doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

玉川上水を歩く

 

 今日は久しぶり「歩く会」。3回目接種が済んだからだろうか、笑顔の14名集合。

 ときは紛れなき春のピーカン、日差しはきらきら、空気はぽかぽか、これで笑顔でなかったなら、よほどのペシミスト。集まったのっけからわいわい、あはははと話に花が咲く。玉川上水の遊歩道を楽し気に行く爺さんと婆さん達。

 

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 江戸初期に玉川上水が開削された後、無数の分水が作られた。武蔵野台地上にその数、新旧併せて33本も分水路が掘られ、地域の生活用水(主として飲み水)、農業灌漑用水に供給され、ために新田開発が可能となって、定住新田集落が成立し、多摩地域に大いに人が住めるようになった、と資料に書いてある。

 分水は都市化によって、今やほぼ当時の姿をとどめないが、それでも今に残る分水の切れっぱしを訪ね、玉川上水が果たした歴史上の偉大さの一片を偲んでみようという魂胆(趣旨)で歩こうと思う。

 

 

 当地、小平に分水が引かれたのは1657年で、これにより荒涼とした薄の原であったこの地に、小川村が誕生した(小川という地名は今に残る)。このころ、立川市の砂川村分水、国分寺分水も開削され、その後享保の改革で新田開発のため多くの分水が作られた、とこれまた資料に書いてある。

 そこで、市内鈴木町へ水を送っている鈴木分水を尋ね、ほほう、なるほど、などと言いながら眺めた。幅の狭い水路に僅かにちょろちょろと流れている水、現在はもう用なしの流れだろう。これは何に使われてるのか? と質問が飛び、案内人しばし絶句ののち、分からん、と一言。用なしでも、水の流れになにがなしほっとする。

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 次は小金井分水跡を見る。一滴の水も流れていないが、掘割が残っていた。干からびた川底の落ち葉を見ながら、当時はまさに命の掘割、命の水だったのだろうなあ、と皆思っているかどうかは知らないが、押し黙ってしばし眺めている。

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 海岸寺に立ち寄った後、いよいよ小金井公園へ。待ちに待った昼飯を食す。歩いていると猛烈に腹が減る。朝に何ほどかを腹に詰め込んだから減るのであって、なにも食わなければ腹が減る道理はない、というのは百閒のでたらめ。減るものはやっぱり減る。

 公園の梅林の下に陣取った。そそくさと摂食に取り掛かる脇で梅が満開、赤いの白いの薄紅の、そして山茱萸の黄。香わしい香りが漂っているはずだが、食う方に気がいっているので、せっかくの梅もかたなし。

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 陽気がいいからか人が大勢いる。大勢の人が梅を見る。だがこれは桜の時期までのこと、桜が咲けば、どどっとそっちに群がる。どうも人は移り気であり、浮気するようにできているのかもしれない。・・・なんてことはないか!

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 梅の下で満腹の腹をさすりつつゆったりする。普段からゆったりしているのだが、輪をかけてゆるゆる過ごす。こいう長閑な春の午後は得難い時間、それを本能的に感じているのか、ことのほか爺さん婆さんはまず動こうとしない。

 しかし日が暮れるまでゆったりした日にゃ、ちっとも歩きのハカがいかないから適当に午後の部に突入。隣接する真蔵院の川崎平右衛門の墓をみる。平右衛門は府中押立村の名主で武蔵野の新田開発に辣腕を発揮した江戸時代の人、と説明される。

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 その後玉川上水の遊歩道をわっせわっせと懸命に歩き、国木田独歩の文学碑を見、中島飛行機工場(ゼロ戦制作)への引っ込み線路跡を眺め、三鷹駅へ近づいてきた。のだが、余りも生まじめに歩きすぎて、大いに疲れた。

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 三鷹駅近辺で休憩を取るのかと期待したが、知らん顔して駅を通り抜け、駅舎の下を流れてきた上水と会合し、また歩く。太宰治の入水の地として、津軽の玉鹿石なるものを見たが、入水のことについて、井伏鱒二が書いているのを思い出したりした。

 春の午後はなかなか陽が傾かないけれど、一同だいぶ疲れてきたらしい。隙あらば休もうとする自分がいる。そんなこんなで牟礼分水の説明板を見ながら、この後の行程をチョッキンぶった切って、終わりにしようということになった、ようだ。

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 本来の計画では、この後も上水縁をずんずん進んで井の頭線三鷹駅久我山駅近くを通って富士見駅最寄りまで行くはずだった。筈ははずだったが、春の陽気に酔いしれてしまったか、なから疲れてしまった・・・らしい。

 それで最後となった牟礼分水の説明板の場所では、なかなか話が弾んだ。曰く、機械も測量技術もない江戸の昔、この上水を作ったのは驚異の出来事である。また曰く、今の多摩地方はこの上水が無かったら、ない。曰く、江戸を虚仮にしちゃいけないゾ。

 

 

 

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 そうして、井の頭池に行き、大いに休んで疲れを拭い去った。

 疲れを安んじたうえは、悪いおやじが、伊勢屋(焼き鳥屋)はどうだ、という。

 むべなるかな、何となれば付き合わざるを得ないではないか。

 

 本日の上水歩行距離:凡そ13㎞

 家から駅までを入れて:凡そ16㎞

 春たける一日。