doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

こころのふるさとは?

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 秋が深まり静かで穏やかな日々が続く。最近脳に関する本を読んだ。

 脳は、心臓や胃のような臓器のひとつなのだろうが、これら臓器のようにその働きが十分には解明されてはいないように思う。どの部分がどんな働きをし、その働きのしくみがどうなっているのか、ブラックボックスのような気がする。

 

 他の臓器だってその働きのしくみは大変難しいのだろうが、何しろ特定の働きをする臓器ひとつが大きいし、解剖学的にもその働きと仕組みが理解しやすいのではないかと思う。それに、医学的な知識の積み重ねも豊富。

 翻って、脳ときたひにゃあ、その働きが極めて多様であるし、解剖してみても豆腐みたいな物体があるだけで何がなんだか分らない。調べようと思えば、個々に働く細胞が極めて小さく、その細胞が働くしくみが全く目に見えない。

 また脳はこのようにわけのわからない臓器である上、理屈で(哲学的に?)詰めようとすれば、下手すると自己言及の矛盾に突き当たると言われる。脳を理解しようとしているのが、ほかならぬ脳であってみれば、このことは理解できそうな気がする。

 

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 さて、最近読んだ本というのは、「こころはどこから生まれるか」というような内容である。そんなことは考えたこともなかったので、強く興味をひかれた。こころが生じる臓器は心臓などではなく、どうも脳味噌らしいことは別の本で読んでいた。

 ところがこの著者は、それは「脳の記憶の座から生まれるのでは?」という。「脳のどこか」ではなく、記憶をつかさどる部位から、こころは生まれる、というのは今まで聞いたことも読んだこともなかった。それで、う~むと唸ってしまった。

 

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 ここで、こころとは? についてここだけの話として、「感情」「意志」「理性」としておこうと思う。「こころは記憶の座から湧き出すのでは?」ということを読んで唸ってしまったが、そう言われれば、と思うことができる。

 感情については、情動を司る脳部位が別にあるらしいが、人の悲しみを自己に投影するような感情、それが湧き上がるのは、関連する過去の経験、知識を記憶の座から瞬時に呼び出して、それを元にして同様な心象が沸き上がるのでは? という気がする。

 意志についても同様にして、過去の経験、知識を瞬時に呼び出し、それと照らし合わせて評価し秤にかけ、その中から何ものかを選び取るのじゃあるまいか、と考える。

 理性もまた、過去の経験、知識・・・例えば人からの教え、目で見た画像や文字、勉強した論理などなどを、瞬時に思い出し取捨選択し、道理を組み立てて行く過程なのではないじゃろか、と思う。

 

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 やっぱり思うことをうまく書き表せない。とほほ!

 それは考え自体が単なる妄想であるからかもしれない。

 が、秋に日のつれずれの、阿保の妄想として、

 備忘録的に残しておこう。