doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

目にはさやかに

サントリー府中ビール工場、9月の予約申し込み、予約できず。

30分間電話かけぱなし、なのにスンともつながらず、

がっくりきて、悔しくて、呪いたい。

 

 

 

 ほんッとう~に、久方ぶりの曇空、気温低めで生き返った気持ちがする。

 午後過ぎとうとうポツリときて、ほんのちょっとの間雨が降った。が、この時よそでは、4cmもの雹が降ったらしいし、都内のどこかでは土砂降りであったらしく、夕方テレビを見ると矢のような雨脚の中、人々が右往左往逃げまどってるのが映る。

 当地では雨がざっと降った程度で済んで、その後気温がぐっと下がり蘇生したような気がした。夜は青い空に大きな丸い月が、まるで秋のように煌々と光った。思いがけない猛暑の夏の贈り物のようだ。やはり気温は程ほどが一番いい。

 近頃、空の遥かはるか上の方では、そお~っと秋が近づいてきているのか、ウロコ雲現る。地上の暑さはこれからが本番だよ~、と言っているが、それにかまわず季節は移っていくらしい。それはありがたいことだ。

 

 

 ところでヒトという者は、ちょっとした暑さにどうしてこんなにも弱いのだろうか。試みに裸でいることを考えてみる。体温を36℃として、5℃ほど上昇して30℃を越えるともう、暑い! という。しかし不思議なことに、10℃ほど下降して25℃になっても平気の平左でいる、というのはどういうわけか。

 体温を基準にして、我慢できる上限と下限が違い過ぎる、というのはどういう按排になっているのか? 夜も寝ないでいつも考えているが分からない。だいたい36℃という体温は高すぎないか? この理由は何だろう。

 ヒトという者は、やたらちょこまか動きまわる動物である。ちっともじっとしていない。対して他の動物は、腹がくちけりゃひたすらごろごろ寝ころんでいる。猫だって豹だってそうだ。ところがヒトは腹が減っていなくても、畑を耕したり会社に行ったりしてやたら動き回る。やたら動き回れるように、体温が高いのだ、きっと。

 

 

 ビール試飲の予約は失敗するし、暑くて表に行けないし、結果、碌でもないことを考えて時をつぶしている。・・・いやこれは実は言い逃れだ。やる気があれば表なんか、なんぼでも行ける。こっ早くおきて涼しい内に歩けばいいだけ、やる気がない。

 もう歳のことは言わないことに決めているが、年々歳々体力気力が衰え、やる気まで風前のともしび可してしていく。実に困ったことなんだけれど、こんなことを言ってみたところで、だれも儲からないから言わないに越したことはない。

 しかしこの暑さの中で、猫はエライなあと思う。あの分厚い毛皮を着込んで、暑いからと言ってにゃあ、にゃあ騒がない。だらだら汗を流して倒れているのも見たことがない。よほど猫格ができているのではないかと思う。

 

 

 動物は、あちーのさみーのと騒がない。悟りきったような顔をしている。

 ヒトだけが大騒ぎする、それだけでなくいろんなことを騒ぎ立てる。

 それが周りに聞こえるから、そうとうにうるさい、やんぬるかな!