いよいよ明日は冬至。
ようやくここまで来たか、と思う。日増しに夕暮れが早くなり、そして寒くなり、太陽はと言えば、もう疲れたでやんす、へとへとでんがな、の状態で、なんとも頼りなくなって、こっちの心持まで暗くなる。
ところが明日を期にして、少しづつ少しづつ日脚が伸び(寒さはこれから本番だけど)、光が増してきて、太陽が、よっしゃ、任せといてえな、元気出ましたでえ、と復活し、だから気分だってなんだか前向きになる、というもの。
こうなれば、「コロナは続くよ~、どこまでもう~」でもないような気がする。気温の上昇とともに、もしかして下火になるんじゃなかろうか、と希望も湧いてくる。行く先に希望が見えるのと、諦めしか見えないとでは、生きていく力が違う。
冬至は、はなにも今年に限った話ではないけれど、かといって永遠の繰り返しでもない。太陽と地球は永遠かもしれないが、どっこい、こっちに期限という都合がある。その期限は一向に定かではないが、確実にあることはあるのだ。
こういう希望の感情を抱くのも、あと少し、ってな気持ちが、それを愛おしいものに思わせもするし、その感情を大事に胸に抱いて過ごそうとも思う。メメントモリを気取りようもないが、実感としてそう思う。
明日から、
ほんの少し長くなった日脚と、
ほんの少し光を増すだろう陽ざしを、
確かめながら空を仰ごうと思う。