doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

歩いたことがない道

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 まだ歩いたことがない道を歩きたいと思った。

 のだけれど、車ぶんぶんの街道や街の中、まして山の中はつらい。車が少なくて家が少しあって、どちらかと言えば淋しい道がいいように思う。で、地図を探してみたら恰好の道があった。これがよさそうだから、ここへ行く。

 その道は、日の出町から低い峠を越えて青梅市に抜けるのだが、出発点は日の出町役場付近、そこまでは五日市線武蔵増戸駅からが近い。武蔵増戸駅から北上し、役場付近に至ったら西へ進路を取り、大久野という場所へ行く。という計画を立てた。

 

 

 武蔵増戸駅に着いた。今日は天気も良く比較的暖かいらしいので、気分ものんびり。脇に走る街道を避けて、細い裏道を選んでぽくりぽくりと歩き始める。住宅地ではあるがビルはなく、古い街並みに崩れかけた土蔵などが残っている。

 なぜか古い建物に興味がわく。朽ちて消えていく運命に、わが身を重ねるわけじゃないけれど、見ているとなんとなく哀れを覚える。こういうのもやっぱり「トシのせい」だろうなあ! いつのころからかこうなった。

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 日の出町役場近くまで来た。ここから西へ向かう。小さな川が流れ、民家が散在し、山があって、遠くの山が霞み、空が青い。「長閑」を絵にしたような眺めでいいなあ。こんなところを用もないのに歩いている人はまずいない。

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 細い道を曲がりくねりながら、奥の丘陵の麓へ向かう。道端に小さな祠があり、山茶花の花が咲いていて、ミツマタの蕾が春を待っている。ときどき人が歩いてくるので慌ててマスクをかける。かけなくても睨まれることはないけど。

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 大久野に着いた。丘陵の麓に形のいい時計塔を持つ集会所が建っている。この建物を囲む春の景色が素晴らしいので、ここまでは何回か来たことがある。特に花桃は赤や白や薄紅の色どりが鮮やかで、そこに新緑の淡い緑が重なり、桃源郷を思わせた。

 春、その景色の中に佇んで、ぼんやりといつまでも眺めていたものだ。何気ない眺めなのだが、何物にも代えがたいような気がした。時計塔がその光景に妙にマッチしていたのだろうかと思う。今は残念ながら冬枯れだ。

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 隣に西福寺があり、石段に座って休憩する。以前に来た時もこの石段に座って、春の景色を見ながら、友人と埒もないお喋りをしたことが思い出される。遠い昔のことのようにも思われるが、それは最近その友人がこの世にいなくなっちまったせいだろうか。

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 さて、ここからがいよいよ「歩いたことがない道」だ。どんな眺めが展開するのだろう? 2車線の街道が一本通っているのだけれど、なるべくその脇に並行する細道を歩く。たぶんこの脇道は昔の街道の名残だろうと思われる。

 路傍に可愛らしい石仏が残されている。この像のように、齢を重ねたらこれまでの恩讐(?)を越えて、淡々と行きたいものだと思う。でもこのぶっくれ性格は簡単に治りそうもないしなあ、なかなか淡々とはいきそうもない。

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 葉が落ちた枝にカラスウリの実が目立つ。枯れ茶色の景色にこの赤はとても目に着くのだが、華やかなような淋しいような、そんな色をしている。街道の分かれ道まで来たが、ここから左に行き、ほぼ北に向かう。街道裏の脇道はなお続く。

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 ぽくりぽくりと脇道を歩いて行って、そしてとうとう脇道がなくなり街道に合流した。街道は意外と交通量が多く、歩くのは好まないけれど、止むを得なければ即ち仕方がない。陽ざしが温かいから、まあ我慢して歩こう。

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 街道に歩道がないから、やや剣呑ではあるけれど、車はゆるゆる走ってくれるから大丈夫だろう。だんだん両側の山が迫ってくる。街道と細い流れが絡み合いながら続く。それでもぽつりぽつりと住宅が現れる。

 道脇に小さな祠があり、古そうな石塔が二基、日差しを浴びている。円柱のものは常夜灯ではなく、傘の下に仏の像が何体か彫り込まれている。足の部分に文字があるが読めない。自然石のようなものは寒念仏供養塔と文字が読める。

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 ちょっと行くと、茅葺の堂々とした建物が現れた。庭木の手入れもよくなされ、悠々とした住み方が伺える。茅葺の維持は経費の面でも大変だろうが、それを補って余りある心地よい暮らしがあるのだろう。

 暮らしの便利ばかり追いかけると、何か大切なものが手から零れ落ちていくのだろうなあ、と思う。いまの住宅はペラペラの新建材ばかりで、それに住まざるを得ないが、そういう中でこういう建物は贅沢の極み、のような気がする。頑張れ! 茅葺!

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 納屋の壁に古いふるい看板がそのまま残されていた。絵柄や文字が消えているが、左は「時代を変える確かな庶民派・新自由クラブ掲示板」と辛うじて判読できる。絵柄はなんだか分らないが、懐かしいなあ! あったんだ、そういう政党が! 河野洋平

 右は理髪店、というより床屋、の看板らしいが、何だか分らない。頭だけ書かれた男の目をじっと見ているとなんだか不気味だ。しかし、どうして看板を貼り付けてン十年も、そのままなんだろう。剥がすとか撤去するとか、どうもしないらしい。

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 人家がなくなって、さあ梅ケ谷峠にかかる。峠だと言ってもそう大げさに言うほどのものではない。2車線道路だし、天辺の標高はせいぜい310mだし、距離も短い。しかしながらさりながら、この道に入ってずっと、緩やかなれども上り道であった。

 それがこの後、今までよりも傾斜がきつくなって、じわじわと効いてくる。山の樹木に囲まれて陽ざしが遮られ、暗い。人里と隔離されて淋しい(人一倍弱虫だから、淋しいと気分も冴えない)。かくのごとく負の面ばかり考える。

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 例の如く、50m歩いては息を整え、100m歩いては休む。蟻の這うように遅々として進まない。それでも虚仮のように続けていれば、やがて頂上にたどり着くというもの、青梅市の境界標識が見えてきた。やれやれ。

 いつも思うのだが、低い丘陵を南側から北側に越える際、決まって北側が急激に落ち込むのは、どうしたわけのものだろう。ここもその例外ではなく、青梅側への坂道はきつく、これがもし上りだったら、たぶん瞬速で嫌になるだろうな、と思わせられた。

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 下り坂の途中、トンネル工事中であった。道向こうの看板を見ると「梅ケ谷トンネル工事中」と書いてある。こんなちゃちな峠でもトンネルを掘るのかあ、と思う。近年、トンネルはお茶の子さいさいらしく、やたらに掘るようだ。

 坂道をどんどん下って、吉野街道に突き当たった。考えていたよりずっと早く、楽に、なにもなく、「歩いたことがない道」を歩いてしまった。楽しかったかと言えば、まあ、それなりにであったが、季節が違えばまた別な面が見えたかもしれない。

 こうして歩いて、頭では何を考えていたか? それを思い出してみても、周りを見て何かあれば、関係するものが脳裏に浮かぶが、特に何もなければ、たぶん昔のことを思い出していたらしい。今の自分に将来はない、あるのは過去の残骸だけ、だから昔が浮かんでくるのは仕方がない。

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 とりあえず今日の目的地である青梅線宮ノ平駅を目指す。多摩川に架かる橋までどんどん下る。下ればその分登らねばならぬから困る。橋を渡る。川の水量がとても少ない。遥か彼方は青い奥多摩の山並み、多摩は案外広いんだな。

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 青梅街道を突っ切り、宮ノ平駅に到着。駅らしからぬ小さな建物で、もちろん無人。前の広場で休憩。リュックのおじさんが一人ふらふら歩いていたが、何もないので諦めたように階段を上ってホームに降りて行った。

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 まだ時間が早いので、隣の青梅駅まで歩いてみようと思う。くるぶしの具合も、サポーターをしてきたのでノープロブレムである。青梅駅がある段丘の一段下の河岸段丘を歩く。細い道がくねりながら続いている。要するに青梅の裏町だ。

 新青梅街道はこの段丘まででストップしている。それを延長し、宮ノ平駅付近まで延長するらしく今工事中だ。青梅市のメイン通りである今の青梅街道は、季節によっては込み合うのだろう、それでこっちの段丘に大きな道路を通すらしく思われる。

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 途中、金剛寺に立ち寄る。いつまでも青い実のまま残るという伝説の、青梅の地名由来と言われる梅の古木がある。境内隅の宝物殿の裏側に午後の陽が降り注いで暖かそうだから、ここで遅まきながら昼飯にする。

 風もなく午後の陽が明るくそして温かい。握り飯を齧り、一服してふと思う。今日のように、なんということがない道をただ歩いて、それが何になるというのか。なんら生産性がない。・・・そう言われれば確かにそうだ、益もねえこんだ。

 益もねえこんであるし、世の動きにも何ら関係しない。しかし少なくとも、周りに迷惑にはならないはずでねえだか。今までさまざんぱら迷惑をかけてきたような気がするので、それだけでめっけもん、それでいいんでねえだか。

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 青梅駅に到着。古臭い駅舎が初冬の西日を浴びている。今日も一日終わっちまったな、と思う。まだどこかを歩きたい気もするが、早く帰って風呂を浴びたい気もする。近頃心掛けていること、無理しない、無茶しない、無道はしない。帰ろう。

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 今日の歩行距離は意外と短くて、約16㎞。

 これからもなるべく歩いたことがない道を

 探してそこを歩こうかな、と思う。

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