doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

早朝散歩、続くかナ

 

 

 世の中暑すぎる、下手に表に出ると焼け死ぬ、などとぐずぐず文句ばかっかり垂れていたけれど、珍しくこっ早く目が覚めたので早朝散歩に出かけた。例年通りのコースで旧態依然だが、通いなれた道は何も考える必要がないから楽でいい。

 川の土手道で舗装してあるけれど、両端が草地だし、川原は木々がごっそり生えていて緑が濃い。だから緑に囲まれた中を歩くことになって、気分はよろしい。早朝の太陽が昇ったあたりにちょうど薄い雲が広がってギラギラも無い。いい塩梅だ。

 ときどき散歩の人やランニングの人と行きかうのはこれまた例年通り、この時間帯は高齢者が多いような気がする。若い娘っこが走ってきたので、心ならずも見とれていたら、こんにちわ、と声をかけられ狼狽えてしまった。

 

 

 目に付くのはやはり様々な花や草だが、名前を知らない。悔しいから覚えようとしたが覚える前に忘却した。以来、悔しいから覚えるなんて大それたことはしないことにした。覚えなければ忘れないから、これもいい塩梅だ。

 花や木や虫の名前を覚えるのは、子供の時に限るように思う。大人になって、ましてや齢とってからは頭に入っていかない(のは、自分だけか?)。近頃ではテレビのタレントや俳優の名前がこれっぽっちも出てこなくなった。

 先日、図書館から本を借りてきて愕然とした。井伏鱒二の文庫本2冊、最近読んだのを何の疑いも起こさず、そっくり2冊とも借りてきてしまった。あまつさえ、読んでみるとどうも初めて読むような気がして、結局全部読んでしまった。なんだこれ!!

 

 

 

 

 何のために散歩などするのか。健康のためというよりも腹が出るのを抑えるため、であるような気がする。無理やり健康になって少しでも長生きするべえ、という気はあまりないように思う。とは言え、まだ死にたくもなし。

 生きている動物であるからにして、少しでも長生きしたいと思うのは無理からぬことだと思うけれど、そのための努力というモノがしたくない。一個も努力しないで長生きできれば一番いい。が、たぶん神様はそれをお許しにはならないだろう。

 自分のように何の努力もせずに、へらへらと世を渡って、それでいて大したお咎めも受けずにいるのもある。ほんとうはこの状態が大いなるお咎めなのかもしれないが、そのことに本人が気づかないでいるのだから、措置無しなんである。

 

 ともかくも散歩してきた。

 これがどれほど続くものか、神も知らない。

 一日坊主か、三日坊主か、果たして・・・