doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

寒中も兆を探すさんぽ道

 

 ほんとに、久っさしぶりに散歩に出た。

 まだ寒のうち、風は少し冷たいが、陽の光はぐんと力を増してきたようだ。それと気付かぬ間に季節は黙って戻ってくる。だから安心していられる、嬉しい。その度ごとにどんな季節がやってくるのかわからない、なんてことだったら呑気にしていられない。

 

 

 低い丘陵の尾根道を歩こうと思う。取っ付きの斜面をゼーゼー言いながら登っていると、トレイルランニングの50代ぐらいの夫婦が苦も無く追い抜いて行った。う~む、悔しいけれどとても真似はできない。そのあと今度は、小さいお婆さんと孫娘と思われる二人が来た。30台と思われる娘が、お婆さんの後ろから細やかに気を配っている。

 

 尾根道の雑木はまだ冬の装い、裸になった幹に木洩れ日が当たっている。根元から何本もの幹が伸びているから、これがヒコバエというやつかな。見上げれば、青い空に針のような枝が突き刺さっている。葉の蕾はまだ膨らんでいない。

 

 

 ほとんどアップダウンのない尾根道が緩やかに曲がりながら続いている。道脇には小笹があるだけで春の草の姿はない。あと1か月もすれば湧き立つように、わっと萌え出るのだろうけれど、今はまだ枯れ尾花が目につくだけで寂しい。

 お婆さんと孫娘と、後になり先になりしてゆるゆる歩く。ということは、歩く速さがあのお婆さん並み、ということであり、いささか忸怩たる想いがする。けれど若い気になってはいかん! それ相応なのであり、それが現実だ。

 

 

 日当たりのよい道っぱたにたった一輪、なにをどう考えたか、タンポポが花開いていた。一面の茶褐色の中、目に鮮やかな黄が眩しい。こいつは自制ということをしないのだろうか、ちょっと温かけりゃなに構わず咲いてしまうのだろうか。

 もしこれから雪が積もったらどうする? せっかく咲いてはみたけれど、まるっきり咲き損ではないか。たぶんこういう草はそこまで考えない。一か八か、出たとこ勝負、失敗したらそれまでよ、で行くのだろう。なんだか身につまされる。

 

 

 尾根道の終点、古い城址の曲輪の広場から、下に流れる川を眺める。広場に燦々と陽が射しているが、川から風が吹き上げてくる。陽だまりのベンチでおやつにする。人がちらほらやってくるが、あのお婆さん一行の姿が見えない。

 後先になり歩いてきたから仲間のような気がするが、どこかの脇道から下に降りてしまったのだろうか。幾つくらいの人なのか、お婆さんの顔を見てみたかった。残念な気がする。元気で歳を重ねている人なのだろう。

 

 

 尾根道を降りて街道筋の家並みの裏道をゆく。畑にも人家の庭にも兆しはまだ見当たらない。そして今度は丘陵の尾根を越える自動車道を登る。傾斜は緩いけれど、だらだら長く続く上り道。

 例によって数歩歩けば、はあはあ、ぜーぜーである。喫煙のよって来るところ、自業自得、いや自業自損であるから、止むを得ざるところ。道っぱたから棒っきれを拾ってそれを杖にして、死にぞこないの仙人の如く、よたよた、よろよろ。  

 道の脇の斜面に、土砂や石くずの廃棄物処理場が目立つ。われらはゴミ、芥を山に押し付け、とりあえず目隠しをして口を拭っているが、目に見えなくなっても廃棄物は消えることはない。生きている限り必ず排出すべきこれを、どう始末すべきか?

 

 

 ようやく登り道の頂上になって、南北を丘陵に挟まれた谷地に出た。風が遮られて陽ざしが温かい。暗い林を背にして紅梅が咲いている。この紅梅と白梅とは、寒の最中に咲くらしい。雪の中で凛として咲く姿をみたことがある。

 この梅を文字通り「寒梅」というのだろうが、こういうとどうしても「越乃寒梅」を思い浮かべてしまう。品質や値段の優良さもさることながら、「名づけ」が特に素晴らしいと思う。味わいが凛として際立つように思えてくる。

 

 

 小春のような陽ざしの中、谷地川のほとりを歩く。少し熱くなって防寒着を取ると、ひんやりした空気が心地よい。お寺に立ち寄って昼飯とする。南妙法蓮華経の石塔の台座に失礼して腰を下ろし、周りを見渡す。

 わずかな住宅と、広い畑と草地がずっと続いている。畑に取り残しの大根や白菜が萎びて白い陽を跳ね返している。草地は一面明るい茶色の枯草に覆われ、さてこれから枯れ草を押しのけて、もりもり育っていくぞの芽が隠れている。

 

 

 また歩き始めて畑の脇に「兆し」を見つけた。ここであったが百年目、恒例春の兆しの花。オオイヌノフグリの青空のような煌めき、深紅の妖精ホトケノザ。毎年この花を兆しと決めつけて写真に撮っている。飽きもせずにまいどまいど。

 

 

 また違うお寺に立ちよったら、庭に梅が咲いていた。紅梅と白梅、寒梅のそろい踏み。これだけ揃ったら、兆しとしては十分な気がする。そして間もなく、わあわあの春が来るだろうが、来てもわあわあ騒がずに静かにしていようと思う。

 

 

 久しぶりに野っぱらを歩いてみると

 大変に気持ちがいい思いがする。

 17㎞、ちと歩き過ぎで、へたりながら帰宅。