doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

地下たび靴の日々

 

 

 明らかに夏が去り行くのを感じる。

 朝夕はだいぶ涼しいし、曇りや雨の日にはいささか寒く感じるときもある。そんな時、夏が過ぎ去っていくのだなあ、と思う。ほっとするような気もするし、なにやら寂しいような気もする。過ぎてみれば喉の暑さは過去のもの。

 今年の夏は、鬼のような陽ざしが脳天から、ぐわしゃ! と照り付ける日もあり、かと思うとやたら雨が降ったり、変てこりんな夏だったように思う。その変てこりんもなんのその、出来るだけ朝に散歩した。

 

 

 1回に5,6㎞歩く散歩なので、なるべく歩きやすい靴が欲しいと思っていたら、なんと、地下たび型の靴があるという。これはしたり、前々から地下たびの優秀さを認めるにやぶさかではなかったし、何より痛風による外反母趾によさそうだ。

 地下たびは軽いから足さばきが楽で、親指が他と独立して動くので大地をがっしりとホールドできる。ただ見た目が異様であることと、水がたちまち浸み込む、という、今どきの靴に比べ欠点もある。

 

 

 で、早速購入してみた。見た目の異様さを緩和すべく、つま先が、親指部分と多の指とを分離している以外は、ほとんど靴の形をしている。そして全体が柔らかく、とても軽い。よさそうに思えるけれど、まあ、履いて歩いてみなければどうこう言えない。

 だから、散歩のとき履いてみた。とても軽く柔らかいので、なんだか「靴を履いている」という意識が希薄だ。そして気付いたのは、親指部分が常に意識に上る、ということだ。今まで親指、つまり足の内側を意識したことがなかった。

 

 それで思い至ることがある。わが靴は、踵の外側部分だけが、ナイフでそいだように減ってしまう、ということ。どうしてこんなことになってしまうのか、考えても解らなかったが、どうもわが歩き方はおかしいのではないのか。

 歩き方が変てこりんだ、これは地下たび型靴で歩いてみて初めて明瞭に意識した。思えば、人類が二足歩行を初めて以来、洗練されてきた正しい歩き方、これに反するようなみょうちきりんな歩き方をしている。

 我が歩行は、人類の正しい歩き方でないとすれば、ヒトではなくなってしまう。ヒトでなしだ。・・・う~~む、由々しきことではあるまいか。そこで、歩きながらちらちらと足運びを観察してみた。どうやら、着地の時に踵の外側部分で地面を蹴っ飛ばしているらしい。

 

 

 それで歩き方の練習をしてみる。軍隊のように膝を上げ足裏全体で着地するべく歩いてみた。しかし軍隊のように「歩調をとれ~」というのは普通の歩き方ではない。普通は太腿の動きにつれて膝から先がまっすぐに前方へ伸びるらしいと考えた。

 そこで膝を真っ直ぐ前方へ伸ばし、それで足裏全体で着地する、を心がけてみたが、このように頭で考えれば考えるほど、あれ? あれ? 状態となり、頭がこんぐらかって、なにがなんだかわからなくなってきた。

 

 

 難しい足運びを意識しながら歩くのは、頭が混乱するばかりでなんの益もないと悟った。かといって、ならばわが歩き初めからやり直せ、いうのも1歳なにがしごろ歩き方を覚えたはずだが、そのときを思い出せ、というのはどだい無理だ。

 かくのごとくして、変てこ歩きは続いている。ただ地下足袋靴を履いていると、足の親指は意識に上るから、なるべく親指と足の内側で着地するように専ら務めている。これで人類の正しい歩き方を獲得できるかどうか、はなはだこころもとない。

 

 

 ただ、長年の悪習、油断するとすぐ「踵外側蹴っ飛ばし」歩きになってしまう。

 矯正はおぼつかなく、日暮れて道はなお遠い。