doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

野仏や旧街道の春立つ日

  久しぶりの「歩く会」、今回は「参詣の道・大山道」の長津田宿あたりを歩く。

 案内役は女性、シャキシャキの江戸っ子。

 

 

 神奈川県の丹沢大山(1252m)は、雲を招き雨が多いことから、あふりやま(阿夫利山、雨降り山)と言われ、奈良時代から信仰の山とされてきたという。その山へ江戸中期の頃から庶民の「大山詣り」が盛んとなり、幾本もの大山街道と言われる道が通じていて、その俤が今日に残っているらしい。

 今回はそのうちの「矢倉沢往還」と言われている、国道246号に沿った旧道を歩く予定。そこは横浜市の北部、山の手の青葉区となり高級住宅地と言われているが、古い街道をとぼとぼ歩くについては、高級もへったくれも置きゃぁがれだ。

 

 

 てなわけで、市が尾駅に集合は、今を盛りの爺さん婆さん15名、あっちの駅まで乗り過ごしただの、時間を間違えただの、いろいろありのテンコ盛り。だがしかし、年寄りのいいところは、なにごとにも焦らない、なにが起ころうとゆるゆると、である。

 

 ようやく出発して、最初は地蔵堂。お堂の下に赤いよだれ掛けのお地蔵さんがいっぱい並ぶ。思うに、国道246号拡張で、いろんな場所に佇んでいたお地蔵さんが、この一か所に集められたものと見える。お地蔵さんも仲間ができてよかったようだ。

 

 

 街道筋らしい遺構があった。江戸時代から営業の旅籠屋「綿屋」 ただし現存の建物は明治15年の火災で立て直されたものだという。それで明治末まで旅館として営業していたが、現在は空家、しかし誰かが管理している模様。

 

 

 だんだん陽が温かくなって防寒着を脱ぐ人も。今年の寒さのピークは4,5日前の東京大雪の日だったかもしれない。あの日はもう部屋に閉じこもって震えていたなあ。それに比べりゃ、今日は天気もいいし風もないし、いい日だ。

 民家の庭に一里塚の榎が、幹をやけどしながらも立っていた。玄関脇に「大山街道・一里榎なんちゃら」と読める看板が出ているので、偽物ではなさそうだ。にしても、人んちの庭になぜ? 説明では区画整理のため、ということだが、それにしても。



 旧街道なので広くはない道を歩いている。車も多くないのでもってこいだ。その脇に「医薬神社」という小さな社、もとはお寺だったらしいが、神仏分離で僧侶が神職になって寺が神社になった、と説明板。融通無碍、なんでもありで楽しい。

 ここで一休み、女性軍がお菓子など配ってくれる。ありがたや、ありがたや、優しい気持ちが嬉しい。陽ざしがぽかぽか、お菓子は甘い、まだ疲れてもいない、幸せなひととき。なべて世はなにこともなし。

Plein(プラン)   (ネットから拝借)

 

 

 昼飯はファミリーレストラン、めんどくさいので全員が日替わり定食、でも鶏腿を焼いたのが柔らかくて、ぱさぱさせず意外や旨かった。いつもは野外で、しんみりとおにぎりなど齧っての昼食だが、今日は威風堂々レストランなんであ~る。

 青葉台の駅前を通過して、「石塔坂の宝篋印塔」を見に行く。大きな木の陰に宝篋印塔2基、1573年記銘というからおよそ450年前、が風化した様子もなく、180.5cmの優美な姿をとどめている。傍にこれは風化した五輪の塔。

 



 旧街道沿いにひっそりと佇む石仏や石柱を眺めていると、何百年も前、名も顔つきも知らぬ人々が、やはりこれを眺めていたんだろうなあ、と不思議な感慨に包まれる。そして見知らぬその人に、急に親近感を覚える。

 だから、こういうものは、できるだけ無くしてはいけない、と思う気持ちが強い。今のこの忙しい世の中で、何の役にも立たないかもしれないけれど、ずっと残されてきたについては、これを眺めた代々の時代の人びとの、何かの思いがあったのではないか。

 

 

 読み方のエラク難しい「神鳥前川(しとどまえかわ)神社」。1187年、武蔵枡形城主、稲毛三郎により創建、当初白鳥神社だったが、いつか神鳥となり読みも「しととり」が「しとど」となったという説明。

 境内にカワイイ富士塚があり、巫女さんらしいうら若き女性がわき目もふらず、落ち葉を集めていた。一同は境内のあちこちに陣取り午後の休憩。この歳になって新しく人を知り、仲間となって、野っ原や古街道を一緒に歩ける、思いもしなかったことだなあ。

  

 

 車ブンスカの国道246号すぐわきの野道をゆく。不思議と車の音が気にならない。畑に梅が咲いている。ほんのりと香りが漂ってくる。道端の草地はまだ冬だけれど、春はもう、ついこの先に来ているような気がする。

 

 

 いよいよ長津田宿に入った。ここにも道脇の一角を区切って、石仏石柱が集められている。その石仏の台石になにやら文字が書いてあって、それを何とか読もうと、皆が首を突っ込む。初手から諦めて遠巻きにそれを眺める人もいる。

 

 

 直ぐ次に、宿場の常夜灯が復原されていた。たいそう姿の美しい常夜灯、どうやら頭の天辺だけが昔のものらしい。手前の碑文にこう書いてある。「この古碑群は、古くは元禄(1690)年代より地域の信仰の場として甲申塔・道祖神・大山講・地神尊等を崇拝し代々引き継がれて今日に至っている。…都市計画道路工事に伴い一部を復元し、本土地に移築整備したものである」

 

 

 長津田駅前の交差点に大山道の道標が、真新しく整備されていた。大山道の道標は、大山に祀られている不動明王の像が多いと聞いたが、この地のものは味気ない角柱だ。今まで散々旧道を歩いてきたのだが、案外に道標がなかった。ここは駅前だから特に設置したのかもしれない。

   



 大林寺という禅寺に立ち寄る。境内の説明板によれば、この長津田を領地とした(1591年)旗本、岡野氏が建立し、更に歴代の菩提寺とした。以来幕末まで11代を数え、岡野氏は「長津田の殿様」と呼ばれていた、という。

 その墓域を見ると、他のものの5倍は優にありそうな広大な地に、ずらりと苔むした宝篋印塔やその他の墓が並んでいて、壮観な眺め。人んちの墓を壮観というのもなんだけれど、やはりこれだけならぶと迫力があるなあ。



 その岡野の殿様の屋敷と陣屋の跡地はいま、幼稚園になっている。さすが威容を見せ、長津田宿を高みから睥睨している。そこからだらだら坂を上り、大山街道に出ると前方に胸を突くような坂道が見える。

 あの急坂を登ればいよいよ最後、上宿常夜灯と大石神社だ。例によってひーひーぜーぜー、へろへろになりながら坂を上った。大木の影に常夜灯、そのさらに上に大石神社、なんとかかんとか、歩きとおしたゾ。

 

 

 

 そして駅に向かう下り坂の途中に、昔の儘の大山街道の切れっぱし、土の道が緩やかに弧を描いていその先へと続いていた。道幅は2mぐらいだろうか、大人が二人並んで歩けるほどの古街道の残存、貴重なものを見たように思った。

 

 

 

 

 

 今日は案内役が資料をよくよく調べ上げ、その上キッパリした解り易い案内。

 参加者一同、大絶賛、やはり今は女性の時代だ。

 春まだ浅いが好天の中、爺婆堂々の歩く会、大成功。

 約11㎞。来月はもっと暖かくなるぞ。