doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

そろり、稼働へ

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 涼しくなったので散歩の時間を、朝から昼へと変更しようと思う。

 その上で、熱暑の、そしてコロナの呪縛を逃れ、以前のやさぐれ生活に戻ろうと考える。その手始めにやっぱり多摩川の土手道をたどることにした。日の出の時刻もだいぶ遅くなって、散歩者の姿も朧に霞む。

 土手道の人はさまざま、必死の形相で足早に追い越していく人、ゆるゆると歩を進める老人、走る男若い女性もときたま走る、仲良く歩くご夫婦、たまに自転車、それぞれに皆何かの目的があるようだが、自分にはそれがない。

 

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  緩やかな流れに佇立するサギの孤影。おみゃぁさんは、あんまりにも孤独でにゃぁだか、誰ぁれも身寄りはおらんだけ? 淋しそうでにゃぁか。そうやって立ちこんでいて魚なんぞ獲れるもんかや、ま頑張りや。しかし目はハシビロコウのように鋭い。

 

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  流れが蛇行して向こう側に行くと、こっち側に広い河川敷ができ、長い年月を経て公園などができる。緑濃い芝生の上で幼稚園の子供たちがボールを追っている。走る、飛ぶ、曲がる、一瞬もじっとしていない。今だけだよ、それができるのは。

 

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 歳月はたちまち過ぎ去って、ほら、こうなるよ。もう走れない、飛ぶなんてとんでもにゃあ、せいぜい金属ボールを1mばかり放り投げるが精いっぱいなんだから。それにしても、ゲートボールはどこへ行った? 見向きもされないゲートボール場に秋風。

 

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  道の両側の土手には様々な草が伸びている。小さな花をつけるもの、地面を匍匐するもの、他に絡みついてのし上がるもの、実に様々ではあるが、どれもみな、DNAだかの命ずるままに芽生え、育ち、そして子孫を残す。誰かが操っているように。

 自分もこれと同じだな、と思う。植物と違って一応脳みそというものを持ってはいるが、その脳みそを有効に使って”かくの如く生きるべ”などと思たことは一度もない。困難があれば逃げ、流れに浮き沈み、何者かの命ずるままにふらりふらりと時が過ぎた。

 こうやってただ歩いているのも、健康にいいからとか、ダイエットのためとか、結果長生きするためとか、そういう脳みその使い方をしたことがない。ただ単にそれが好きだからそうしているに過ぎない。要するに好き嫌いの選択だけでここまで来ちまった。

 そう考えると、実にいいかげんだなあ! と思う。すべてを好き嫌いで選んで、豪もわが意思で選び取ったわけじゃない。動けない植物が何かに操られて、なんとかかんとかそこで生きているのと同じだ。わしゃ植物人間じゃの。

 

 

  そういう馬鹿を考えながら羽村の堰まで来た。約10㎞ほど歩いて、時刻は12時ころ、今回はここまでにしようと思う。堰の脇の広場でゆるりと休む。自転車の老人、おばさんの二人連れ、作業員風などがそれぞれ昼飯を広げる。

 

 

 堰を眺める。川の中ほどまで突き出した木製の堰が、渇水期の多摩川の水をごっそり右手の玉川上水に取り込んでしまう。しかしどうしてあれは木製なんだろう? といつも思う。なんだか頼りないような気がする。なにか流水力学的な理由があるのだろうか?

 そして取り入れた水をすぐ下流で吐き出している。吐き出さなければ増水時に上水は溢れ返ってしまうだろう。水を取り込む堰には、必ずこういう余水の吐き出し口が造ってあるらしい。それでなければ水門を設けて一定量しか取り込まないらしい。

 

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 右手の 玉川上水側に回ってみる。水は青々として深い。突先で取り込まれた水がすぐ下流で吐き出されている様子がよくわかる。一定量になった流れは、どんぶらこという調子で下流に向かう。

 

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  300mほど下流にはもう一つ堰がある。流れを堰止めておいて、向こう岸に掘られたトンネルに流し込む。正面の列柱の向こうにトンネルの石積みがほんのわずかに覗いている。このトンネルは、羽村の街を通り横田基地の中を貫通し、村山貯水池まで流下しているはずだ。大正期にそのように造られたものだと聞いた。

 

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  さて、羽村駅前へ行って蕎麦でも食おうと思う。もちろん久しぶりに一杯飲もうとも思う。蕎麦屋は空いていて奥の座敷に一人座る。まず日本酒一杯、調子こいて鴨の燻製など頼む。ちびりと飲むが、む! あまり旨くないぞ。

 あまり旨くないから少し高いのをもう一杯、むむ! 変わらん。蕎麦も来る。蕎麦も啜ってちびりちびり。どうも調子が出ないぞ、なんだか腹が妙に膨れる。しかしなんとかかんとかやっつけて、電車に乗る。2か月ぶりの電車、お互いの距離お構いなし。

 

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 最寄り駅に降りてから、どえりゃあ酔っぱらった。体がだるくて歩けない。どうしちまったんだろう? 駅前のベンチで休む。 行きかう人は酔っ払いが休んでいるとは思わない。爺いが疲れてヘタっていると思うだろう。

 

 

 ようやくたどり着いて、何はともあれひっくり返った。

 陽ざしはなかったけれど、蒸し暑かった。熱中症

 少しまどろんで元気回復、シャワーでさっぱり。

 

 やばかった!