doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

越後信州駆巡ー糸魚川までー

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忘日、良寛の里、道の駅「天領出雲崎時代館」を8時過ぎ出発、海側の道を西へ走る。

とりあえず目指すは糸魚川、なぜと言えば千国街道(R148)の谷筋を見てみたい。ただそれだけのために延々西走、しかしながら右窓に広がる日本海は青くたおやかに輝き初夏の風になぶられながら走るのは得も言われぬ心地なり。

左窓は緑輝く山が道路直ぐ近くに迫り、それが少し開けたところには、わずかばかりの民家が固まってうらうらと春の日を浴び眠っている。そんな民家が海岸線に沿ってぽつんぽつんと現れては消え、まことに長閑で気分がいい。

 

 

柏崎市に入った。今朝は同じ道を戻ってくるのでは、と通懸念したが朝は山側、いまは海側、どちらもまるで景色が異なり、両方見られて得した気分になった。すると行く手がぐぐっと曲がって内陸側に入るが、しばらく走ってまた海岸線に出た。

どうやら原発の敷地を回避したらしい。その敷地は広大で深々とした森に囲まれていて、車窓からは建物など一切見えない。原発というのはどうやら途方もない広さの敷地が必要なものらしい。少なからずおっ魂消た。

原発を過ぎ海側に美しい松林が続き、やがて柏崎港に差し掛かる手前でカーナビゲーションが内陸側へ入れと指示してきた。そして国道8号線に合流した。この国道ははるか遠き日、若気の至りで石川県の小松までバイクで走ったことがある。のだが、その面影はどこにも残っていないようだった。

 

 

市街地を出ると8号線は海岸に寄っていき4車線から2車線となったが、ところどころからまた海が見える。青い海が広がると心も伸びやかに広がる。やがて上越市に入りまた海から少し遠ざかったが、大した渋滞もなく市街地を通り抜けた。

今度は海岸線の絶壁を走る。樹木が途切れたところから時たま見える、紺碧に光る日本海が美しい。前方をトラックが列をなして走り、山際のほんのわずかな平地に民家が数軒固まっている。いかにも寂しげな集落の佇まいがなぜか懐かしく思われる。

う~む、そうだ、若かりしあの日々、バイクから確かにこんな風景を見たんだ、と思い出が蘇ってきた。そのとき夕暮れの迫る国道を一人ぽつねんと走る自分を侘しく思ったのか、目に映る家々は潮風にさらされて白茶け、いかにも貧しげだった。今は当時と違い立派な建物に変わってはいるが、海岸線に細々と数軒寄りそう佇まいは変わらない。

 

 

上越市とは何ぞなもし、と後で糸魚川のコンビニで聞いたところ、直江津と高田となんだかが合併したのだ、と教えてくれ、そのバイクの旅の一日、直江津で泊まったことを思い出した。淋しい漁港に夕日が沈んでいくのを眺めたような気がする。

あの時の旅も今回と全く同じ無計画、無思慮、無謀なものだった。行く先未決定、泊地未決定、宿未決定、走るところ未決定、簡単な地図一枚を手に適当に走って夕暮れ、駅で宿を紹介してもらって、なに構わずそこに泊り夜の街にふらつき出でて一杯飲んだ。そんなことを思い出せば、歳を食った今もちっとも変わってないなあ!

 

 

 

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                        (同市hpより)

その糸魚川市役所に11時頃到着し、スマートフォンの案内でそば屋を探し、ようよう行ってみたら、おばさんが「すみませんね~、まだなんですよー」と。だけどもう昼の時間なんだけどなあ~。仕方なく○○食堂に行ったら「まだやってねえ~」と。

糸魚川は小さな町のようだ。だからその土地によるやり方があり、食堂は夕方から始まるのかもしれない。旅人が好き勝手な時に入ってきて昼時に飯を食わせろなんて太ぇ考えかもしれない。もういいや、もう食堂なんか探さない! コンビニで上等、市役所の前の芝生のベンチでそよそよ風に吹かれておにぎりランチ。

 

 

さてこれより千国街道(R148)を南下する。姫川沿いのこの街道の険しさ厳しさは宮脇俊三さんの大糸線沿線本などで想像し、一度この目で見たいと思っていた。何しろフォッサマグナの西縁、糸魚川静岡構造線が通っていて、崖崩れ山崩れ、おまけに姫川の氾濫が加わって災害頻発、多くの死者がでてなんでもエライところらしい。

 

ヒトはどんなところにでも住んでしまう。

そして悲しい涙を流しつつ、なお住み続ける。

ヒトは本来不撓不屈なのかもしれない。