doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

早春は4月の陽気

 

 

 とにかく、すんげえ温ったかくなる、というからさんぽ。

 土手道を歩いて行ったら、温とい日差しを受けて、散歩の人がちらほら歩いている。寒さの中から抜け出して、もぞもぞと動き始めた人たち、当方もその一人であることは間違いないが、啓蟄の虫も、われら人もどうも同じことをするらしい。

 

  

 河原はまだ一面の枯れススキに覆われていて、これが、たちまち生命感あふれる緑に変身するとは信じられない思いがする。「いのち」とは不思議なものだと思う、どういうわけでこの無辺の宇宙に、「いのち」なんて言うものができてしまったのだろう。

 河川敷の公園で一休み。しっとり汗ばんできたのでダウンの上着を脱皮、一瞬ひんやりしたが寒くはない。かえって風を感じて心地よい。単細胞動物であるからすぐに思うのだが、今日は楽しい一日になるような気がする。

 枯れた芝の中にタンポポの頭だけが見える。オオイヌノフグリもやや焦り気味に顔を出している。おいおいそんなに焦るなよ、もうじきに本式の春が来る、それからで決して遅くないのだ、慌てる乞食は貰いが少ないというゾ。

 


  

 橋を渡る。向こう側の遥か遠くに、にょっきりと富士の頭、が、写真の腕が悪く、ボケボケ。ボケボケでも富士山は、エライ! いつだったか、富士の麓、都留市あたりでひょっこり現れた巨大な富士山にどえらい衝撃を受けたことがあったっけ。

 もうこの時は理屈もなにもなく、口を開けて佇み、湧き上がってきた感情は「神々しい! 」だった。神様を見たことがないくせに、この感情は解せないが、とてつもなく大きな存在に、魂が消え入るような感情。しかし今回は「ああ、富士だ! 」と思うだけ。


 

 橋を渡った先の住宅の小道を歩く。陽がぽかぽかして長閑な道、軒下に明るい黄色い花、その黄色がなんとなく嬉しい。歩いている人はいないけれど、その方がマスクをしなくていいから都合がいい。

 とある民家から小さなお婆さんが階段を降りてきた。頭が蓬髪で山姥に見え、慌てて「こんにちは」と大声で挨拶をした。取って食っちゃやだよ、という積りだったのかも知れない。しかしお婆さんははっきりした挨拶を返し、よく見ればきれいな顔をしていたように思う。我がビビリ精神に苦笑いがこぼれた。

 

 

 長閑な細道は向こう側の丘陵の麓まで続き、そこにスーパーがあった。手作りの大きな握り飯、おやつなどを買う。スーパーの片隅に椅子とテーブルがあり、そこでおやつの餡パンを食った。これが身にしみて旨かった。

 こんどは丘陵の下の細道を歩き始めたが、どうも尻と脚の裏全体がむずむずして、なぜか疲れる。少し歩いては立ち止まるを繰り返した。長い期間歩いていなかったので、たちまち衰えたのだろうか? 歳のせいだとはどうしても思いたくない。

 

 

 1時間もそうして歩いて、菅生交流会館というこぎれいな建物を見つけた。その庭がグランドになっていて、そこのベンチで昼飯にした。大きな握り飯のしょっぱい昆布が旨い。背中を暖かい日に炙られ、ときおり爽やかな風がそよりと吹いてくる。

 グランドの周りの畑に早春の草花が咲いていた。ホトケノザは春先一番の好きな花。育てているのだろうか、小さなフキノトウがいっぱい頭を出している。よく見れば、ヨモギの柔らかそうな芽、イタドリの赤い芽も見える。

 


 

 道は丘陵の裾を縫ってわずかに登りながら続いている。朱色に塗られた観音堂が美しいお寺に立ち寄る。境内の桜はまだほころんでいないが、日当たりのいいところに東屋がある。それでずいぶん昔のことを想い出した。

 昔ここで休んでいた時、お婆さんに出会った。話をするうちにお婆さんは身の上話を語り始め、若い時分に伊豆大島から鬢付けの椿油を担いで船に乗り、東京の下町を行商していたそうだ。若かったから重い椿油を担う行商も苦労と思わなかったという。そして齢をとり、今はこの近くの娘さんの家で暮らしていると言った。ここへ来るたびに、桜がほろほろ散っていた、そのときのことを思い出す。

 

 

 相変わらず脚がすぐ疲れて困った。頻繁に立ち止まっては背を伸ばし、また歩く。つくづく情けないが、誰に向かって怒ったらよいのか、自分に向かって腹を立てても、もっと情けなくなるばかり、我慢するしかない。

 道端に道祖神が並んでいる。お地蔵さんや馬頭観音や甲申塔。屋根がけの覆堂の中も実にきれいに掃除が行き届いている。付近のお年寄りが、石仏がある以上しょうあんめえ、と寄ってたかって世話をしているさまが目に見えるようだ。

 

 

 道端に神社があったのでここでもまた休む。表に回ってみると、真っ赤な鳥居の両側に河津桜が二本ならんでいた。桜を今日初めて目にした。いささか時期を失したのか、桜の艶やかさは失われていたが、それでも赤い花びらは目に映える。

 この周りはその時期になると、枝垂れ桜、桃、連翹など、桃源郷これでもか! というくらい華やかになる。そこへ新緑の柔らかい緑が遠景に重なって、いやはや、いい眺めとなるのだ。その時期になったらまた来てみようと思う。

 

 

 日の出町役場まで来た。庁舎の裏側のベンチで休む。向こう側のベンチでおじさんが譜面台を置いてフルートの練習をしていた。20mぐらい離れているが、きれいな音色が耳に届く。曲はクラシックくだろうか。

 おじさんの横に置いた自転車の泥除けが陽ざしを反射して、ピカリピカリと光を届ける。風が温かくそよぐ。4月のような陽気の中、おじさんのフルートをしばらくの間じっと聞いていた。ビヨロンのため息も聞いてみたいところだ。

 

 

 役場を出て少し行くと五日市線に向かう道が分岐する。前回この道で迷い、とんでもない山の上の団地まで行ったから、一も二もなくスマホに頼る。ところで、『野武士、西へ』(久住昌之:「孤独のグルメ原作者」)を読んだところ、著者は東京から大阪まで徒歩旅行するに際し、地図もスマホも頼らないことにしたらしい。

 「大いなる散歩なんだから、地図も見ないスマホのお世話にもならない」と決めたそうだ。実際「亀山」あたりまではこれを実行したという。あっぱれ! ではあるが、こちらは何度も道迷いするのは嫌だから、あっさりスマホのお世話になった。

 

 

 細い道の奥に、しだれ梅の滝のような枝がこんもりと盛り上がって、目を見張った。手入れをすれば、こんなに見事な枝ぶりを見せてくれるのだなあ、と思う。なに事も「めんどくせえや」と思う心がいかん、と思えども・・・さりながら。 

 

 

 スマホに頼り切って右に左に細道を選びながら、あきる野台地上に出た。ぐう~んと広がる畑に、真っ赤な梅が咲いている。今日はみっちりと梅を見たように思う。最近辞めたが、梅漬けもまた好きなもののひとつだ。

 

 

 3時ごろ駅に着いた。

 陽が長くなってまだ高い空にあるが、なぜか疲れた。

 今日はここまで。


  

 4時帰宅して18㎞。どうしてこんなに疲れたろうか。