doniti 日誌

( おもしろき こともある世を おもしろく)

寒の空へ

 また引き籠らざるを得ず、仕方なくちょこっと散歩。

 

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 河川敷の運動公園には、少年野球のグランドが幾つか連なっており、片隅の枯れた芝原に老人たちが5,6人、夢中で紙飛行機を飛ばしている。厚紙で20cmぐらいの飛行機を作って、ゴムひもを引っ掛けて上空に飛ばす。

 小さな飛行機がぎゅい~んと垂直に登って、それから水平飛行に移ってす~っと飛んでいく。爺さんたちは愛おしむようにそれを眺め、着地地点までゆっくりと歩いていく。それを何回もなんかいも繰り返して倦むことがないようだ。

 寒の空紙ひこうき陽に煌めけり。

 

 

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 運動公園を過ぎて低い堤防の上を歩く。枯れ草に覆われた堤防は陽を受けて暖かい。右手は河原に形成された雑木林、左手は田んぼと畑が広がり、遠くにお寺の大屋根が光っている。出会う人は誰もいない。

 春の兆しの草を探してみたけれど、枯れ草ばかりで兆しはまだ無いようだった。しかし緩やかに弧を描く土手の道と周りの風景に、どうしてか懐かしいような情感を覚える。小さいころ、こんな道を歩いたことがあるのだろうか。

 

 

 

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 土手を過ぎて、民家が固まっている小さな集落に入る。民家の軒先を浅い流れがかすめて田んぼの方へと静かに流れている。民家があって、その脇を小川が流れ、片側に畑が広がる、この光景を見た時も懐かしさを覚えた。

 懐かしい、という感情はどうして湧いてくるのだろう。

 少し考えてみると、どうも昔の思い出に繋がっている感情のように思える。昔似たような景色を目にした時、たぶん気持ちがよかったのではないか。そのよい気分が思い出され、それが懐かしいと思う気分につながるのではないのだろうか、と思った。

 これは景色だけでなく、音=音楽、匂い、肌感覚でも同じように、気分がよかった思い出を今思い出して、それで懐かしいという感情を呼び覚ますのではあるまいか。昔の体験と、そのときの良い気分が懐かしさにつながるのでは? と思った。

 

 懐かしいという感情が、もしそういうことだとすると、その大本は、思い出だから記憶ということになりそうだ。で、記憶というのは摩訶不思議なものだと思いいたる。ヒトの記憶はいったいどのようになっているのだろう。それは動物の記憶とは違うものだろうか、同じものだろうか。

 記憶が脳みその働きだとして、脳細胞に電気が流れるだけで、どうして記憶ができるのだろう。コンピュータの記憶のメカニズムも知らないけれど、それとこれは同じなのか違うのか、謎はなぞを呼び込んで混ぐらかってきた。

 

 

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 頭がとっ散らかって混がらかってくれば、即ち帰ろうと思う。橋を渡って対岸に行く。川沿いの遊歩道の脇の、コンクリート壁に蔦が絡まって枯れている。実は、何を隠そう、この蔦はつるつるのコンクリート壁にどうゆう風に絡まりついているのか。

 以前から気になっていた。が、葉が茂っているときはそれを見てみようという気が起きなかった。葉が枯れ落ちた今がチャンス、近寄ってしげしげと観てみる。ははあ~ん、枝先に小さな吸盤のような形があるぞ。

 枝を引っ張ってみたら、この小さな吸盤がコンクリート壁に張り付いていることが分かった。たぶん吸盤の先っぽから糊みたいな粘着性のものを出し、それでつるつるの壁に張り付いているのだろう。いやはや、よくできてるなあ。

 

 

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 ともかく、コロナが収束しないとまともな散歩も難しい。

 んなわけで、11㎞の簡単さんぽ。

 終息するまで死なずに元気でいることだナ。