doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

渓谷もあるのだ

 渓谷を歩けば少しは涼しいかもなあ、

 ってんで、仲間3人で鳩ノ巣渓谷へ行ってきた。多摩川の上流域。

 

 仲間は、「大丈夫おじさん」(なんでもかんでも大丈夫だぁが口癖、北海道出身)と「カフェおばさん」(いつもおいしいコーヒーを淹れてくれる、東京都出身)の二人。他の者は、あろうことか、用事があってダメだ、とか言って不参加。(ケシカラン)

 

 

 

 青梅線奥多摩行の電車で白丸駅下車。崖っぷちの、小さいホームとトイレと待合室だけの無人駅。電車が行ってしまうと辺りはしんと音が消えた。深い緑が生い茂る山の中で、いまごろ鶯がけきょけきょと鳴いる。道っぱたのアジサイやダリアの花の色が、目が覚めるように鮮やかだ。家を出てから1時間半。

 次の電車で二人が降りてきた。「遠いところを、いやあ、お疲れ」というと、カフェおばさんが少しげんなりして「私、2時間よ! なに、ここ東京? 」と言った。「大丈夫だぁ」と大丈夫おじさん。電車に乗り過ぎて、もはやお疲れかと思ったが、思いのほか二人とも元気。

 

 

 駅を出て、つんのめりそうな崖の道を青梅街道に降りる。少し行くと白丸ダムに架かる「数馬狭橋」。幅は狭いけれど、それでも一応ダム湖である。明るいとろんとした若緑色の水の上に、板切れに乗って遊ぶ人がいる。見ているだけでも楽しそうだ。

 「オラァの時代、こんな遊びはなかった、あったら是非やっていたんだけどなあ」と大丈夫おじさん。「時間は戻らわないわねえ、今からでもやれば? 」カフェおばさんは無謀な注文で答えた。

 

 

 橋を渡って向こう岸の、切り立った山肌に危うく刻まれた細い道を下流に向かう。木々の枝越しにダム湖の湖面がちらちら見える。水は明るい緑色の光を反射して、その中で遊ぶ人たちまでその色に染めてしまうのではないかと思われる。

 屈託のない笑い声が風に乗って聞こえてくる。遊んでいる人たちが楽しく遊んでいるからだろう、見ていても楽しそうだ。川遊びも、カヌー、サーフボードの立漕ぎ、カヤック、ラフテイング、波乗り・・・多岐多彩になった。昔のようにただ泳ぐだけ、なんてのはもう時代遅れらしいゾ。

 

 

 ダム堰堤まで下ってきた。堰堤の上から下流側を見下ろすと、山の際に魚道が見える。魚がね、あそこを泳ぎ上って山かげのトンネルを通ってダム湖まで登るんだ、と説明する。カフェおばさんの目が光って、一瞬、なにがなんでも見てみたいという顔をした。

 彼女は堰堤から真下をのぞき込んで、う、ぞくぞくする。という。聞いてみるとどうも高所恐怖症のケがあるらしい。東京育ちのおきゃんな娘、との印象があったが、案外の苦手があるらしい。ならば魚道への周り階段を降りるのはダメだったろう。

 

 


 

 再び山道に戻って、突然視界が開けちょっとした広場に出た。ベンチと東屋がある。ここで昼飯にしようかというと、まだ食べたくないとのこと。ベンチに座って休憩。隣のベンチは小学生とそのお母さんたち7,8人。

 カフェおばさんが小学生を見ながら「孫の可愛さってどうなのかな」とぽつんと言った。絶対的、無条件的にカワユイ、と答える。「長女がねえ、産まないっていうのよ」と少し肩を落としたように見えた。

 カフェおばさんが小さなビニール袋を配ってくれる。飴玉やお菓子が入っている。これに大丈夫おじさんがドキュンと来てしまったらしい。おじさんは普段、居酒屋でただただ我らと酒をぶっくらッているばかりだから、こういう細やかな心遣いにやられてしまったのだろう。長袖のシャツを脱ぐと、谷間の風が涼しく拭いて汗が引っ込んだ。

 

 

 そこからいよいよ川岸の岩場に降りて行く、のだが、かなり急な階段である。若い夫婦が登ってきた。と、お父さんの背中の籠に、なんとまあ、1歳に満たないような赤ちゃんが、まん丸なお目でこっちを見ていた。かあ~いいねえ、と大丈夫小父さん。

 川岸の岩場を歩く。向こうからも人が来る。若者のグループもいる。でも何だか顔つきとその装いが、どうも今風ではない。しゃべっている言葉は「&¨Φ£※⨝■∋・・・」であって、どこの何語か見当もつかない。アジア人ではあるらしい。

 川は明るい緑色を呈し、瀬を速み、淵に淀みながら滔々と流れる。巨大な岩がごろごろと続き、頼りない窪みを縫って道と称する。鳩ノ巣渓谷のど真ん中らしいけれど、いささか迫力に欠ける。川風が心地よく頬を通過していく。



 鳩ノ巣小橋という吊り橋を渡って対岸へ。この時カフェおばさんが高所恐怖の人であることがちらっと頭をかすめたが、如何ともしがたいから知らん顔の半兵衛を決め込んだ。彼女はなにも言わず渡ってきたが、心中はわからない。

 対岸の絶壁のような岸辺をひーひー言いながら登る。周りには旅館やお土産屋、食堂などの施設が空き家となって、「今は昔」と寂しげにたたずんでいた。昨日の栄華は今日の廃屋となる。無常は迅速なり。

 すぐに橋を渡りなおして、向こう岸の里道に入る。だらだらと登り道が続き息が切れ汗が吹き出し、しばしば休憩せざるを得ない。そのわが憐れな姿を、困ったように見つめる二人は、余裕しゃくしゃく、悔しいったらない。

 

 

 山道をさらに登り、息たえ絶えに松の木尾根の休憩所に着いた。先客が出て行ったあと、東屋のベンチにへたり込んで、ここで昼食。向こうの鳩ノ巣の集落が、山肌にへばりついて長閑な午後の陽を受けている。

 

 

 3人とも握り飯を齧って、さあ、いよいよ、おばさんカフェの開店、紙コップと簡易ドリップコーヒーを取り出し、持参の湯をぽとぽと注いで、香り高いコーヒーが出来上がった。馥郁とした香ばしい香りが鼻孔を直撃。これでまたおじさんがドキュン

 「いい香りだなあ」「キリマンジャロなの」 簡易ドリップでも、たぶん高級品なのだろう。我が家の腐れコーヒーメーカーの味とだいぶ違う。で、自宅ではどうしているのだろう。「豆が安い時、大量に買ってくるの、それでお湯を注いで・・・」

 これから我らがいく寸庭狭の方から、若者集団が登ってきて倒れ込むように東屋に入ってきた。ベンチを詰めて皆に座ってもらう。ここでも言葉が「&¨Φ£※⨝■∋・・・」であるので、話をするのが憚れた。

 

 

 さて、寸庭狭に向かって下っていく。と、後ろから恐ろしいほど背の高い金髪娘が二人降りてきた。道を開けるとちらりとほほ笑んで、そして追い抜き、鬼のような勢いで下って行って、たちまち見えなくなった。今日は国際色豊かな日である。

 下りきったあたりに滝がごうごうと周りの木々を震わせていて、しばし見とれる。「あの滝つぼに入ってみたら、さぞ気持ちいいだろうナ」と大丈夫小父さん。水垢離の修行僧が脳裏に浮かんでいるらしい。湿った冷たい風が押し寄せてくる。

 

 

 林の中の小道を歩いて吉野街道に出てから、すぐに脇の里の中に入る。ところどころにあるこの細い里道は、昔の青梅街道の切れっぱしであるらしい。両側に僅かな家々が並んでいる。御岳山への登山口でトイレ休憩。

 山裾にトイレと茅葺屋根のお寺(無住)と神社が並んでいる。お寺の日陰の石段に腰を下ろして休む。半晴半雲の空だけれど、街道を歩くとさすがに蒸し暑い。お寺の日陰は風が通り、花も咲いていて、ここから動くのが嫌になる。

 

 

 

 ここから動くのが嫌になる、と言っても、このままずっと死ぬまで、ここでじっとしているわけにはいかないだろうと思う。重い腰を上げて里道を抜け、また吉野街道に出て、再び次の里道に入る。

 里道は車が来ないだけでもありがたい。長閑な風景も垣間見られる。だいたいにおいて、街道というのはたとえ歩道があったにしても、車が走る道であって人がとぼとぼ歩く道ではないように思う。

 

 

 とぼとぼ歩き続け、ようやく御嶽駅の近くのマス釣り場まで来た。多摩川の流れをごろた石で堰止め、淀みに養殖したニジマスを放って、それを釣らせる。この釣りは面白いんだろうかと思う。子供の頃、田舎の川で野生の魚を釣った、それは面白いのだが。

 ごうごうと渦巻く流れの中の一本橋を渡ったのだが、気が付かなかったけれど、あとで聞いたらカフェおばさんが「あれほど怖かったことはなかった! 」と言った。どうも男ども二人は、配慮に欠けるんである。

 

 

 川岸の道を歩いて、御岳駅下の河原で大休憩とした。それぞれ、かなり疲れてきているようだ。対岸の玉堂美術館とを結ぶ橋は、半分台風で流され半分だけ残っている。半分だけの橋、というのはいかなる用途ありや?

 ここから川沿いの遊歩道を下って沢井駅まで行くつもりだ。まだ30分ぐらいの行程がある。時刻は3時半、川原にやさしい夕方の陽が射しこみ、涼しい風が吹いてくる。違う土地の夕暮れは、かすかな感傷を誘い出すようだ。

 

 

 そうして終点、澤井ガーデンに到着した。澤井酒造経営の川沿いの庭園で、むろん酒あり、ちょっとしたおつまみあり、の無料休憩所だ。とにもかくにも、テーブルと椅子を確保してどっかりと座り込む。すぐ近くを多摩川がせせらいでいる。

 利き酒処で5勺ほどのお猪口に3杯、冷酒を買う。1杯200円。カフェおばさんはビールだというから、通りの酒屋で調達した。彼女が買ったおつまみを並べ、さあ、飲もう。ゆるゆると日本酒を啜りつつ、本日の反省会。

 本日の歩行距離は約8㎞としていたが、今確認すると、なんとなんと、15㎞!! 彼女が叫ぶ。「詐欺だよう、だあれ、どこが8キロ? 」「山道は歩幅が狭くなって、結果、距離が多めに出るのだ」「なに、大丈夫だぁ」。

 

 

 

 楽しい会話とともに澤井ガーデンは暮れなずんでいく。

 5時ころ、大宴会終了。冷酒を3杯呑んでふらふらだよ。

 駅が山の上。ふらふら、ひーこら、二人は無情にも突放して置いて行く。

 20分待って電車来る。あああ! 座って帰れる、ありがたや。ナンマイダ!