doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

おやじ達の夏③

会津まで来て、「親方」の実家の空き家、おやじ3人合宿生活継続中。

 
第三日目 
 
 朝6時ころ、やっぱり皆フスぼけた顔で起きてきた。今日もなんだか雨もよいの天気だが、前日洗濯機へぶち込んでおいた衣類を二階の乾燥場に干しておく。それからやおら冷蔵庫から食えそうなものを引っ張り出して朝飯にとりかかる。
 昨日、南会津無人販売所から買ってきた小さなトマトが、いや実に旨い。市販のものはまだ青いうちに収穫して、なに構わず出荷するから実に不味いのだそうで、木に生ったまま赤くなったものは昔の味がして旨いのだという。
 
 
 今日は親方が会津盆地のそちらこちらを案内するという。小さくてすばっしこい親方と、ひょろりと縦長のうっそりした現場監督の組み合わせは、まさにぴったりのコンビで、昨日はその能力をいかんなく発揮したようである。
 今日も雨がふるかも知れないが、雨だろうが何だろうが、親方と現場監督の凸凹コンビの力を十分発揮してもらって、なにはなくても道中楽しくやってもらいたいものだ、と言ったら、お前は呑気でいいなあ、と言われた。
 
 
 まず駅の観光案内所に立ち寄って、まだ閉まっていたけれど棚から市内の観光地図だけ手に入れた。いくら地元出の親方と言えど、細かい道筋は忘却の霧のかなたかも知れないから、地図は必要だ。雨が降ってきた。
 そしてめぼしい観光地をカーナビにセットし、それ行けぇぇ! と親方が発破をかけ、ほい来たどっこいと現場監督がゆく。雨だなあ、と言えば親方が口癖の、だい丈夫よ、なんでもない、が出てくる。
 
 
 最初に、白虎隊の飯盛山へ行った。山の中腹に隊士の墓がある。ヨボタレ3人組なので動く歩道に乗って登った。薄暗い木の下に苔むした墓石が並んでいる。3人とも無言のままに、その前に佇んで手を合わせた。交す言葉は見つからない。
 墓所の下の、猪苗代湖から流れているという泉のそばに、「さざえ堂」という木造の塔があって、登りと下りが別な回路という不思議な建物である由。親方と現場監督が登って行って、そして下りてきた。ただそれだけである。

 
 それから町の中をくねくねして「御薬園」というところに辿り着いた。会津藩主の別邸であり、回遊式池泉庭園。江戸の大名庭園とは比べくもない小さな規模のものだが、雨に打たれながら池を巡ってみた。傍らに薬草の畑が見える。
 浅緑の芝草に濃い緑の樹木の葉が重なり、水の向こうの中島に茅葺の東屋が雨に濡れている。向こう側に回ってみると空を写す池の先にこれも茅葺の茶室が見えた。茶室の前に来てみたら、おばさんが「どうぞ、一服」というが、いかにも柄ではない、丁寧に辞して御薬園を後にした。


 
 御薬園の緑に、二日酔いの目を洗われた気分になり、今度は県立博物館へ。お城の中にできた施設で、まだ新しい。入場料が1600円と言われて、高いなと思ったけれど、ぐるりと一回りしてみた。
 会津を象徴するようなものは少ないようだが、会津盆地の地図の上に古墳を配置したジオラマ風が興味深かった。盆地の中に点在する前方後円墳が案外に多い。古くから畿内中央と関係深かった由である。
 特別展は「新選組のなんちゃら」。少女漫画のようなポスターが見えるが、おやじとしては、こんなものを見てはいかん。すると親方が言った。「おい、入場券払い戻す。これは特別展共通のものだ。お前が若い女の子の窓口にふらふら吸い寄せられ、そこで買ったのがいけない! 」と言って交渉したら1200円戻ってきた。
 
 
 すぐそばの鶴ヶ城天守閣に登ってみた。通路脇にいろいろ展示してあり、あまつさえ案に相違して人がごっちゃりといて、いささか面倒臭くなったが、天守からの眺めはよかった。周囲を水色に煙る山々が巡り、郊外の緑は目が覚めるほど清々しい。
 と、ここまではあまり変哲もない市内の観光施設であり、まあ、一通り見ておくか、といったものだが、御薬園とお城は現場監督たっての希望であり、それを省略してしまうのは彼にとって、余りにもむごい仕打ちというべきである。
 
 
 それにしても、雨がしょぼ降るので極端に写真が少ない。まあ、写真なんぞあったとしてもそれを熱心に見返す、などということはまずないので、あってもなくてもどっちでもいいと言えばどっちだっていい。
 そんなわけで、今度は盆地を横断して西側の山際の「伊佐須美神社」に行ってみた。着いてから親方が言う。「会津では由緒深いと言われる神社だが、数年前に全焼し、再建されると聞いた。高い櫓の上に拝殿を置き、長い階段が取り付けられる筈だったが、いまだ再建されてないね」止むを得なければ即ち仕方がない。
 
 
 近くの用法寺へ行くという。何もない田舎の集落で、探し回ってようやく木造の三重塔を見つけた。相当な年月を経たと思われる外壁が、風雪のため白ちゃけそれなりの古色を醸し出している。またすらりとした姿もなかなかいい。
 親方と現場監督は基部の柱の継ぎ目部分を子細に観察し、どうやって継ぎ足したんだろう、などとやっている。それよりも、会津のこの田舎に、どうしてこういうものが存在するのか、そっちの方がむしろ興味深い。

 
 昼飯時なので街中へ戻って、飯屋を探したがなかなか見つからない。うろちょろしているうちに、現場監督はなにかのお店が集合しているような一角に入ってしまった。そして運の悪いことに、そこに「幸楽苑」があったのだ。
 おやじ3人腹が減っている。もう何でもいいや、となってしまったのは、われら一生の不覚。喜多方でラーメン、と思っていたので半分チャーハンを頼んだが、二人はそれじゃ足りねえぞ、と脅かすのでラーメン追加。
 両方きた。食えるもんじゃないって! 半分チャーハンでも十分すぎる。親方が例の如く、大丈夫だよ、すぐ腹が減るよ、と言ったので両方喰ってしまった。ああ! ほかの二人は更に餃子が付いている。なんという喰い方だろう。
 
 
 北上して喜多方の「新宮熊野神社・長床」に着いた。驚いた! 重厚な茅葺の大きな拝殿の、その壁がない! 床から巨大な柱がにょきにょき突っ立っているだけで、仕切りも壁もなく吹き抜けのあっけらかんなのだ。
 ふ~~む、これは何だ、拝殿なのか、礼拝所なのか、講堂なのか、広場なのか、野外宴会場なのか、なんなのか。こんな奇天烈、見たことがない。国の需要文化財であるらしい。裏の高くなった場所に新宮、本宮、那智熊野三山が祀られていた。



 さて喜多方ラーメンだが、親方が大丈夫という割に腹が減らない。しかしせっかくなので市役所に車を止め、ラーメン地図を手に入れ、だが現場監督は運転疲れで休ませろと言って車から出ない。
 親方と一緒にラーメン屋を探してすぐ近くに「坂内」があり、いそいそと駈け付けたが、がび~~ん、何ということ、定休日。コロナのためだろうか、営業しているラーメン屋が少ないらしい。
 
 
 通りがかりのおばさんに聞いて〇〇を教えてもらった。ちょっと離れていたが無事店内入って、半分ラーメンを頼む。親方はそのままラーメン。親方はともかくチビのくせに、まっとうに食う、えらいものだと思う。
 食い終わって車に帰り、別に旨くもないね、と親方が言い放った。食いに行けなかった現場監督の心情をおもんぱかったのだろうか、それともほんとに喜多方ラーメン何ほどのもの、と悟ったのだろうか。
 
 
 それでこれから裏磐梯の方へ抜けるという。喜多方の市街地を通り越して一路一直線に磐梯山の麓を目指す。だいぶ行ってから検問があり、真っ黒に日焼けした優しそうな係員が申し訳なさそうに言った。
 昨日の雨でこのさき崖崩れなんです、裏磐梯には抜けられません、申し訳ないこってす。なんだよ~、早く言えよなあ~。と思ったが、係員の馬鹿正直そうな顔を見ていると、とてもそんなことは言えない。諦めて別ルートで猪苗代へと目指す。
 
 
 途中、「恵日寺跡」に立ち寄った。この寺は平安時代初め、807年法相宗の僧・徳一によって開かれたという。このころこの寺の僧たちが、会津一円で勢力を張ったという。親方が、会津の歴史を一言でいえば、と語り出した。
 平安時代は徳一一派が支配し、鎌倉になって三浦半島から芦名が来て威張り、秀吉の頃蒲生氏郷会津を治め、上杉などいくつか変わって、その後藩政時代に保科正幸を祖とする徳川ゆかりの大名が君臨した。
 なるほど一口である。親方には悪いが、それ以上こまごま説明されても関心は持てないから、ちょうどいい。いま恵日寺の跡地に平安時代を思わせる伽藍が、少しづつ再建(?)されつつある。くすんだような田舎の家々の中でひときわ華やかに目に映ずる。


 
 そうして走って猪苗代まで来た。ここでは是が非でも温泉を探す。が、無い! 昔親方が立ち寄ったというスキー場の麓でも探したが、しんんと静まり返ったホテルがゴーストタウンのように並ぶだけだった。
 スキー場がダメになったのか、冬になると賑わいを取り戻すのか、よくわからないが、しかしその高みから眺める里の風景は素晴らしい。麓に広がる田んぼの、目の覚めるような緑、青い山並みに煙り立つ霧の幽玄さ、鏡のような猪苗代湖の湖面、言わんかたなし。
 
 
 
 ならばあそこだ、押立温泉だ! と、合宿所への帰り道、親方がつぶやいた。で、山の麓の細い不安な道をだいぶ奥に入る。木々が覆いかぶさって薄暗い中に旅館のような建物があった。親方がまず見に行く。
 建物の玄関に現れた、塩たれた爺様がこう言ったのだそうだ。「ふにゃ、ゆんべ大水が出て床上浸水だんべよ、温泉どころじゃねえだ、ああどうすべえ」こっちもどうすべえだ、万事休したんでねえか。今夜は風呂なしなのか!
 しかし不屈の親方は諦めなかった。駅前に大型銭湯があったはずだ、と思い出した。かくて大型銭湯で身を清め、特に高濃度炭酸温泉という壺のような湯舟のお湯が大いに気に入った。これで風呂なしから免れたゾ。
 
 
 さっぱりしてスーパーで今夜のつまみやウイスキー、今日と明日の餌などを買い込み、夜は3晩めの大酒盛りに突入。現場監督は相変わらず海苔巻きなど摘まんで酒を飲むし、親方は昨日の残りのトマトが旨い旨いと言って食い、且つ飲んだ。
 親方が言う。明日はどうする、ここを拠点に村上、坂田方面に出張るか、米沢、山形、銀山温泉方面に遠征するか、どうする。毎日の運転で疲れ気味の現場監督は、今回はこれまでとし、明日は帰ろうじゃないか、という。
 
 
 夜も更けて、宴はたけなわなれど明日はひとまず帰ることにして、
 今日の夢を見るべく、寝床に引き上げた。
 
 
 
しつこく、つづく。