f:id:donitia:20190713220919j:plain

 

その中で、退職おやじが深くふかく嵌まり込んでいるのが、車中泊全国行脚ではないかと思われる。車は旅のあいだ生活の場となるものであり、キャンピングカーだったり普通の車を自ら改造したりするらしい。

これでもって行きたいところへ走り、そこで何事かをしたりしなかったりし、夜は道の駅、公営の駐車場、キャンプサイトなどに停めてしかる後、飯を食いに行ったり風呂に入ったり、驚くのはほぼ毎日車中で自炊したり、そうして朝を迎え、またどこかに流れていく。流れないでお気に入りの場所である期間留まることもあるらしい。

このように車中泊をするに都合のいい施設が全国的に整備され、または整備されつつあるようで、いつの間に!? とこれまた魂消てしまう。食うことについては、コンビニ、スーパーなんでもあって、何でも買えるから全く問題はないように見える。

 

それでこれが退職おやじに大人気であるらしく、退職期限を待ち構えていてその時が来たら、それっ!行けえええ~っとばかり飛び出すようでもある。中には退職を待たずにして、車を改造し整え、中での暮らしおさおさ不都合が無きよう備品を揃え、家族への根回し十分、もういつでも飛び出すべく、その日を待ち焦がれている人もあるとか。

いったい何が、退職おやじをかくの如く駆り立てて止まないのだろう。まず、退職しなければ全国行脚はちと難しい。女性にとってこれは少しヤバヤバだろう。とすると可能なのは男であってかつ退職者ということになる。

 

f:id:donitia:20190713223339j:plain

 

しかしどうも見るところ、男で可能だから、というよりも、男にとってどこかを流離うこと、これが悲願の夢であって、また居ても立っても居られないほど希求して止まないもの・・であるらしいのだ。

それに対し、女性はそれが可能だとしても大部分の人は乗り気になれないらしい。(もちろん個人的には当てはまらないけど)退職おやじが準備万端、さあ、となり、奥様にどうじゃ一緒にと誘っても大体は振られてしまうのだそうだ。かってに行ってよ、というわけらしい。

 

これは如何なる訳のものなのだろうか。確かに「亭主元気で留守がいい」は珠玉の名言であるらしいし、旦那が退職して毎日家にいるのが鬱陶しくて堪らんとです、というのも聞いたことがある。

となると、狭い車の中、もう見飽きるほど見てきた顔がすぐ目の前にあって、それが毎日まいにちであれば、もしかして鬱陶しいを通り越して気が変になりそう、という案配にもなりそうだ。

 

f:id:donitia:20190713225237j:plain

 

  しかし・・・実は、もっと深いふか~~い理由があるように思う。それは、男は一か所に留まらず放浪する動物であるが、一方女性は(巣がある)場所にとどまって動かない動物である、というもの。

 これは神がそのように造り給うたのか、はたまた遺伝子のなせる業なのか、詳らかではないと言えど、男女それぞれの生まれながらであり、決定論であり、個人のいかんともせざるところなのだ。女性がふらふらしていたら子供は育たん、と思うがですよ。

 

かくの如く、男の放浪、女性の停滞、その理由としたるものは深淵にして運命的であり、動かさざるべき真実・・・ってな塩梅になっちゃったけれど、

これでいいんだろうか!?

 

ともあれ、退職おやじたちよ、

男どもの夢を乗せて

車中泊全国行脚、れっつ・ごお!

 

 

 

 

年中行事

                           ウェブサイトより拝借

 

忘日、「紫蘇の葉を毟って大小に分類せしめよ! 」と大本営命令が下った。

老後のこころを安らかに過ごすべく大本営命令には何があっても服従である。もしもこの命令に反した場合、たちまちにして大紛争勃発、以後数日、目も当てられぬ惨状が出来するは必定、触らぬ神に祟りなし、否 かーちゃん命令背くべからず。

 

 

床にどっかりと腰を下ろし、目の前に山と積まれた紫蘇の枝から命令に従って葉っぱを毟り取る。手のひらの半分より大きめな葉っぱはこちら、それより小さい葉っぱはそちら、と毟りながら分類せしめねばならぬ。

目を伏せて口を結んで何も考えず毟る、毟る。昔からこの手の作業が苦手、いつ終わるか見当もつかぬ、何回毟ればいいのか果ても見えず。トンネルの出口見えぬは拷問に等しかるべし。

とは思うけれど、黙々として手を動かしていると、いや不思議なことに山が低くなる。なるや否や無慈悲にもまたどさりと山の上に洗い終わった葉っぱを敵が積み重ねる。鬼いイ~。ここでうんざり顔を見せてはならない。

 

 

これは年中行事というべく、毎年この命令が発せられ毎年これに盲従する。たぶん今年も10日ほど前に紀州から10㎏の段ボールが届いた。この時も大本営命令「梅の頭の黒いヘタを爪楊枝で除去せしむべし」

つまり梅粒の木と繋がっていた部分にヘタが残っているのだが、それはほんの1㎜ほどの点、それを楊枝の先で突いて取り出す作業。これは山のような梅粒を一つ一つ突くことであり、どこまでやれば終わるのか、何粒やればいいのか! 出口見えず。

しかし梅粒が段ボール箱で届き、届いたからにはヘタ取りと紫蘇の葉っぱの分類命令が、下されること必定なりせば覚悟せねばならぬ。今更この命令に異を唱えても後の祭りと心得るべき、なにか言うのは許されず。

そもそも出来上がった暁に梅漬けを食うのは、なにを隠そうこの私だ。やんごとなき高貴な香りが馥郁とし、味わいは奥深い。だいたい年間を通してちびちび食う。経験によれば一番香りと味がいいのは夏から秋にかけてのように思う。命令者はどういうわけか、あまり食わない。

 

 

ものすげ~努力の結果、大きな葉っぱとちびた葉っぱとを分類せしめたり。大きなほうは梅漬けに使う。すでにして10㎏のヘタを取った梅粒は塩水にまみれて桶の中で溺れそうになっている。その溺れそうなやつとこの紫蘇を合わせるのだという。

そのために、毟り終えた大きな葉っぱに軽く塩を振って両手でもみもみするとだんだん葉っぱが纏まってくる。纏まった葉っぱをボール状にしてしばらく見て見ぬふりをし、しかる後にこのボールを力いっぱい、うん! と絞ると黒ずんだ赤い水が出る。

 

 

水けを絞った葉っぱは、次に梅が溺れそうになっている桶から梅酢を取出してそれでよく洗い、それをまた、うん! と 力いっぱい絞ると薄赤いきれいな水が出る。この色がとてもきれいで旨そうで。だが飲んではいかん。

絞った葉っぱを桶の中の10㎏の梅粒の上にまんべんなく乗せて、ハイ作業終了だという。「梅粒の間に葉っぱを均等にまぶしたほうがいいんでねえの」「いいのよ! 毎年こうやってるでしょ、もう、うるさいわね! 黙って言われたれた通りにしなさい! 」悪魔あァ~。

これにて旨い、香り良い梅漬けができるなら邪険にされようが足蹴にされようが我慢のし甲斐があるというもの。夏の終わりごろいそいそと数粒取り出して食ってみる楽しみがある。少ししょっぱいけれど、熟成されて奥深い梅の味と清々しいような香りが口いっぱいに広がるはずだ。

 

 

さて、毟り取った小さなちびた葉っぱはどうするのか。これは丑三つ時、命令者であるお婆が黒マントに身を包み、ちび葉っぱを大鍋に入れとろとろ煮詰める。このときお婆が薄気味悪くにやりと笑って何かへんてこりんなものを鍋に入れるのかどうか、それは知らない。

深夜、イヒヒヒヒと気味悪い笑いを浮かべ、大鍋の、葉っぱを取り除いた赤黒い液体になにやらかにやら 混ぜ込み、まるで毒液でも作るようにお婆がとりとろりと煮詰めるらしい。

そして出来上がった恐ろし気な液体。体験的には、歩いた後の疲労回復に抜群の効果を発揮し、深酒の二日酔いにも絶大なる効用を顕示せしめる。ただ、酒が飲めないから真偽のほどは分からないので、今度それを確かめるため深酒をしてみようと思う。

 

 

かくして年中行事終了。

爺婆二人きりになって、豆まきも端午の節句も、

ましてや恵方を食らうなど大それたこと全くしないが、

これだけは年中行事として定着しつつあり。

 

 

 

あれこれ五日市街道

f:id:donitia:20190628160200j:plain

 

 

だいぶ前の忘日、平成お徒隊、「五日市街道でも歩いてみっか」の日。

10時、丸ノ内線東高円寺駅集合。天気よし、だが死ぬほど暑くならなければいいが。昔はとんと聞かなかった熱中症なるものが怖い、現代はなにごとも熱中してはいけない。すべからく程々、まあまあ、緩る~~くいこう。

われらが顧問の先生曰く。「こんな機会でもなきゃあ、高円寺から吉祥寺まで歩くんてことは絶対ないからねえ」と。そうか、そういう考え方もありだなあ、つまらなそうなこともやってみて損するということは、まあ無いわな。「そんな暇ねえよ、冗談じゃあねえ」という忙しい人は別だけど。

 

 

東高円寺駅前の「蚕糸の森公園」入る。昔ここに蚕糸研究施設があったよ、という石碑があるだけだけれど、そんなものでも見ると、わが日本にとってお蚕様はものすごく重要だったんだなあ、と改めて思う。公園の中は緑の樹木も多く、水の流れなどもあり涼し気、都会の喧騒をしばし忘れる。

 

f:id:donitia:20190628161013j:plain

 

 

有名(・・・らしい)、妙法寺へ行く。広大な境内、数多い伽藍、国宝級の宝物が山盛り、都会の中の静寂、木々の緑。おもいおもいに散らばってしばしの時を過ごす。御朱印帳を集める人あり、寺院にもこれがあったとは知らなんだ。信心の欠けらもない者には、これを集めてどうする! だけれど、人それぞれ、こころの中は分からない。

 

江戸名所図会。伽藍配置を見る。

f:id:donitia:20190628163016j:plain

 

基本的な伽藍は現在でも全くこのとおり。山門、祖師堂、本堂とほぼ直線。右手は庫裡の並び。現在はこのほかに鉄門、日朝堂、二十三夜堂などが複雑に並ぶ。ともかくまれに見るでっかいお寺に圧倒された。

 

写真は優美な山門を一枚。両脇に仁王様が睨んでいます。

f:id:donitia:20190628164040j:plain

 

 

裏の墓地に前野良沢の墓。現代とは墓石の形が違うな。ところでこの人、誰?

f:id:donitia:20190628164409j:plain

 

 

いったん新高円寺駅前に行く。目の前を青梅街道が走っていて、まあ、車がぶんぶん恐ろしかあ。五日市街道はこの辺りから青梅街道と分岐している。”この辺りから”というのはわさわさ変わってしまい本来の分岐点定かならず。

五日市街道ってそもそもなに? で、こういう時の便利ツールwekiさん登場。

徳川家康江戸入府後、五日市(現・あきる野市)や檜原から木材・炭などを運ぶために整備された街道。初期には「伊奈道」と呼ばれ、伊奈(五日市より少し東にある集落)の石材を扱っていた石工が江戸城修築のため江戸へ行き来するための道として発展したが、修築が終わり木炭輸送が主流になるにつれ伊奈と五日市の重要性が逆転した。

武蔵野台地新田開発が進むと、多摩地域と江戸を結ぶ街道の一つとして発展した。

 だそうです。

 

 

ここから正式に(?)五日市街道をたどる。街道の何もない区間は面白くもなんともない、が、しかし面白くないと言って歩かなければ、ともあれ話にならない。面白くなければ道端の野菜直売など覗いて少し面白がるべし。

f:id:donitia:20190628170825j:plain 

f:id:donitia:20190628170853j:plain

 

 

街道の難所、七曲りと言われた場所に差し掛かる。と言っても、善福寺川を渡るだけなのだから屁のようなものだが・・・。現在の街道はこともなげに突き抜けるけれど、旧道は右に左にくねって川辺まで降りて行く。考えるに、木材や炭を積んだ江戸時代の馬にとってみれば、こんななんてこともないような坂でも、ひ~ひ~はあはあ、やってらんねえよ、という難所だったかもしれないなあ。

下りきった場所に赤い前掛けの3体のお地蔵さんと、周りを取り囲む一叢の大木、これがかろうじて昔の街道の面影を残す。周りに三年坂と名づける坂道あり、この名称の坂道はなにやら暗い伝承ばかりの説明板もあった。近辺のお寺や神社に立ち寄って、休憩謙見学、何しろ先を急がないのだ。

f:id:donitia:20190628173235j:plain

 

 

善福寺川の緑地に降りて、さあ、お愉しみ、昼飯。女性軍は旨そうな手作り弁当をいそいそと広げるが、男どもはいずれも同じコンビニ握飯。さては、かーちゃんに邪険にされているな。もちろん自分もその例に漏れずどころかその代表者。

f:id:donitia:20190628175257p:plain

 

 

街道の途中に石仏を収めた覆堂がある。ところがこのお堂の扉は自由に開けることができる。一般的にこの手のものは麗々しくカギなどかけて、中が見られないように取り計らったものが多い。減るもんじゃなし。ここの氏子さんたちはエライ! 

f:id:donitia:20190628175816j:plain

f:id:donitia:20190628175851j:plain

 

 

この辺りから終点の吉祥寺まではあまり見るべきところがない。黙々として我慢辛抱ただしぺちゃぺちゃしゃべりながら。吉祥寺の駅近くで武蔵野八幡宮と月窓寺に立ち寄る。最後は神社とお寺を、仲良く半分こというわけでもないけれどそうなった。

八幡宮はきらびやかで豪華なお寺、月窓寺は駅前アーケード街の喧騒地なるも閑寂の気配満ちて、みなひとときの物思い。・・・

f:id:donitia:20190628180922j:plain

 

ありゃりゃ、月窓寺の写真がない!! ないものは仕方がない。

これにて平成お徒隊、本日の店じまい。

7月、8月は、あっちち~~でお休みでやんす。

 

f:id:donitia:20190628181624j:plain